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東ジャカルタ、チリウン川沿いのカンプンムラユから、北西にそびえる高層ビル群を望む。三角州の上に位置する巨大都市ジャカルタは今、急速に地盤沈下が進み、頻繁な洪水に見舞われている。(Photograph by Joshua Irwandi, VII Mentor Program)
スヘミさんは、インドネシアの首都ジャカルタで、小さな食堂を営んでいる。今、この食堂を海から隔てているのは、狭い未舗装道路と高さ2メートルの防波壁だけだ。スヘミさんの家族の運命は、この壁に委ねられている。
ここ北ジャカルタのムアラバル地区で育ったスヘミさんは、昔は家の前の砂浜でよく遊んでいたという。しかし2000年代に入ると、砂浜は消え去り、海水が頻繁に街なかまで押し寄せるようになった。
2002年、政府は海岸沿いに壁を建設した。沈下を続ける土地と、上昇を続ける海面に対する住民の不安をやわらげ、時間をかせぐためだ。しかしわずか5年後の2007年、近代ジャカルタ史上最悪の洪水が発生。暴風雨と集中豪雨が引き起こした洪水は、市内各地で80人の命を奪い、何億ドルもの被害をもたらした。ムアラバル地区でも暴風雨が壁を破壊し、海水がスヘミさんの家に流れ込んだ。
現在、ジャカルタで暮らす多くの人々が、こうした脅威と隣り合わせで暮らしている。そこで政府は2019年、同国の首都を、国内最大の都市であるジャカルタから移転させる計画を発表した。移転先はボルネオ島の、現在は森林が広がっている場所に新たに作られる街であり、建設は今年の夏から開始される予定だ。
しかし、政府は沈みゆく首都を離れるとしても、スヘミさんのように、今もそこに住んでいる1000万人の人々はどうなるのだろうか。
海岸沿いの壁は延長工事が続けられており、またジャカルタ湾に巨大な人工島を建設するという壮大な計画もあるが、その財源は不透明なままだ。そして、地盤沈下の根本的な原因(地下水の過剰なくみ上げ)に対しては、ほとんど何の対策もなされていない。(参考記事:「海に消える愛する村 インドネシア、ジャワ島」)
ジャカルタの40%が海面より低く
洪水は、何百年も前からジャカルタにとっての大問題だった。主要な港を抱えるこの街は三角州の上に位置しており、南部の山々から流れる13本の川が、ここを通ってジャカルタ湾へと注ぎ込んでいる。三角州はかつて深いマングローブの森に縁取られ、それが高潮の緩衝材として機能していたが、その大半はずいぶん前に刈り取られてしまった。
1619年にインドネシアを植民地化したオランダは、ここを近代的な建物や運河がある典型的なオランダの街に作り変えようとした。運河を作ったのは、川の流れを調節して洪水をコントロールするためだったが、研究者らは、この行為こそが問題を悪化させたと考えている。三角州は、氾濫する川が新しい堆積物を継続的に補充することで維持される。運河はその働きを妨げる方向へ働いてきたというのだ。
「オランダ人が来る前、スンダクラパと呼ばれていたこの場所は、有機的で回復力のあるコミュニティーでした」と語るのは、アムステルダム大学の博士課程とIHEデルフト水教育研究所に在籍するボズマン・バトゥバラ氏だ。「運河の建設は事態を悪化させただけでした。運河は堆積物を閉じ込めてしまうからです」
近年、州政府は、スラム街を撤去し、コンクリートの堤防を築き、頻繁に川底の泥を取り除くなど、川周辺の整備を行っている。それでも、川の氾濫は現在も街のあちらこちらで続いている。地面は大半が舗装されており、土地を盛り上げて高くする処置は行われていない。
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