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恒松隆慶

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恒松隆慶

恒松 隆慶(つねまつ りゅうけい[1] / たかよし[2]1853年6月17日(嘉永6年5月11日[1][注 1])- 1920年大正9年)6月29日[1][2])は、日本の地主政治家実業家衆議院議員。旧姓・楫野、幼名・鉄三郎[1][3]

経歴

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石見国邇摩郡静間村(現島根県大田市)で、地主・楫野淳吉郎の三男として生まれ、慶応3年4月11日(1967年5月14日)に母の実家である安濃郡長久村の恒松家当主・六右衛門の養嗣子となる[1][3][4][5] 。泉全斎、恒松圭山(愛軒)から漢学を学んだ[1][2][4][5]

17歳で野井村年寄役に就任[1][3]。1872年(明治5年)鳥井村外八ケ村戸長に就任し、以後、地租改正収穫検査顧問惣代、山野改租顧問人、邇摩郡・安濃郡書記などを務めた[1][5]。1881年(明治14年)島根県会議員となる[1][3][5]。1882年(明治15年)小原鉄臣、佐々田懋らと石見立憲党を設立して、自由党系の自由民権運動を展開した[1]。1883年(明治16年)6月、家督を相続し恒松家10代当主となる[5][6]。1892年(明治25年)島根県会議員に再選され、1893年(明治26年)4月に副議長[7]、1894年(明治27年)2月議長に就任した[1][5][7][注 2]。その他、長久村会議員、安濃郡会議員、地方衛生委員、農事試験委員、勧業諮問委員、島根県徴兵参事員、水産連合会議所所長、島根県蚕糸協会幹事長、衛生会長、安濃郡農会長、日本赤十字社島根県支部幹事などを務めた[2][4][5]。また、1897年(明治30年)安濃銀行を設立して監査役となり、石見銀行設立の発起人ともなり取締役に就任した[1][2][4][5]。さらに簸上鉄道監査役も務めた[2]

1894年3月、第3回衆議院議員総選挙に島根県第4区から出馬して当選[1][2][3]。その後第11回総選挙まで連続8回当選し、さらに第13回総選挙でも当選し、衆議院議員を通算10期務めた[1][2][3]立憲政友会に所属して、発会準備委員、院内主事、院内幹事、幹事、政務調査会理事を務めた[1][8]。議会には多くの法案と建議案を提出し、山陰縦貫鉄道の開通、農水産業の振興に尽力した[1][3][4][5]

著作

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  • 述『北海道視察談話』黒津静、1897年。
  • 述『公共的貯蓄に就て』恒松隆慶、1903年。
  • 編『井戸明府』恒松隆慶、1911年。
  • 編『贈従四位大国隆正』恒松隆慶、1916年。

親族

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  • 妻 ヤヱ(恒松与吉郎の娘、衆議院議員・恒松於菟二の叔母)[6]
  • 養嗣子 嘉吉(旧姓・岩谷)[6]
  • 長女 ケン(嘉吉の夫)[6]
  • 安夫(嘉吉・ケン夫妻の二男、島根県知事)[6]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『衆議院議員列伝』269頁では、嘉永3年9月11日。
  2. ^ 『衆議院議員列伝』269頁では、1892年に副議長、1893年に議長に就任。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『島根県大百科事典』下巻、126頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 – 衆議院議員名鑑』415頁。
  3. ^ a b c d e f g 『島根県歴史人物事典』376頁。
  4. ^ a b c d e 『衆議院議員略歴』200頁。
  5. ^ a b c d e f g h i 『衆議院議員列伝』269-270頁。
  6. ^ a b c d e 『人事興信録』第5版、つ33-34頁。
  7. ^ a b 島根県議会
  8. ^ 『立憲政友会功労者追遠録』235頁。

参考文献

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  • 『島根県歴史人物事典』山陰中央新報社、1997年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『島根県大百科事典』下巻、山陰中央新報社、1982年。
  • 『第一回乃至第十九回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1936年。
  • 青野権右衛門編『立憲政友会功労者追遠録』安久社、1933年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第5版、1918年。
  • 山崎謙編『衆議院議員列伝』衆議院議員列伝発行所、1901年。

外部リンク

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