ヘルソン州
- ヘルソン州
- Херсонська область
-
州旗 州章 -
国 ウクライナ 州庁所在地 ヘルソン 面積
- 総計
- 陸地
- 水域全ウクライナ第7位
28,461 km²
? km²
? km² (?%)人口(2006年)
- 総計
- 人口密度全ウクライナ第21位
1,126,000人
39.58人/km²地区 18 領域共同体 x,xxx 市町村総数
- うち市の数
- うち町の数
- うち村の数
9
30
658州知事 ゲンナジー・ラグタ(ムィコラーイウ州に避難) ISO 3166-2:UA UA-65 電話番号コード +380-55 公式サイト 合同庁
ヘルソン州(ヘルソンしゅう、ウクライナ語: Херсонська область ヘルソーンスィカ・オーブラスチ)はウクライナの州の一つ。ヘルソーン州とも。州都はヘルソン。2022年9月30日にロシアが併合を宣言した[1]。
地理
[編集]ウクライナの南部に位置しており、黒海、アゾフ海、アゾフ海の一部でクリミア半島との間に広がる腐海に面している。州内にはドニエプル川が流れている。
歴史
[編集]かつてはクリミア・ハン国の領土であったが、1783年にロシア帝国に併合され、ノヴォロシア県となった。1802年には同県は解体され、現在のヘルソン州のドニプロ川以北にはヘルソン県が、ドニプロ川以南にはタヴリダ県が置かれていた。
2014年ロシア軍によるクリミア侵攻では、ヘルソン州にロシア軍が進軍した。3月15日、石油資源へのテロ攻撃の可能性を封じるためとして、ロシア軍兵士約60名、ヘリコプター6機、装甲車両3台を派遣、ストリルスコエ村に入った[2]。
2022年ロシアのウクライナ侵攻ではロシアが同州の全域制圧を宣言した[3]。ロシア軍によって設立された暫定政権「ヘルソン州軍民行政府」長官のヴォロディミール・サルドは同年5月23日、ロシア・ルーブルをウクライナ・フリブナと並行して流通させることを発表した[4]。
2022年9月23日から27日にかけてヘルソン州などロシア軍の占領地域においてロシアへの併合を問う住民投票が執行された。その結果、いずれの地域でも賛成が9割を超える圧倒的多数で併合が承認されたとする結果が発表され[5]、9月29日にロシアのウラジーミル・プーチン大統領はヘルソン州を「独立国家」として承認[6]、9月30日にはロシアへの併合を宣言し、即座に編入条約に調印した[1]。これによりロシアはヘルソン州を自国の一部と見做すこととなったが、ウクライナ並びに西側諸国は住民投票や併合宣言の有効性を認めていない[1]。
また併合後は、ウクライナ軍がヘルソン州の一部地域(州都ヘルソンなど)を奪還したと発表した
2023年6月6日、ドニエプル川上流のカホフカダムの破壊が深刻化し、州内で洪水が発生。多数の住宅や農地が浸水した[7]。
2023年9月8日、ロシアによる一方的な併合宣言後、初めてとなるロシアの統一地方選挙が実施され、ロシア軍占領下のヘルソン州内でも州議会選挙の投票が行われた[8]。
人口
[編集]2001年ウクライナ国勢調査によるデータ。
- 総人口: 1,175,100人[9]
- 都市人口: 706,200人(60%);農村人口: 468,900人(40%)[10]
- 性別人口:男性は 548,500人(47%);女性は 626,600人(53%)[11]
脚注
[編集]- ^ a b c “プーチン大統領、ウクライナ4州併合条約署名 演説で戦況触れず”. ロイター. (2022年9月30日) 2022年10月1日閲覧。
- ^ “ロシア、クリミア隣接地域に「進軍」 ウクライナが撤収要求”. CNN.co.jp (2014年3月16日). 2014年3月16日閲覧。
- ^ “南部ヘルソン州巡り、親露派勢力はロシア編入要請…ウクライナ軍は「州を解放する」”. 読売新聞 (2022年5月12日). 2022年6月1日閲覧。
- ^ “南部ヘルソン州でルーブル流通 ウクライナ通貨と並行”. 共同通信 (2022年5月23日). 2022年6月1日閲覧。
- ^ “ロシア、ウクライナ4州の「住民投票」で勝利主張 西側は「茶番」と非難”. BBC News. BBC. (2022年9月28日) 2022年10月1日閲覧。
- ^ “ロシア大統領、ウクライナ南部2州の独立承認 きょう「編入条約」調印”. 時事ドットコム. 時事通信社. (2022年9月30日) 2022年10月1日閲覧。
- ^ “ウクライナのダム決壊、1.7万人が避難 米政府「多数死亡の恐れ」”. AFP (2023年6月7日). 2023年6月9日閲覧。
- ^ “ウクライナ、ロシアによる占領地での「偽の選挙」非難”. AFP (2023年9月8日). 2023年9月9日閲覧。
- ^ ウクライナ国立統計委員会 (2001年12月5日). “2001年ウクライナ国勢調査。ウクライナの総人口” (ウクライナ語). 2011年12月14日閲覧。
- ^ ウクライナ国立統計委員会 (2001年12月5日). “2001年ウクライナ国勢調査。ウクライナの都市人口・農村人口” (ウクライナ語). 2011年12月14日閲覧。
- ^ ウクライナ国立統計委員会 (2001年12月5日). “2001年ウクライナ国勢調査。ウクライナの性別人口” (ウクライナ語). 2011年12月14日閲覧。
参考文献
[編集]- 伊東孝之, 井内敏夫, 中井和夫編 『ポーランド・ウクライナ・バルト史』(世界各国史; 20) - 東京: 山川出版社, 1998年. ISBN 9784634415003
- ISBN 4121016556 黒川祐次著 『物語ウクライナの歴史 : ヨーロッパ最後の大国』(中公新書; 1655年) - 東京 : 中央公論新社, 2002年.
- Історія міст і сіл Української РСР: Херсонська область. — Київ: УРЕ АН УРСР, 1971.