中野滋樹
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JR九州硬式野球部 監督 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大分県臼杵市 |
生年月日 | 1980年8月1日(44歳) |
身長 体重 |
176 cm 76 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
監督・コーチ歴 | |
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この表について
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中野 滋樹(なかの しげき、1980年8月1日 - )は、大分県臼杵市出身[1]の元社会人野球選手(捕手)、野球指導者。
人物・来歴
[編集]柳ヶ浦高等学校では同学年の古卿大知とともに2年の夏からレギュラーとなり[2]、3年次に夏の甲子園に出場。初戦で松坂大輔らを擁する横浜高校に敗れた。東洋大学では2年上に小川将俊(後に中日)、同級生の飯田庸資の存在があり[3]控えだった。
大学卒業後はミキハウスに入社。1年目の2003年からレギュラー捕手となり、日本選手権では首位打者賞を獲得する活躍でベスト4進出に貢献するも、能見篤史を擁する大阪ガスに敗れた[4]。2004年のシーズン終了後、ミキハウスが企業スポーツ活動の見直しで野球部の活動を大幅縮小したのに伴い、吉田博之監督の誘いを受けてJR九州に移籍[5]。
移籍1年目から正捕手となり、小松聖や藤岡好明、補強選手の川崎雄介らの能力を引き出す好リード[5]で都市対抗でのベスト4進出を支えた。秋には九州予選の第1代表決定戦で決勝本塁打を放ち、日本選手権出場を決めている[6]。2006年には高根沢力が引退したアマ日本代表に招集され、鈴木健司らとともに正捕手として期待をかけられていた[7]。30歳を過ぎてから日本代表に多く選ばれるなど、息の長い活躍を見せた。
現役引退後はJR九州でコーチを務め、2021年をもってコーチを退任した[8][9]。
日本代表キャリア
[編集]- 第23回ハーレムベースボールウィーク日本代表(2006年)
- 第15回アジア競技大会野球日本代表(2006年)
- 第16回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表(2006年)
- 第39回IBAFワールドカップ日本代表(2011年)
- 第26回アジア野球選手権大会日本代表(2012年)
- 第6回東アジア競技大会野球日本代表(2013年)
- 第17回アジア競技大会野球日本代表(2014年)
- 2015年アジア野球選手権大会(2015年)
主な表彰・タイトル
[編集]- 社会人野球日本選手権首位打者賞(2003年)
- 都市対抗野球大会 首位打者賞(2010年)
- 社会人ベストナイン(2010年・捕手)
- 都市対抗野球大会10年連続出場(2014年)
脚注
[編集]- ^ “中野 滋樹 | 侍ジャパン選手プロフィール”. 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト. 2022年8月21日閲覧。
- ^ 朝日新聞、1997年6月20日付朝刊、大分地方面
- ^ 毎日新聞、2005年8月19日付朝刊、福岡地方面
- ^ 毎日新聞、2003年11月30日付朝刊、P.27
- ^ a b 毎日新聞、2005年9月9日付西部版夕刊、P.10
- ^ 毎日新聞、2005年10月22日付朝刊、福岡地方面
- ^ 毎日新聞、2006年11月27日付朝刊、P.19
- ^ “JR九州硬式野球部 今季勇退者と来季新人を報告”. 交通新聞 電子版 (2021年12月13日). 2022年8月21日閲覧。
- ^ a b “R九州が必勝祈願 中野監督「全員がケガなく戦え、日本一が勝ち取れるように祈った」”. スポニチ (2023年1月26日). 2023年2月4日閲覧。