安部幸明
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安部 幸明 | |
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生誕 | 1911年9月1日 |
出身地 | 日本 広島県広島市 |
死没 | 2006年12月28日(95歳没) |
学歴 | 東京音楽学校 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 作曲家 |
安部 幸明(あべ こうめい、1911年9月1日 - 2006年12月28日)は日本の作曲家。
経歴
[編集]広島県広島市の軍人の家庭に生まれる。中学のころから音楽に興味を持ち始め、1929年(昭和4年)に東京音楽学校に入学してチェロを専攻。チェロをハインリヒ・ヴェルクマイスターに師事するも、やがてプリングスハイムに作曲を[1]、ローゼンストックに指揮を学ぶ。1936年(昭和11年)新興作曲家連盟に参加[2]。同年末服部正が創設したコンセール・ポピュレール(後の青年日本交響楽団)に、チェロ奏者として参加している[3]。1939年に「チェロ協奏曲」でワインガルトナー賞一等賞を獲得し[4]、深井史郎・山田一雄・小倉朗らと同人「プロメテ」を設立。
終戦で除隊後も旺盛な作曲活動を続け平尾貴四男や高田三郎らで「地人会」を結成。伝統的な作風の新古典主義的な作曲家の1人であった。2つの交響曲と15の弦楽四重奏曲をはじめ、多くの室内楽曲や歌曲などを書いた。また、教授を務めた京都市立芸術大学、エリザベト音楽大学ほかで指導にあたり多くの後進を育てた。広島交響楽団の常任指揮者を務めるなど、広島の音楽界の草分けとしても知られた。1958年に芸術選奨文部大臣賞受賞、1960年に芸術祭 (文化庁)奨励賞受賞、1985年に勲三等瑞宝章受章。2006年12月28日午前9時、心不全のため東京都練馬区の老人ホームで死去。95歳。死後、従四位に叙された。
主要作品
[編集]→「安部幸明の楽曲一覧」も参照
管弦楽曲
[編集]- オーケストラのための主題と変奏曲(1936年)
- オーケストラのための小組曲(1936年)
- チェロ協奏曲(1937年)―ワインガルトナー賞1等賞受賞
- ピアノとオーケストラのためのパストラール(1945年)
- 喜遊曲―アルトサキソフォーンとオーケストラのための(1960年)
- 交響曲第1番(1957年) Symphony
- 交響曲第2番(1960年)
- オーケストラのためのセレナーデ(1963年)
- シンフォニエッタ (1964年) Sinfonietta
- 弦楽合奏のためのピッコラ・シンフォニア(1985年) Piccola sinfonia
吹奏楽曲
[編集]- 南十字星下を行く(1942年)
- 行進曲「あふれる元気」 March "Virgo! it's wonderful"
室内楽曲
[編集]- 弦楽四重奏曲第1番(1935年)
- 弦楽四重奏曲第2番(1936年)
- 弦楽四重奏曲第3番(1939年)
- フルートとピアノのためのソナタ第1番(1942年) Sonata no. 1 for flute and piano
- クラリネット五重奏曲(1942年)
- 弦楽四重奏曲第4番(1943年)
- 弦楽四重奏曲第5番(1946年)
- 弦楽四重奏曲第6番(1948年)
- フルートとピアノのためのソナタ第2番(1949年)
- 弦楽四重奏曲第7番(1950年)
- アルトサクソホーンとピアノのための嬉遊曲(1951年) Divertimento for alto saxophone & piano
- 弦楽四重奏曲第8番(1952年)
- 9楽器のための喜遊曲(1954年)
- 弦楽四重奏曲第9番(1955年)
- 六重奏曲(1964年)
- 弦楽四重奏曲第10番(1979年)
- 弦楽四重奏曲第11番(1983年)
- 弦楽四重奏曲第12番(1989年)
- 弦楽四重奏曲第13番 - 紛失
- 弦楽四重奏曲第14番(1991年)
- 弦楽四重奏曲第15番(1993年)
独奏曲
[編集]- こどものための3つのソナチネ(1972年) 3 sonatinas for children
- やさしいこどものピアノ曲集「夢の世界」(1986年) Easy piano pieces for children "Dreamland"
独唱曲
[編集]()内の人物は作詩。
合唱曲
[編集]校歌
[編集]- 広島市立舟入高等学校校歌
- 東京都立武蔵丘高等学校校歌
- 京都市立洛北中学校校歌
- 呉市立阿賀中学校校歌
その他
[編集]- 皇宮警察歌(白岩晃)