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壺坂霊験記

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壷阪霊験記から転送)

壺坂霊験記』(つぼさかれいげんき)は、明治時代に作られた浄瑠璃の演目。盲人とその妻の夫婦愛を描いた世話物、一段。歌舞伎講談浪曲の演目にもなり、人気を集めた。『壺坂観音霊験記』『壺坂』とも言う(「阪」を使う場合も)。

概要

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1875年ごろに書かれた原作者未詳の浄瑠璃『観音霊場記』に2世豊沢団平・加古千賀夫妻が加筆・作曲し、1879年大阪大江橋席にて初演された[1](大江橋席初演は1883年とする説も[2])。主人公は座頭三味線弾きである沢市とその妻・お里。お互いを思いやるがゆえに生じた悲劇を、壺阪寺の本尊である十一面観音が救済する話である。「三つ違いの兄さんと~」の下りが巷で流行るほど人気を博し[3]、歌舞伎、講談でも演じられ、1921年には東家三笑が歌ったのを皮切りに浪曲にも取り入れられ、浪花亭綾太郎による「妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ~」の名調子で一躍有名になった[4][5]

壺阪寺には、もうひとつの壺坂霊験記として、親孝行の姫が大蛇とともに昇天する「さよ姫伝説」も伝承されている[6][7]。こちらは、唐津に伝わる「松浦佐用姫伝説」や説教節の「松浦長者」と同じあらすじ。

あらすじ

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盲目の沢市は、妻のお里が明け方になると出掛けていくのに気付き、男ができたのではと疑い妻を問い詰める。お里はこの三年間、沢市の目が治るようにと壷阪寺の観音様に願掛けに行っていたと打ち明ける。邪推を恥じた沢市は、お里とともに観音詣りを始めるが、目の見えない自分がいては将来お里の足手まといになると考え、満願の日にお里に隠れて滝壺に身を投げる。夫の死を知り悲しんだお里も、夫のあとを追って身を投げてしまう。二人の夫婦愛を聞き届けた観音の霊験により奇跡が起こり、二人は助かり、沢市の目も再び見えるようになる。

備考

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  • 沢市が盲目になったのは実は白内障であり、滝に飛び込んだ衝撃で治ったのであろう、とする説がある[8]
  • 文楽義太夫節三味線方である2世豊澤團平・加古千賀夫妻による「壺坂霊験記」制作秘話をモデルに、溝口健二監督映画『浪花女』が製作された[9]
  • 壺阪寺の本堂横手には、お里と沢市が身を投げたとされる谷がある[10]

脚注

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  1. ^ 壺坂霊験記とはkotobank
  2. ^ 『文楽浄瑠璃物語』竹本住太夫著 (正文館書店, 1943)
  3. ^ 『壷阪霊験記 : 沢市お里の実伝』旭堂南陵 講演[他 (国華堂, 1910)]
  4. ^ 1925年(大正14)浪花節「壷阪寺」浪花亭綾太郎、ライオン。近代日本芸能年表下p.23
  5. ^ 北川純子「浪花亭綾太郎《壷坂霊験記》の二種の録音の分析」『大阪教育大学紀要 第I部門 人文科学』第61巻第1号、大阪教育大学、2012年9月、1-18頁、CRID 1390572175754532352doi:10.32287/td00027290ISSN 0389-3448 
  6. ^ もうひとつの霊験記 さよ姫伝説壺阪寺公式サイト
  7. ^ 特別展 世話物の世界 - 壺坂観音霊験記より曳山博物館ニュース、平成25年11月11日
  8. ^ 觀音靈驗記新解釋「壺坂寺觀音靈驗記」 -『観音経を語る : 並法華経』岡本かの子 (大東出版社, 1942)
  9. ^ 浪花女(1940)Allcinema
  10. ^ 壺阪霊験記「雅菊」壺阪寺公式サイト

参考文献

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  • [1]『壺阪寺』(竹二筆記)、 森鴎外による「壺坂霊験記」評、鴎外全集 第3巻、 p.293

外部リンク

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