太上王
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太上王(だいじょうおう、朝鮮語: 태상왕・テサンワン)は、譲位後の国王に対して使われた尊号。上王(じょうおう、サンワン)または太上国王とも呼ばれる。中国では譲位後の皇帝を太上皇、日本では譲位後の天皇を太上天皇と呼んだことに由来する。
概要
[編集]上王が存命中に次の国王がまた譲位すると、譲位後のその国王が新しく上王と呼ばれるようになり、それまでの上王だった前国王は太上王と呼ばれる。
李氏朝鮮第26代国王の高宗は、大韓帝国の成立とともに皇帝となったため、その譲位後は太上皇とよばれた。
歴史
[編集]高句麗
[編集]新羅
[編集]後百済
[編集]- 甄萱 - 国王:900年-935年、上王:935年-936年 (935年、王位継承問題で長男の甄神剣(けん しんけん、キョン・シンゴム)によって金山寺に流されたが脱出、王建に投降して尚父(しょうほ、サンボ)(「父として尊ぶ」の意)の称号と食邑として楊州を与えられた。
高麗
[編集]- 定宗 - 国王:945年-949年、上王:949年(949年3月、定宗は王位を同母弟(後の光宗)に譲って後宮に移る。)
- 献宗 - 国王:1094年-1095年、上王:1095年-1097年(1095年に政変が起こり、鶏林公が反対勢力を駆逐して実権を握った。同年10月、献宗は王位を鶏林公(後の粛宗)に譲って後宮に移る。)
- 忠烈王 - 国王:1274年-1298年、1298年-1308年、上王:1298年
- 忠宣王 - 国王:1298年、1308年-1313年、上王:1308年
- 忠粛王 - 国王:1313年-1330年、1332年-1339年、上王:1330年-1332年
- 忠恵王 - 国王:1330年-1332年、1339年-1344年、上王:1332年-1339年
- 恭譲王 - 国王:1389年-1392年、上王:1392年(恭譲王は李成桂に王位を譲り、杆城に追放となる。)
朝鮮
[編集]- 1代 太祖 - 国王:1393–1398年、上王:1398–1400年、太上王:1400–1408年
- 2代 定宗 - 国王:1398–1400年、上王:1400–1418年、老上王:1418–1419年
- 3代 太宗 - 国王:1400–1418年、上王:1418–1421年、太上王:1421–1422年
- 6代 端宗 - 国王:1452–1455年、上王:1455–1456年 - その後魯山君に左降され、さらに庶人とされた。粛宗代の1691年に名誉回復され「端宗」の諡号を贈られて歴代国王の列に加えられた。
- 7代 世祖 - 国王:1455–1468年、上王:1468年
- 11代 中宗 - 国王:1506–1544年、上王:1544年
その他の国々
[編集]ベトナム
[編集]ベトナムの鄭阮戦争時鄭主と広南国に各1人の太上王が存在した。
カンボジア
[編集]- ノロドム・シハヌーク - 国王:1993年-2004年、上王:2004年-2012年 - 滞在先だった中華人民共和国では太皇と呼ばれた[1]。
ブータン
[編集]- ジグミ・シンゲ・ワンチュク - 国王:1972年-2006年、上王:2006年-
脚注
[編集]- ^ “魁星之陨——缅西哈努克太皇”. チャイナデイリー. (2013年2月4日) 2019年5月4日閲覧。