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高岳相如

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高岳 相如(たかおか の すけゆき、生没年不詳[1])は、平安時代中期の官人・漢詩人。氏は高丘とも記される。字は高俊[1]右大史・高岳時光の子とも言われるが、出自は未詳[1]官位従五位下飛騨守

経歴

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文章生として紀伝道を学び、村上朝天徳応和年間(957年-964年)に慶滋保胤とその才をならび称される[1][2]応和3年(963年)『善秀才宅詩合』と安和2年(969年)『粟田左府尚歯会詩』に保胤とともに漢詩が採録された[1]。正

円融朝天元4年(981年権少外記に任ぜられると、天元5年(982年)少外記、永観2年(984年)大外記と円融朝末から花山朝にかけて外記局で昇任され、寛和元年(985年従五位下叙爵された。一条朝正暦年間(990 - 995年)飛騨守となった[1]藤原在国源為憲藤原為時らと詩席を設けたほか[1]清原元輔大中臣能宣らを自宅に招いて歌を詠じたこともある[1]

本朝文粋』や『和漢朗詠集』に詩文が残されている[1]。『和漢朗詠集』に掲載句が多いのは、選者の藤原公任が相如の弟子だからだと伝わる[1]

官歴

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『外記補任』による。

系譜

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  • 父:高岳時光(または時郷)[3]
  • 母:不詳
  • 生母不詳の子女
    • 男子:高岳頼言[3]
    • 男子:高岳相言[3]
    • 男子:高岳憲言[3]
    • 女子:春道範隆室[3]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 日本古典文学大辞典編集委員会『日本古典文学大辞典第4巻』岩波書店、1984年7月、128頁。 
  2. ^ 『日本人名大辞典』[要ページ番号]
  3. ^ a b c d e 鈴木真年『百家系図稿』巻9,高岳宿禰(宝賀[1986: 1472])

参考文献

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