岡田良一郎
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岡田良一郎(おかだ りょういちろう、雅号淡山、天保10年10月21日(1839年11月26日) - 大正4年(1915年)1月1日)[1]は、日本の農政家、報徳運動家、実業家、政治家、衆議院議員。遠江国報徳社社長、掛川信用金庫(現島田掛川信用金庫)創業者。
概要
[編集]二宮尊徳の弟子として報徳思想の普及に尽力し、地域の振興に努めた。
遠江国佐野郡倉真村(現在の静岡県掛川市倉真)出身。雅号の淡山は、掛川にある粟ヶ岳(淡ヶ岳)にちなんでいる。
家族・親族
[編集]- 父親は遠江国佐野郡倉真村(現・掛川市)の豪農・岡田佐平治[2]
- 長男は岡田良平。岳父に石黒務
- 次男は男爵一木喜徳郎
- 三男は竹山純平。養家の竹山家は母の実家。東京帝国大学法科大学卒。第一銀行監査役などを務め、静岡県多額納税者。[4]
- 五男は岡田分平で、実子がなかった長兄良平の養嗣子となる。
門下
[編集]略歴
[編集]- 1839年 ‐ 遠江国佐野郡倉真村(現在の静岡県掛川市倉真)の大庄屋の家に生まれる
- 1854年 ‐ 父の岡田佐平治清忠とともに二宮尊徳の弟子となる
- 1875年 ‐ 遠江報徳社を設立する
- 1877年 ‐ 自宅に私塾冀北学舎(現在の静岡県立掛川西高等学校)を設立する
- 1878年 ‐ 掛川農学社を設立する
- 1879年 ‐ 勧業資金積立組合(現在の島田掛川信用金庫)を設立する
- 1880年 ‐ 静岡県立掛川中学校(現在の静岡県立掛川西高等学校)の初代校長に就任する
- 1911年 ‐ 遠江報徳社を大日本報徳社に改称し、全国の報徳社の中心組織とする。
栄典
[編集]脚注
[編集]関連項目
[編集]非営利団体 | ||
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先代 (新設) |
大日本報徳社社長 初代:1911年 - 1912年 |
次代 岡田良平 |
先代 岡田佐平治 |
遠江国報徳社社長 第2代:1876年 - 1911年 |
次代 (廃止) |