3-21 渦巻きの終わり
自室に帰り着いたのは、午後九時を過ぎた頃だった。
アトリエに泊まらない代わりに、彗は私をアパートまで送ってくれた。今日はもっと一緒にいたいから、本当は名残惜しいけれど、私に大切な用事があることを、彗も分かってくれている。別れ際に掛けられた「おやすみ。また明日」の言葉が、
玄関で靴を脱いだ私は、深呼吸する。手の中のスマホを操作して、
昼下がりのアトリエの庭で、黄色のミモザが輝いている。冬の終わりの
だから、やがて電話が繋がったとき、私は落ち着いて相手と向き合えた。
「
『……澪ちゃん』
昨日の英語の講義で会わなかっただけなのに、ずいぶん長い間、
「巴菜ちゃん。昨日、大学を休んだのは、私に会いたくなかったから?」
スマホで繋がる向こう側で、巴菜ちゃんが息を詰めた気配が伝わってくる。私がこんなにも直接的な言い方をするなんて、巴菜ちゃんには信じられなかったのだと思う。私だって、自分にこんな一面があったなんて知らなかった。私は、何者なのだろう。自問自答の答えは、今もまだ出ていない。永遠に分からないかもしれない。けれど、どんな顔でも、私は私だ。巴菜ちゃんから返事がないから、私はさらに続けた。
「大学を休むことは、巴菜ちゃんが決めることだから。私が口出しすることじゃないって、分かってる。でも、休むことを私の所為にしてるなら、それはやめてほしい」
『なっ……なんで、そんなことを言うのっ?』
巴菜ちゃんが、上ずった声で反論した。夜色の
『澪ちゃんに……私の気持ちなんて、分からないよ! 勉強もできて、
「巴菜ちゃん。私、本当は、大学に通えなかったかもしれないんだ」
――巴菜ちゃんが、また息を詰めた気配がした。
「理由は……言えないけど、でも、短期大学に通えるようになったの。二年間でも、家族が通わせてくれるのは嬉しいって、十分だって思ってたけど、二年じゃ足りなくなったんだ。勉強を突き詰めていく楽しさを、教えてくれた人がいたから。だから、編入試験を受けて、大学生を続けさせてもらったの。だから……巴菜ちゃんが、私と
――やっと、言えた。そんな実感が、胸の
「彗のことを、巴菜ちゃんが、星加くんに全部、話してたことも」
私は、本当は怒っていたのだ。けれど、私が怒っていた理由は、ただ言いふらされたからではなくて――ちゃんと言葉で伝えないと、巴菜ちゃんに気持ちを届けられない。
「彗との関係を、星加くんに話したこと自体は、構わないの。誰かに知られて困ることは、巴菜ちゃんにだって話してないから。私と彗の関係は、私と彗が納得していたら、それでいいと思ってる。だけど……巴菜ちゃんに、星加くんを取らないでって言われたことは、悲しかった。巴菜ちゃんは、私が彗と別れて星加くんを選ぶって、本気で思ったの?」
『それは……』
巴菜ちゃんが、言葉を詰まらせた。その姿は、フランス語への苦手意識を隠した私にそっくりで、ずっと
「私の気持ちを、疑わないで」
私と彗の関係は、私と彗が納得していたら、それでいい。だけど、身勝手な期待を寄せていると知っていても、友達には信じてほしかった。
「私の、彗に対する気持ちを、疑わないで」
スマホから、すすり泣きが聞こえてきた。『ごめんね』と聞こえた涙声からは、渦巻きの雲間から射す一条の光が感じられて、私も肩の力をようやく抜けた。
『あたし、澪ちゃんにひどいことばっかり言ったのに、今だって、言わせたくないことを言わせたのに、ちょっと安心したんだ。やっと、誰かに怒ってもらえたって……こんな自分、あたしが一番、嫌いだった……
「私、巴菜ちゃんのことが好きだよ」
三年生になった春に、新しい環境の心細さを吹き飛ばしてくれたのは、巴菜ちゃんだ。あのときに感じた嬉しさだって、私の本心だ。
「友達になってくれて、ありがとう」
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