中野善敦
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中野 善敦(なかの よしあつ、1896年(明治29年)9月[1] - 1972年(昭和47年)12月21日[2])は、日本の内務官僚、弁護士。官選県知事。
経歴
[編集]東京府出身。中野政方の三男として生まれる[1]。第一高等学校を卒業。1920年、東京帝国大学法学部法律学科(仏法)を卒業。内務省に入省し内務属となる。1921年11月、高等試験行政科試験に合格した[1][3]。
以後、奈良県書記官・学務部長[4]、栃木県書記官・警察部長、社会局書記官・労働部労務課長、神奈川県総務部長などを歴任[1]。
1939年4月、高知県知事に就任[5]。同年12月、文部省普通学務局長に転任[6]。1942年5月、岐阜県知事となる。満州報国農場の設置、中小商工業再編、授産事業などを推進した。1943年7月に知事を退任した[1]。同年に退官し、戦後、公職追放となった[3]。その後、弁護士となる[2]。
脚注
[編集]参考文献
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