第6話


 ◻︎


 誰か助けてくれ、胸の疼きが止まらないんだ。寝る前も悶々として体が熱っぽく、なかなか眠りにつくことができない。しかも、意味もなく頭がぼうっとしている。



 ──まあもちろん、それらの症状の最たる原因が何なのかははっきりしているのだが。


 凛、と彼女の名前を心の中で呟く。それだけで私の胸中が桃色に染められ、五月蝿い拍動の音が耳を支配する。


 まさか自分が「恋」をするなんて。


 人生で初めての恋なんだ、そう自覚するだけでもなんだか恥ずかしくて、気を紛らわすように前髪をいじってしまうんだ。



 今日という日も朝から彼女を視界に入れて、人生の絶頂期はこの瞬間なのかと錯覚するほど満悦していた。


 凛は、バスのドアが開いて乗車したらすぐに私に顔を向けて、小さくおはよう、と口を動かす。そして私が挨拶を返そうとする前に、私が座っている2人掛けの席に当たり前のように腰を下ろす。


 本当にこんな幸せがあっていいものなのか?


 今まで私の周りを囲んでいた退屈で孤独な環境を一蹴するかのように、子どもじみた私の傲慢さを如実に現していた、のっぴきならない交友関係が嘘だったかのように。


 私の隣に彼女が座っている。


 正直、私は自分という人間に価値があるとは思えない。それを言うならば、道端に生えている雑草のような無価値で凡人の私に平然と関わる彼女は「変人」だとみなすことができるはずだ。

 だが、こういう考え方は彼女への侮辱と捉えることもできるし、何より彼女に惚れてしまっている私が許さない。



静宮しずく、今日も曲聴かせて?」


 と凛が耳元で囁いてくる。


 嗚呼、耳が幸せだ。だけど、毎回こうやって聞いてくるのはやめてくれ。私の興奮を煽るようなことを無自覚にしてしまう君が本当に憎らしくなるから。

 そんな風に私を急かすように柔らかな双眸を向けるのはやめてくれ。心の中が桃色に染まって、君だけにしか触れられない私の手が震えてしまうから。


 彼女は今、早く曲を聞きたいからなのか、もしくは私とそれを聴くことが目的だからなのかはわからない。だが、この瞬間、この時間だけは、私というただの女子高生の一端にすぎない人間に意識を向けている。


 言い換えれば、それは彼女をひとりじめできる、私だけの時間。


 嗚呼、ヤバい。ヤバいと言うしかない。もう彼女への愛が溢れすぎて感情の収拾がつかない。興奮しすぎて身体から湯気のようなものが出ている。


「やっぱり暑いね、今日は。バスの中でバーベキューができそうだ」


 意味のわからない発言をしてしまった。


「そう?バスの中のエアコン結構効いていると思うけど」


 …早くイヤホンを取り出そう。


「はい、どうぞ」


「ありがとう」


 そう言って私から白いイヤホンを受け取る彼女。その指が妙に艶かしい。イヤホンの白さが彼女の肌の真白さを際立てる。

 可能ならば、ただ音を伝えるだけのその物体を私の指先へと入れ替えてくれないか。そうすれば、合法的に彼女の柔らかそうな耳に触れられるのだが。


「今日の曲はなんていうの?」


「First love、っていう曲だよ」


「…へえ、静宮ってラブソングも聞くのね、少し意外だわ」


 それはまあ読んで字の如く、「初恋」ですから。


 まさか私も、このジャンルの歌を聴くとは思わなかった。この曲は、若干16歳の少女が歌っており、歌詞から伝わるリアルで切ない心情が今の私に深く刺さったのだ。

 これを聴くたびに、凛に惚れた日に誓った決意を思い出す。


『彼女を私に惚れさせる』


 そのためにも、彼女の好感度を上げる方法を徹底的に探り、自分に自信を持ち、今まで腐り切っていた私自身を、清廉さが垣間見えるイケ女へと変える必要がある。ポエミーに言うのなら、群青の空のような包容力全開の女になるのだ。


 私は自分の初恋を必ず成就させてみせる。そしてその後も、永遠に彼女を離さない。別れる悲しみなど味わうものか、と意識づける。


 そんな風に、一瞬のうちに思考の沼に浸っていると、


「何?もしかして静宮、好きな人でもいるの?」


 と凛が聞いてきた。


 うん、あなたですよ。

 そう言いたいが、私はヘタレで臆病なので口が動くはずがない。その代わり、彼女の質問に対して、肯定か否定かわからないように前髪をいじる。


「どうだろうね」


「えー、別に隠さなくても良いじゃない」


 彼女は少し不機嫌になった。

 ごもっともであるが、ここは濁させてくれ。どうせなら、この質問が彼女の嫉妬心からきていて欲しいと思うが、そんなことはあり得ないとわかっている。


なんだから、私の心くらい読んでみてよ」


 皮肉なものだ。

 今の私と彼女との関係は、ただの友情で結ばれた緩いようで硬いような紐なのだ。現に今イヤホンで結ばれているこのケーブル、いや、この紐の淡白な白さが憎くてしようが無い。どうせなら赤色であってくれれば良いのに。運命の赤い糸的な感じで。


 私はSFの世界など空想上の物語だと達観しているが、それでもその世界が仮にあると信じるならば、彼女が人の心を読める宇宙人で、私のこの恋に燃えている心情を読み取ってほしいと願う。あるいは、この白いイヤホンを通じて私の思いが彼女に伝われば良いのに、とも思う。


 想像と妄想の混同。なんて醜い感情を朝から私は発しているのだろう。


 もう、とうの昔に、イヤホンから流れる曲が終わっていた。


「…次の曲はじゃあ凛のリクエストでも聞こうかな」


 話題を変えよう。


「何がいい?」


「じゃあ、orionっていう曲を流して」


 スマホを操作して某オンラインプラットホームで早速流してみる。


 う〜ん、知らない曲だな。だけど聞いていくにつれて、これは星座に関連づけられた恋の歌だとわかる。


 そもそもこのオリオン座はギリシャ神話の狩人オリオンの逸話によって形作られていたはずだ。彼は、海神ポセイドンの息子で、海の上を歩く力を持つ。その力を自慢するようになったオリオンをこらしめるため、女神ヘーラがサソリを放ち、彼は命を落とした。そして星座になってからもサソリ座を恐れ、さそり座が地平線上に見えている間は姿を見せないとされている。


 やっぱりギリシャ神話に出てくる神様たちはどこか人間味があって面白い。ポセイドンの息子である神がただのサソリの毒で普通死ぬか。いや、死なないだろ。ツキヨタケを間違ってたべる人間じゃないんだし。


 そういえば狩人オリオンは月の女神アルテミスが好きなんだっけ。まあいいや。


「あの星座のように〜🎵」


 隣で彼女が楽しそうに歌っている。

 その姿を見ているだけで軽く丼50杯はいけるね。


 歌詞も、考察しがいのあるミュージックビデオも気に入った。スマホのプレイリストに入れておこう。

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