福田泰三
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福田 泰三(ふくだ たいぞう、1886年(明治19年)12月12日[1][2] - 1964年(昭和39年)10月26日[2])は、昭和時代の政治家。山口県下関市長。
経歴
[編集]福田重治郎の二男として[1]、下関に生まれる[2]。1906年(明治39年)東京中学を卒業[1]。下関市議を22年、山口県議を12年、下関市長を3期12年歴任した[2]。
市長在任中は、関門商品取引所の誘致、下関水族館や火の山ロープウェイなどの観光施設の建設、下関市立大学・第一高校・体育館などの教育施設の整備に尽力した[2]。ほか、全国市長会副会長を歴任した[1]。
1964年(昭和39年)10月26日、肝臓がんのため死去した[2]。市葬が行われた[2]。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章等
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第21版 下』人事興信所、1961年。
- 中西輝磨『昭和山口県人物誌』マツノ書店、1990年。