浮島丸 (貨客船)
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(父島丸から転送)
浮島丸 | |
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基本情報 | |
船種 | 貨客船、航海練習船 |
船籍 | 日本 |
所有者 |
関西汽船(1960-1973) 小笠原海運(1973-1979) 長栄海運(1979-1984) |
運用者 |
関西汽船(1960-1973) 小笠原海運(1973-1979) 長栄海運(1979-1984) |
建造所 | 佐野安船渠(第166番船) |
航行区域 | 近海区域[1] |
信号符字 | JKYO |
改名 |
浮島丸(1960-1973) 父島丸(1973-1979) EVER TRAINING(1979-1984) |
経歴 | |
起工 | 1959年10月12日[1] |
進水 | 1959年12月18日[1] |
竣工 | 1960年3月20日[1] |
就航 | 1960年4月1日 |
最後 | 1984年10月、台湾の高雄で解体 |
要目 | |
総トン数 | 2,611.44 トン[1] |
載貨重量 | 2,218.00 トン[1] |
全長 | 89.30 m[1] |
垂線間長 | 82.60 m[1] |
型幅 | 13.70 m[1] |
型深さ | 6.90 m[1] |
満載喫水 | 5.415 m[1] |
機関方式 | ディーゼル |
主機関 | 神発-三菱長崎 7UET45/75 1基[1] |
推進器 | 1軸 |
出力 | 3,150 BHP[1] |
最大速力 | 16.9 ノット[1] |
航海速力 | 14.5 ノット[1] |
旅客定員 | 444名(この他臨時定員45名)[1] |
乗組員 | 61名(士官16名、船員45名)[1] |
浮島丸(うきしままる)は、関西汽船が運航した貨客船。後に小笠原海運で父島丸として小笠原航路に就航した。
概要
[編集]関西汽船の阪神 - 琉球問定期航路貨客船として、第15次計画造船において建造が許可された。建造は佐野安船渠で行われ、1959年12月18日に進水、1960年3月20日に竣工した[1]。同年4月1日から阪神 - 奄美 - 沖縄航路に就航した。
1973年3月、小笠原海運に売却され、父島丸となり、椿丸の代船として同年4月8日から東京 - 小笠原航路に就航した。当時の航海時間は片道38時間であった。
1979年4月、おがさわら丸 (初代)の就航により台湾の長栄海運に売却され、EVER TRAININGとなり、航海練習船として使用された。
1984年10月、スクラップのため高雄に回航され、その後解体された。
設計
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
船型は荒天時の耐波性を考慮して長船首楼型とされ、船尾には追い波の打ち込みを防ぐため船尾楼が設けられた。機関室は中央配置で、船首側にNo.1貨物艙、No.2貨物艙、船尾側にNo.3貨物艙が配置されており、第二甲板の三等客室うち2室は予備貨物艙兼用とされた。
船内
[編集]船室
[編集]クラス | 部屋数 | 定員 | 設備 |
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特別二等客室 | (洋室)2名×2室 | 4名 | シングルベッド2台、洗面器、ティーテーブル、椅子2脚 |
二等客室 | (洋室)4名×4室 (和室)9名×3室 |
44名 | (洋室)2段ベッド2組、テーブル、ソファ |
特別三等客室 | (和室)13名×2室 (和室)12名×2室 (和室)11名×2室 |
72名 | 畳敷き |
三等客室(上甲板) | 85名×1室 | 323名 | 畳上カーペット敷き、荷物棚 |
三等客室(第二甲板) | 船首部:68名×1室 中央部:106名×1室 船尾部:64名×1室 |
設備
[編集]- 案内所
- 売店
- ダイニング・サルーン(二等客用)
- ラウンジ(二等客用)
- 浴室(二等客用洋式1箇所、和式1箇所、三等客用1箇所)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 関西汽船株式会社工務部「貨客船浮島丸について」『関西造船協会誌』第98号、公益社団法人日本船舶海洋工学会、1960年8月24日、39-45頁、NAID 110003872544、2017年2月6日閲覧。