飯沼信義
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飯沼 信義 | |
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生誕 | 1938年9月20日(86歳) |
出身地 | 日本 長野県安曇野市 |
学歴 | 東京芸術大学 |
ジャンル | クラシック |
職業 | 作曲家 |
活動期間 | 1938年 - |
飯沼 信義(いいぬま のぶよし、1938年9月20日 - )は、日本の作曲家[1]。
人物
[編集]長野県南安曇郡豊科町(現在の安曇野市)出身。長野県松本深志高等学校を卒業後、東京芸術大学音楽学部作曲科に進学、同専攻科修了。作曲を石桁眞禮生、ピアノを安藤仁一郎、小田雪江、遠山ゆや、指揮法を山田一雄にそれぞれ師事。
第32回日本音楽コンクール入賞。1964年より桐朋学園大学にて教鞭をとる。現在、桐朋学園大学名誉教授。日本現代音楽協会、日本作曲家協議会、作曲家の会《環》各会員。
主な作品
[編集]学校向けの合唱作品が多い。
- 麦藁帽子(立原道造 詩)
- 若葉よ来年は海へ行こう(金子光晴 詩)
- 名づけられた葉(新川和江 詩)
- 六年生の夏(関根栄一 詩)
- 手紙(石雅彦 詩)
- ブルゥブルゥブルゥ(新川和江 詩)
- うつくしい鐘が… (新川和江 詩)(第48回NHK全国学校音楽コンクール中学校の部課題曲)
- 『讃歌』信濃によせる合唱組曲「おいで光の子どもたち」より(島崎光正 詞)[2]
- 安曇野市歌 水と緑と光の郷(保岡直樹 詞)
- あづみの健康体操(編曲)
オペラ
[編集]校歌
[編集]- 安曇野市立穂高北小学校(務台理作 詩)
- 安曇野市立穂高西小学校(川田殖 詩)
- 北区立十条富士見中学校(金澤智恵子 詩)
- 長野市立篠ノ井西中学校(まど・みちお 詩)
- 長野県明科高等学校(峯村文人 詩)
- 長野県坂城高等学校(峯村文人 詩)
- 長野県田川高等学校(鈴木脩 詩)
- 長野県松川高等学校(井出賢次 詩)
- 長野県松本蟻ヶ崎高等学校(黒田美雄 詩)
- 松本市立波田小学校(窪田章一郎 詩)
- やなせ幼稚園(柳瀬劫子詩)
著書
[編集]- 「ロッホの訓戒 飯沼信義-随想・論攷選集」信濃毎日新聞社、2019年
脚注
[編集]- ^ “飯沼 信義 – 教育芸術社”. 2021年2月23日閲覧。
- ^ “信州大学教育学部附属松本中学校”. www.shinshu-u.ac.jp. 2021年2月23日閲覧。
- ^ 田中均, 井原西鶴. “《小判狂言》” (Japanese). opera.tosei-showa-music.ac.jp. 2021年2月23日閲覧。
- ^ 田中均, 井原西鶴. “《小判狂言》” (Japanese). opera.tosei-showa-music.ac.jp. 2021年2月23日閲覧。