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ノート:塚原卜伝

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記事名について

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(節名を追記しました-- 2012年2月22日 (水) 16:23 (UTC)[返信]

記事名で「塚原卜伝」とも書くのでは? 少々おぼつかないため、何とも言えませんが。書き足す場合でも良いので。Sat.K 2004年8月20日 (金) 08:56 (UTC)[返信]

朴伝よりも卜伝の方が一般に膾炙されていると思われるため、移動させました。ちなみにググったところ、「塚原卜伝」が3430件、「塚原朴伝」は110件でした。Yakouhai 2004年8月20日 (金) 08:56 (UTC)[返信]

移動させた後で気が付いたのですが、ここは「塚原卜伝」より、正式な「塚原高幹」とすべきでしょうか?--Yakouhai 2005年8月4日 (木) 22:18 (UTC)[返信]

卜伝のままでもよろしいかと思います。諱よりは現代まで広く伝えられている名前を「正式名」とした方が好ましいと思います。例えば宮本武蔵(諱は玄信)のように。--Bellcricket 2006年8月23日 (水) 13:52 (UTC)[返信]

外部リンクについて

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この編集で追加された外部リンクについて。このリンクの掲載には、過去たびたび編集合戦が起きています。[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12]。 除去した方はIP氏を含め複数で、掲載された方はお一人です。掲載された方は一次資料が紹介され検証可能な論考と主張されていらっしゃるようですが、除去された方は「外部リンクの選択に際しても、ウィキペディアの3大方針である中立的な観点、検証可能性、独自研究は載せないの指針を適用すること」に抵触、「参考文献に耐えられる内容ではない。学会や歴史家などの査読をとうしたものではなく、一方向な個人のプライベートな文章を参考文献として引用するのは歴史捏造」などといった理由を挙げられています。私もWP:ELに鑑みて、適切なサイトとは思えず、除去すべきと考えます。他にも、雲林院松軒飯篠家直天真正伝香取神道流須賀利御太刀など(まだあるかもしれません)で同サイトに外部リンクが張られていますが、これらも同様に考えます。WP:EL#基本的な考え方の「6.外部リンクの選択に際しても、ウィキペディアの3大方針である中立的な観点、検証可能性、独自研究は載せないの指針を適用すること」に抵触せず、WP:EL#掲載してよい外部リンクの「2.情報の信頼性、検証可能性などにおいて書籍や学術論文などと同等の水準を保っており、出典、参考文献として掲げるに値するサイト」であることが明確に立証されない限りは除去すべきと考えますが、いかがでしょうか。--立花左近 2011年12月12日 (月) 11:28 (UTC)[返信]

(追記) 新陰流北畠具教亀山市倭姫命ヤマトタケル疋田景兼上泉信綱にも同サイトへのリンクがありました(まだ漏れがあるかもしれません)。--立花左近 2011年12月12日 (月) 12:02 (UTC)[返信]

初めましてwikipedia:塚原卜伝に『(7)塚原卜傳「一の太刀」伝承に就いて』の外部リンクをさせて頂きましたTEKEBARUと申します。師走の取り込みでお返事が遅くなりました。御投稿での「編集合戦」との御指摘ですが、当リンクを削除された方々がwikipediaで定められたエチケット並びにルールに沿った削除ではない為「合戦」には当りません。先ずは申し添えさせて頂きます。
削除が開始された2010年6月から2011年7月6日の最終削除まで、計6回の削除理由は「無言での削除(白紙化)」が2回、「当リンクはスパムリンク」と誹謗中傷のたぐいが2回、2011.03.19(外部リンクの選択に際しても、ウィキペディアの3大方針である中立的な観点、検証可能性、独自研究は載せないの指針を適用すること。”に抵触する外部リンクを削除)、2011.07.06(参考文献に耐えられる内容ではない。学会や歴史家などの査読をとうしたものではなく、一方向な個人のプライベートな文章を参考文献として引用するのは歴史捏造と言)、の削除理由については討論議論を要しますが各1度丈の投稿となっています。
『(7)塚原卜傳「一の太刀」伝承に就いて』のリンクは版元「无手塾」様の了解を頂きTEKEBARUの責任に於いて貼らさせて頂きました。当論考はタイトルの前に(7)の数字が付されていますが如く、橋本菊月斎氏論考「新當流」 の一部論考です。「无手塾」ホームページ「新當流」の見出し説明文で熊本県城南町教育委員会と九州文化財研究所共同主催で2009.02.20~03.22迄城南町歴史民俗資料館に於いて『新史料による「天草・島原の乱」-その時、徳川幕府はどう考えたか-』の展示会が開催されました。その際、「雲林院家文書」が出展され、その中の「雲林院光秀宛塚原卜傳允可状」も公開されました。まさに驚天動地の超一級史料です。展示会でこの允可状を目の当たりにして国立熊本大学吉村豊雄文学部教授は感想を次の如く述べられています。此の歴史的な展示会が開催されて既に3年経過致しますが橋本菊月斎氏以外、武道史関係者、有名国立大学歴史学者の解説は無く、一番最初に解説を加えた当論考の意義は大きいと感じるのは私一人ではないと考えます。「九文研ウェブ・文化財ニュース」
この史料が公開される前に唯一「雲林院弥四郎」を武道家として重要人物である事を研究された方がいました。山本博文東京大学大学院教授がその人です。「宮本武蔵」研究の為、熊本藩「細川家文書」で一万点を超える書状の中から「雲林院弥四郎」を見出され着目されていたのです。流石の御慧眼と恐れ入る次第です。(小島英煕、宮本武蔵の真実)
橋本菊月斎氏の「新當流」論考は「雲林院弥四郎宛塚原卜傳允可状」が古今東西初めて公開されて、初めて学研的解説論考である事は明白であります。以上、要約ながら縷々述べましたが、橋本菊月斎氏論考「新當流」の一部『(7)塚原卜傳「一の太刀」伝承に就いて』は、wikipediaの掲載してよい外部リンクの「2、情報の信頼性、検証の可能性において出典、参考文献として掲載するに値するサイト」に該当致しますので何等問題は無いと考えます。
橋本菊月斎氏は、これまでの時代が解らぬ古伝承だけに基づいた「伊勢愛洲氏五ケ所出自説」を伊勢太神宮神官荒木田氏経卿に依る「内宮引付」や同じく神官に依る「荒木田守あさ引付」更に「大乗院寺社雑事記」等、正史研究でも一級史料や「南狩なんしゅう遺文」「大日本史料」等を駆使され文明年間愛洲伊予守忠行が伊勢太神宮神領奉行であった事を証明されました。依って「情報の信頼性、検証可能性等において書籍や学術論文等と同様の水準を保っており」三重県立図書館国立国会図書館でのレファレンス共同データベース等で採用されていることでも裏付けられています。以上、御参考まで。--TEKEBARU 2011年12月25日 (日) 03:49 (UTC)[返信]
ご丁寧なご返答ありがとうございます。編集合戦という言葉はいささか正確性を書いておりましたので、お詫びいたします。
さて、端的に申し上げます。私が問題と思っておりますのは、この外部リンクそのものについてであり、「雲林院光秀宛塚原卜傳允可状」についてではありません。同文書について、しかるべき方がしかるべき媒体で論考されている分には、それを出典として使うのは全く問題はありません。問題なのは、ご説明によればこのサイトが橋本菊月斎氏なる方によるものという点です。私がざっと調べた限りでは、大変失礼ながらその分野で学者と同程度に認められている方とはとても思えず、論考の発表媒体もご自身によるサイトとなると、WP:RS#情報源にある「学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料」には当たらないと思われます。まして、丸々サイトを外部リンク欄で載せるというのは、中立的な観点からも問題ありと考えます。なお、レファレンス協同データベースのレファレンス事例詳細は、「参加館で行われたレファレンスサービス(質問回答サービス)の記録[13]」にすぎず、免責事項に「紹介する情報および情報源に対して、当館は何らかの宣伝や権威付けを行うものではなく、当館ウェブサイトからリンクされているサイトについて、そのサイト又は掲載情報の正確性、合法性、安全性等を保証するものではありません」とあるように、「情報の信頼性、検証可能性等において書籍や学術論文等と同様の水準を保って」いる裏づけには何らならないものです。もし、この橋本菊月斎氏の論考を記事内で使いたいのであれば、橋本菊月斎氏以外の第三者によって紹介された信頼できる情報源を使用する必要があると考えます。--立花左近 2011年12月25日 (日) 12:13 (UTC)[返信]

はじめまして。私は椿三十軒と申します。 私は、茨城在住の武道史愛好家で、茨城県下で開催されました無手塾の講演会やウェブサイトを愛読させて頂いております。 今回の討議のテーマは、武道史の基本的な素養があれば「wikipedia:掲載してよい外部リンク」の要件を満たしている事は一目瞭然です。立花左近氏の主張が揚げ足取りである事は、『リファレンス』への返答や『私が問題と思っておりますのは、この外部リンクそのものについてであり、「雲林院光秀宛塚原卜傳允可状」についてではありません。』『問題なのは、ご説明によればこのサイトが橋本菊月斎氏なる方によるものという点です。』等で明らかです。 現代武道史の大家といえども「飯篠長威」や「塚原卜伝」の記述は享保年間、日夏繁高の「本朝武芸小伝」の域を出なかったのを、橋本菊月斎氏は正史研究に供する事が出来る一級史料で見事に伝承だけの記述を一変させた功績は大きいと考えます。 立花左近氏のwikipediaの編集履歴を拝見する限り、もっぱら画像や出典タグ等戦国時代、織田信長にまつわる記事への編集が圧倒的に多い様に思われます。武道史上の人物は今回の「塚原卜伝」が最初の様で武道史の素養がある方とは到底思われません。大変失礼ながら人目に就かない、目立たない事項を編集されている事は大変殊勝な事で切り抜き新聞記事を貼り付ける作業は大変な手作業と思います。 当リンクは「wikipedia:掲載してよい外部リンク」の「2、情報の信頼性、検証の可能性において出典、参考文献として掲載するに値するサイト」に該当している事は明らかであり検証しようとされる研究者であればリンクサイト『(7)塚原卜伝「一の太刀」』から「慶賀論考―新當流―」へワンクリックする労を厭わないのは当然でしょう。 立花左近氏の「編集合戦」との早とちりはお笑いとして、氏のとんでもない「上から目線」の主張にはその「非礼さ」と共に呆れ果てます。これ以上当リンクの議論は不毛だと思います。TEKEBARU氏の主張に同意します。--椿三十軒 2011年12月31日 (土) 18:20 (UTC)[返信]

コメント コメント依頼から参りました。リンク先に貴重な情報があるのであれば、ぜひ追記するべきです。
それで、今回のリンクを編集されたTEKEBARUさんに確認したいのですが、議題となっている外部リンクについて、「外部リンクの選び方#掲載してよい外部リンク」の2「情報の信頼性、検証可能性などにおいて書籍や学術論文などと同等の水準を保っており、出典、参考文献として掲げるに値するサイト」に当たるとの事ですが、残念ながら、図書館には、一級の学術的史料と信頼性の低い書籍が玉石混合で蔵書されており、それだけだと2に当たる事の確認は難しいです。また、レファレンスは、歴史の専門家ではなく司書による情報提供であり、やはり2に当たる事の確認はちょっと厳しいです。この状況だと、いまリンクを追加しても、後で削除される可能性が高いです。
そのため、2に該当することを示す、橋本菊月斎の論文あるいは書籍が参照されている「学術雑誌」もしくは「歴史専門家の書籍」をお教え下さい。学術雑誌であれば、査読されているものがあればよりいいと思います。
TEKEBARUさんが該当する学術雑誌等を教えて下されば、立花左近さんも諸手を挙げてリンクの追記に賛成されるでしょう。-- 2012年1月1日 (日) 21:36 (UTC)[返信]
コメントコメント依頼から来ました。内容をざっと拝見しました。現状での議論は下記の2点に整理されるでしょうか。
(1) 橋本菊月斎氏のネット上の著述に外部リンクを張ることの是非。Wikipedia:外部リンクの選び方に抵触しないか否か。
(2) 橋本菊月斎氏の著述がWikipedia:信頼できる情報源に抵触しないか否か。
議論を拝見した限り、「橋本菊月斎氏のネット上の著述は、Wikipedia:信頼できる情報源 に抵触するので、Wikipedia:外部リンクの選び方#掲載してよい外部リンク の「情報の信頼性、検証可能性などにおいて書籍や学術論文などと同等の水準を保っており、出典、参考文献として掲げるに値するサイト」に該当せず、外部リンクを張るのは適当ではない。」という、外部リンクを張ることを排除する側の主張に利があるように思えます。
橋本菊月斎氏の研究が有意義なものであれば、いずれWikipedia:信頼できる情報源の形で世に出、このような議論の必要性も消滅するでしょう。--Pooh456 2012年1月4日 (水) 01:45 (UTC)[返信]
TEKEBARUさん、コメント依頼を出していただきありがとうございます。また、コメントをお寄せいただいた方々ありがとうございました。この外部リンクは「編集合戦」という言葉はいささか不適切だったにせよ、過去記載と除去が繰り返されていたのは事実であり、議論することは決して不毛ではないと思っています。もちろん、コンセンサスなく私自身が除去することはありません。別に急を要する案件ではありませんので、コメントを参考にじっくり検討すればいいのではないでしょうか。さしあたり、TEKEBARUさんには超さんのご質問にお答えいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。--立花左近 2012年1月4日 (水) 12:18 (UTC) (インデントを修正-- 2012年1月4日 (水) 13:38 (UTC)[返信]
超様、正月にもかかわらずコメント頂きましてありがとうございます。
まず、私の外部リンク貼り付けの意図を再度説明します。当ページは「日本の武道史」という世界で類のない範疇を論じています。平時では非合法な事も、戦時では合法とされる刀剣に依る殺傷法を伝授した人物を取り上げているのが塚原卜伝のページです。例えば「刀法」で「ハッと消えて、ハッと打つ」等は学術的に取り上げる事はそもそも出来ません。つまり、「秘すれば花、秘せねば花なるべからず」が執筆の対象であり、同じく「日本の武道史」に分類される「直心影流」では流の興りから400年経った現在でも杉本備前守政元という実在が確認出来ない人物を流祖と仰いでいます。
さて、超様お問い合わせの『橋本菊月斎氏の論文あるいは書籍が参照されている「学術雑誌」もしくは「歴史専門家の書籍」をお教え下さい。』について、无手塾に問い合わせをしたところ、要件を満たす論考としては、平成18年10月13日、千葉県教育委員会に「飯篠長威墓の県指定史跡取り消しを求めた橋本菊月斎氏の論考」が一目瞭然と思われます。
无手塾HP「毎日新聞、平成18年10月13日(金曜日)掲載記事」
立花様の御指摘された「橋本菊月斎氏以外の第三者によって紹介された信頼できる情報源を使用」は、「毎日新聞」であり、御指摘の要件は満たされると思います。宜しく御賢察下さい。--TEKEBARU 2012年1月8日 (日) 09:16 (UTC)[返信]

コメントTEKEBARUさんが摘示した「毎日新聞、平成18年10月13日(金曜日)掲載記事」は、毎日新聞が「橋本さんが、千葉県教育委員会に、指定史跡の取り消しを求める要望書を提出した」事実を報じたものでしかありません。この記事の存在を根拠として、「橋本菊月斎氏のネット上の著述が、Wikipedia:信頼できる情報源 に抵触しない」という結論を導くことは出来ないと考えます。--Pooh456 2012年1月8日 (日) 09:48 (UTC)[返信]

Pooh456さんに同意します。その指定史跡の取り消しの要望にしても、飯篠長威斎墓は平成23年1月14日時点においても指定史跡のままですし。[14]--立花左近 2012年1月8日 (日) 13:29 (UTC) 脱字補填。--立花左近 2012年1月9日 (月) 12:12 (UTC)[返信]

(インデントを戻します)話が戻りますが、外部リンクしている項として愛洲久忠愛洲氏がありました。また、これらは橋本菊月斎を出典として記述していますので、信頼性次第では内容の確認も必要でしょう。-- 2012年1月8日 (日) 14:59 (UTC)[返信]

超さん、ご指摘ありがとうございます。おっしゃる通りです。他にも、直心影流剣術があり、ノート:直心影流剣術では無手塾(そのノートでの表記)について論争が行われていました。また、橋本菊月斎氏の論考には无手塾のサイトのものの他に、愛洲移香斎久忠顕彰会(影流)のサイトに掲載されている『橋本菊月斎  慶賀論考』というのもあって、これへのリンクも含めると、もっと増えそうです。一例は陰流ですが、ノート:陰流を見ると、橋本氏の著書として『剣祖影流 愛洲移香斎久忠の系譜と伊勢大神宮神領奉行職伊勢愛洲氏の考察』があり、これは愛洲移香斎久忠顕彰会常陸支部の出版による非売品で参考文献として認められないため、これを元にした記述は他の資料を元にしたものに改めることで合意が成されていました(外部リンクの方は現在も掲載されています)。--立花左近 2012年1月9日 (月) 12:12 (UTC)[返信]
最初に私TEKEBARUがリンクを貼らせて頂いた最大の動機はwikipedia御愛読の皆様方に最新のより正確な知識を得れる機会を増やして頂きたく願っての一心からです。武道史愛好の方であれば皆様ご存じの有名な逸話『下川潮翁が京都帝国大学で国史専攻学科の「卒業論文(※1)」で武道史を選定するにおいて指導教授は「其の題目は殆ど創作的性質を有する研究に属し其の成否は全く予想し難い。或いは失敗に終わらんかと思う。若し卒業成績の良否を望むならば、即ち今この題目を更むるが好かろうと~』此の指導基準は現在も同じだそうです。更に終戦後マッカーサー元帥に依って一時期「剣道」が禁止され武道史は日本体育史の一部分としてしか残らず武道史学会に発展出来ていないのが現状で、昨今では外国人の学者さん、ニュージーランド出身のアレック・ベネット氏のごとく関西大学准教授として「武士道」を講義されています。日本人としては有り難いと思う一方、日本人の学者はお金にならない学問は見向きもしないのが現状です。此のような武道史界で市井の研究者橋本菊月斎氏の存在は極めて貴重である事は言うまでもありません。依ってこの外部リンク、「要望書の論考」「県教育委員会の返答」を取り上げた「毎日新聞記事」は立花様の御指摘された「橋本菊月斎氏以外の第三者によって紹介された信頼できる情報源」である事は明々白々です。
Pooh456さん、正月早々にコメントを頂いた事には御礼申し上げますが毎日新聞の文字が小さくてお読み出来なかったのか折角のコメントが聊か肝心の所を読み落とされているのではとの危惧を抱いております。一分一秒を争うコメントでもありませんので良く精査して頂いてからのコメントを頂ければ幸いです。
最重要論点かと思われますので今少し詳述させて頂きます。此の「飯篠長威斎墓の指定史跡取り消しを求める要望書」(以後、要望書と略す)は无手塾の関係者の方に依りますと『平成18年10月1日、橋本菊月斎氏が千葉県教育委員会に千葉県指定史跡天真正伝神道流始祖飯篠長威斎墓の理由書の開示を求めた所、県教育委員会は「昭和18年2月19日付」で県指定史跡として認定されていますが「香取私記(※2)」が添付されている丈で理由書はない。』との返事が届いたそうです。此の千葉県教育委員会の返事は極めて重要である事はどなたが聞いてもお解りでしょう。昭和18年2月は太平洋戦争の真只中で国威発揚の為、軍部が文部行政をも掌握して全国各地に指定史跡を認定していますが千葉県下では此の「飯篠長威斎墓」がそれに当る事が判明したとの事です。
軍部の国威発揚という「学術的でない理由(香取私記の紹介記事1ページ半添付のみ)」で理由書もなく昭和18年2月19日付で認可された「千葉県指定史跡天真正伝神道流始祖飯篠長威斎墓」の指定史跡取り消しを求めたのが橋本菊月斎氏の要望書との事です。此の要望書には、橋本菊月斎氏が「愛洲氏研究」で始めて解読された「天文七年六月十八日付飯篠修理亮吉定が愛洲三郎殿へ允可状」(丸山陽三氏所蔵文書)の一級一次資料と「古神道」では「大社の神域内」に墓を設ける等は絶対的タブーである事から「本朝武芸小伝」等の此れ迄の「飯篠長威斎伝承」が神仏習合が盛んになった江戸時代製作されたと証明した上で此の論考を要望書に貼付されたとの事です。「最も学術的理由」を求められる筈の「県指定史跡」が軍部の国威発揚の手段として学術的理由無しで認定され、戦後60年経っても関係者が疑念を抱かなかったのは学術的でないとどなたも考えます。
橋本菊月斎氏の要望書に対し県教育委員会は『1929年の調査報告書に「香取神宮の参道を作る時に墓地を動かした。」という記述があり、伝承地としての認知はある。』と正式見解を示しています。Pooh456さんの『TEKEBARUさんが摘示した「毎日新聞、平成18年10月13日(金曜日)掲載記事」は、毎日新聞が「橋本さんが、千葉県教育委員会に、指定史跡の取り消しを求める要望書を提出した」事実を報じたものでしかありません。この記事の存在を根拠として、「橋本菊月斎氏のネット上の著述が、Wikipedia:信頼できる情報源 に抵触しない」という結論を導くことは出来ないと考えます。--Pooh456 2012年1月8日 (日) 09:48 (UTC)』とのコメントは記事を正確に読む事が出来ていない事が解ります。
※1 此の卒業論文は「剣道の発達」との題名で大正十四年大日本武徳会によって刊行された。
※2 香取私記 文政十一年刊行の香取参詣記を著した久保木清淵の著。本書は生前中は上梓に至らなかった草稿を「官幣大社香取神宮社務所」が発行所となって昭和18年9月5日に刊行された香取神宮案内手引書である。飯篠長威斎に関する記述は1ページ半で「本朝武芸小伝」「北条五代記」の記述をそのまま転載しただけで久保木清淵翁の研究は一切ない。--TEKEBARU 2012年1月15日 (日) 08:16 (UTC)[返信]
TEKEBARUさん、長文のコメント恐縮です。しかしながら、毎日新聞の記事は要約すれば、橋本菊月斎氏が飯篠長威斎墓の(千葉)県指定史跡の取り消しを求め、県教育委が県文化財保護審査会の諮問の可能性を含め検討するとした、という報道です。毎日新聞は信頼できる情報源であることはおっしゃる通りで、この記事にある内容の範囲内で飯篠長威斎の記事に加筆することはできなくもありません。しかし、この記事により毎日新聞が橋本菊月斎氏や无手塾のサイトにお墨付きを与えたわけではありません。また、その後の経緯も不明で、指定取り消しも少なくとも今から1年前までは行われていないことは既にお示した通りです。なお、毎日新聞は信頼できる情報源ですが、サイトの画像を見る限り、この記事は千葉県版に載ったものと思われます。検証可能性は満たすと思いますが、おそらく縮刷版には載っておらず、千葉県の図書館などで現物を当たるしかないのではないでしょうか。
ところで、TEKEBARUさんは個人的に无手塾に問い合わせをされ、それをお教え下さっていますが、そうした情報は残念ながら当事者により発信されたものの伝聞であり、橋本菊月斎氏の論考や无手塾のサイトの信頼性を確認できるものではありません。利用なさりたい論考やサイトそのものが他の信頼できる情報源により引用、言及、評価などがなされている必要があると考えます。どうか、そうしたものをご提示いただけるよう、お願いいたします。--立花左近 2012年1月15日 (日) 13:07 (UTC)[返信]
議題にあがっております外部リンクについて、次にも同様のリンクがありますね。雲林院弥四郎三重県常陸太田市玉城町山田三方岩出祭主館跡神領奉行剣術剣道陰流直心影流剣術兵法三大源流愛洲忠行。差分を見ると、ほとんどはこの外部リンクを貼るだけの編集です。--LudwigSK 2012年1月24日 (火) 09:39 (UTC)[返信]
LudwigSKさん、ご教示ありがとうございました。--立花左近 2012年1月24日 (火) 15:59 (UTC)[返信]

そもそも、「編集合戦との指摘」や「無手塾のサイトを橋本菊月斎氏の個人サイト」等、早とちりしてノート:塚原卜伝にコメントしておりますが、普通、専門外、及び他分野での編集を行っている方ならばまず、自分の無知を詫びて議論を始めます。ところが、立花左近氏は、居丈高に原則論・形式論を振り回し、TEKEBARU氏が論考の内容だけでなく、「武道史学」は特殊な事情により戦前戦後、現在に至るまで「武道史学会」に発展出来なかった理由までも縷々親切に御説明なされているにも拘らず、基礎的知識を持ち合せていない為、一切無視されています。 まず、TEKEBARU氏は、「飯篠長威斎墓の指定史跡取り消しを求める要望書(以下、要望書と略す)」に添付された趣旨論考の説明を2度に亘って説明しているにも拘らず、立花左近氏のコメントは、第一回目(2012年1月8日)はまったく無視、第2回目(2012年1月15日)は『毎日新聞が橋本菊月斎氏や无手塾のサイトにお墨付きを与えたわけではありません』等、趣旨論考の内容を自分勝手に要望書の期限にすり替える等、意図的なのか的外れな返答ばかりで真摯な態度とは思えません。 私は、これ以上、不毛な議論を続ける立花左近氏に提案します。今まで取り扱ったことのない武道史の外部リンクを論ずる前に諸分野において多様な外部リンクが貼られている事を何故問題にしないのですか。例えば、神社関係のwikipediaの項目には神社案内の外部リンクページに結婚式場の案内かと見間違うページや武道関係では流派の項目で各々道場が自己道場の宣伝アピールとしてとして外部リンクを多用していますが立花氏はまずこれらを整理されてから後、武道史の知識を得られてからTEKEBARU氏と再度議論されてはいかがですか。予備知識もなく議論を仕掛けるのはだれが見ても不見識で印象が良くないと思いますが如何でしょうか。以上提案します。立花左近氏は「にする議論」をTEKEBARU氏に行っている事は明らかです。 よって、要望書に添付された論考『外部リンク:塚原卜傳「一の太刀」伝承に就いて』は、掲載してよい外部リンクの2「情報の信頼性、検証の可能性において出典、参考文献として掲載するに値するサイト」である事は明らかであり、TEKEBARU氏の主張は当を得ていると支持します。--椿三十軒 2012年1月28日 (土) 02:08 (UTC)[返信]

椿三十軒氏はどなたかのソックパペットのように見えますが。
(1)このノートは、立花左近氏のWikipediaでの行動について論じる場ではありません。必要と考えるなら、立花左近氏に対するコメント依頼を行って下さい。
(2)Wikipediaは、三大方針に基づいて運営される百科事典です。「武道史学」が、諸般の事情によりWikipediaの基準を満たすのが難しいのなら、Wikipediaの外で情報を発信すれば済む話です。--Pooh456 2012年1月28日 (土) 03:47 (UTC)[返信]
ここまでの議論を見る限り、立花左近さんの進め方に問題は感じません。TEKEBARUさんが、橋本菊月斎の信頼性を示すもの(査読制度のある学術雑誌等での実績など)を示して下されば、話は進むでしょう。毎日新聞の内容は、残念ながら「橋本菊月斎が○○○という意見を表明した」という事を表している記事なので、信頼性を示すには至っていません。
それより、椿三十軒さんのように何も編集履歴のない方が急にやってきてTEKEBARUさんを支持し、他の方を非難する言動を行うと、逆にTEKEBARUさんの印象が悪くなり、また、椿三十軒さん自体も身分を偽っている(ソックパペット)ように見えるのですがいいのでしょうか。椿三十軒さんの言動を拝見する限り、Wikipediaで編集されたご経験がおありのようですので、もし編集履歴のあるアカウントをお持ちでしたら、そちらで議論にご参加されてはいかがでしょうか。-- 2012年1月28日 (土) 10:20 (UTC)[返信]
Pooh456さんと超さんにご意見いただきました通り、まずは「橋本菊月斎の信頼性を示すもの(査読制度のある学術雑誌等での実績など)」をお示しいただき、「Wikipediaの基準を満たす」ことを立証していただきたく思います。また、「无手塾」のサイトを何度も拝見しましたが、掲載されている『橋本菊月斎 慶賀論考』以外の部分の執筆者がどなたなのか、明確になっていないように思えます。これが橋本菊月斎氏の個人サイトではなく「无手塾」のサイトだとするなら、その塾には他にどなたがいらっしゃるのか、サイトの各文章のご執筆者はどなたなのか、その方たちあるいは塾そのものの客観的評価が信頼できる情報源により確認できるのか、こ教示いただければと思います(毎日新聞の記事には、橋本菊月斎氏のお名前はあっても、无手塾については触れられておりません)。また、椿三十軒さんは茨城県下で行われた「無手塾」の講演をお聞きになったようですが、ネットで検索した限りではそうした講演があったという情報は見つかりませんでした。できましたら、いったいいつ、どこで行われたのか、演題は何だったのか、それらが検証できる、信頼できる情報源はあるのか、こういったことにつきましてお教えいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。--立花左近 2012年1月28日 (土) 13:57 (UTC)[返信]
コメント依頼より御意見を頂いた皆様、ありがとうございました。「Wikipedia:コメント依頼」のガイドラインに「コメント依頼に参加する利用者は論争を終結させ、利用者間の対立を無くしていく方向に議論を誘導して下さい。」とありますが、超さんのコメントは解決するべき問題を拡げる結果となっています。Pooh456さんは、新聞記事に書いてある事を書いてないとコメントした為に問題解決にはプラスにならないコメントでした。これから当分の間当事者で議論を進めたいと思いますので皆様の御意見を参考に再度、「wikipedia:外部リンクの選び方」のルールとガイドラインを読み直して編集致します。またの機会がありましたら、御意見をお伺いさせて頂きますのでよろしくお願いいたします。--TEKEBARU 2012年2月7日 (火) 14:35 (UTC)[返信]
TEKEBARUさん、それはおかしいですよ。超さんとPooh456さんのコメントは、いずれも至極全うなものと私は思います。Pooh456さんの新聞記事についてのコメントは、書いてあることをおっしゃっているだけで、それをもって橋本菊月斎氏の論考やサイトの信頼性が担保されているわけでないことは、何度も申し上げている通りです。皆が毎日新聞の記事に替わる橋本菊月斎氏の信頼性を示す情報源が提示されるのをお待ちしていたのですから、それができないとおっしゃるのでしたら、橋本氏の論考やそれが掲載されたサイトは外部リンクとして張るのはご遠慮いただくしかないと思います。そういうことでご納得いただけますでしょうか。--立花左近 2012年2月7日 (火) 15:23 (UTC)[返信]

TEKEBARUさんは、私のコメントを「解決するべき問題を拡げている」と問題視されていますが、そういう意味だと、椿三十軒さんの「立花左近氏の主張が揚げ足取りである」「武道史の素養がある方とは到底思われません」「氏のとんでもない「上から目線」の主張にはその「非礼さ」と共に呆れ果てます」「基礎的知識を持ち合せていない」「予備知識もなく議論を仕掛けるのはだれが見ても不見識で印象が良くない」という、再三にわたり、直接的で、しかも強い言葉で非難されている事については問題と思っていないのが不思議でなりません。
上記はとても気になる事ではありますが、内容以外の事で議論しても仕方ありませんので話を戻します。
現在、「橋本菊月斎の著作が信頼できる情報源にあたるかどうか」という事が議論の主題になっております。これにつきまして、これまでTEKEBARUさんが信頼できる情報源にあたるとする論拠をいくつか挙げられていらっしゃいますが、それに対して、いや根拠としては薄いという別な意見も出てきております。
皆さんにお聞きしたいのですが、ここまでの議論をご覧になった上で、いま現在、どれが論拠として妥当である、妥当ではない、とお考えかお教え下さい。全部妥当である、あるいは、○番は妥当ではないと思う、という感じでお教え下さい。とりあえず詳細な意見表明はナシで、YES/NOでお教え下さい。これは、あくまで意見の相違点を絞り込み、議論を進めるためのものであり、多数決で決める事が目的ではありません。
(まずはTEKEBARUさんに意見表明していただき、その後、その他の編集者さんに意見表明していただく、という流れが進行しやすいと思っています。)

  1. 三重県立図書館 第38回地域ミニ展示(地域資料コーナー)
  2. 国立国会図書館でのレファレンス共同データベース
  3. 毎日新聞 平成18年10月13日(金) 掲載記事

※ 第三者も閲覧可能な資料という事で、まずは以上3点に絞らせていただきました

それと、話が変わるのですが、TEKEBARUさんが先に書かれていた「県教育委員会は『1929年の調査報告書に「香取神宮の参道を作る時に墓地を動かした。」という記述があり、伝承地としての認知はある。』と正式見解を示している」という内容ですが、これは、何の資料に当たればTEKEBARUさん以外の編集者の方が確認できますか? もし資料による確認ができないのであれば、そのようにお答え下さい。よろしくお願いします。

TEKEBARUさんにおかれましては、Pooh456さんと私に対して思うところもあると思いますが、TEKEBARUさんのコメント依頼の呼びかけに答えて参ったメンバーですので、どうかご尊重いただけますでしょうか。以上、長文失礼しました-- 2012年2月8日 (水) 16:05 (UTC)[返信]


勘違いをいつまで続けるのですか。おかしいのは立花左近さん、貴方の方です。超さん(2011.2.12のコメント)、御意見いただきましてありがとうございます。当外部リンクがwikipediaのガイドラインに沿っているかを議論している最中にwikipediaのガイドラインに沿わぬコメントに御遠慮願うのは当然の事でしょう。「編集合戦だ!」との「早とちり」で塚原卜伝:ノートに飛び込んで来たのは殆ど「言いがかり」と当方は受け取っていますが、一応ウィキケットに則り初心者には「塚原卜伝、及び武道史界」について親切に丁寧に説明する事に徹してきました。しかし、立花左近氏は益々増長し当方の心遣いを無視し、新たにテンプレートを貼る始末、「おかしい」所ではなく本末転倒です。
(1)要望書に添付されました趣旨論考に就いて今迄縷々説明して来ましたが一度では御理解できていない御様子。最重要と思われますので、三重県の「五ケ所城附愛洲氏居館阯及墳墓」を例に再度説明しましょう。当文化財を指定史蹟として認定された昭和十三年二月七日は時、恰も皇国史観華やかなりし頃で皇紀二六〇〇年を二年後に控えていました。認可時に理由書が添付されていなかった為、昭和十五年七月一日付「北畠氏の研究」の大西源一博士による「五ケ所城阯附愛洲氏居館阯及墳墓」の「趣旨論考<注1>」(400字詰め原稿用紙約3枚)が「理由書」の替わりとなっています。この様に文化財指定史蹟のの趣旨論考は極めて学術的である事が解ります。橋本菊月斎氏の要望書に添付された趣旨論考(无手塾HPと殆ど同じ内容)は、『千葉県教育委員会が「学術的論考」と評価されたからこそ要望書は受理されたのです。更に、史蹟の指定や解除には県文化財保護審査会の諮問が必要だが、諮問の可能性も含め検討する。』が正しい記事の内容で、要望書に対して公式コメントを発表しています。
(2)Wikipedia:検証可能性には、「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」が重要です。また、「その情報をwikipediaに載せてもよいものにするにはまず広く信頼されている報道機関を説得してあなたの話を発表してもらわなければなりません。それは査読を受けるのと同様の過程を経る事になります。つまり、まず記者、次に編集者、そしておそらくは事実調査員にチェックされるでしょう。もし問題があればさらに弁護士そして編集長にチェックされるかもしれません。このような事実確認とその評価の仕組みがあるのは、新聞に正確で公正な記事を載せる為です。(中略)もしその新聞があなたの話を載せてくれたならば、ようやくその情報をウィキペディアの記事に書き込んで、その新聞を情報源として示す事が出来ます。」とあります。
(3)立花左近氏の主張は、wikipedia:検証可能性#情報源/ソース「学術的な主題についてはなるべくピュアビュー(査読)を経た情報源を用いるべきです。」に基づくものであると思いますが、以前に紹介した下川潮翁の卒業論文の経緯~武道史愛好の方であれば皆様ご存じの有名な逸話『下川潮翁が京都帝国大学で国史専攻学科の「卒業論文(※1)」で武道史を選定するにおいて指導教授は「其の題目は殆ど創作的性質を有する研究に属し其の成否は全く予想し難い。或いは失敗に終わらんかと思う。若し卒業成績の良否を望むならば、即ち今この題目を更むるが好かろうと~』此の指導基準は現在も同じだそうです。~(TEKEBARUの2012.1.15のコメント参照)や、更に最初のコメントで既に紹介した熊本大学文学部教授吉村豊雄教授の「塚原卜伝観」①『新史料の意義は、雲林院弥四郎光成という牢人(兵法者)が、熊本藩初代藩主細川忠利、その父忠興の書状という確実な史料に複数回書かれていること、光成が関わった兵法関係から、塚原卜伝をはじめとする剣豪小説上の人物が、弥四郎父子と兵法の相伝関係にあったことが示されていることである。』、②『かつて剣豪小説で読んだ人物が語られている。兵法者について少し調べてきた私も、塚原卜伝など、ほとんど小説上の存在と思っていた。目から鱗であった。』と表明されている等から、即ち、「塚原卜伝」が学術的な主題(記事)ではない事は明らかです。立花左近氏の外部リンクについての主張は主題「塚原卜伝」では適用外となります。
(4)外部リンクの選び方については、過去にwikipedia:井戸端で度々意見の交換がなされています。立花左近氏もコメントしている最新の「Wikipedia:井戸端、外部リンクの掲載」によれば、『外部リンクとして記載するかどうかは、あくまでその記事にとってその外部リンクが役に立つかどうかで決めるべきです。立花左近氏が触れられたような学術分野の記事においては個人サイトを掲載する場合のハードルはかなり高いでしょうが趣味の分野ではアーティスト作品一覧などファンの方が自分のサイトに公開している事がよくあり。(ママ)個人のサイトだからと言って外部リンクを削除すると、明らかにその記事の対象であるアーティストの理解の妨げになる事があります。(2011.12.28、アルビレオ氏のコメント)』と柔軟な対応を勧めています。そのコメントに対し『皆さんコメントありがとうございます。色々と意見があるみたいですけど、外部リンクの掲載の可否についてはケース・バイ・ケースで判断したほうがいいってことなのですね・・・。大阪弁で外部リンクをばっさり切って掲載した人には大変申し訳ないことしたな、と思い、反省します。コメント、本当にありがとうございました。是非今後の参考にしたいと思います。(2012.1.11、ジャスト宣言氏のコメント)』との見解を示しています。アルビレオ氏も「学術分野の記事」に限るとしています。
私の設定した外部リンクは、武道史愛好家に広く参考になり役立つ外部リンクである事は一目瞭然です。
<注1>『「愛洲移香斎・五ケ所説」を唱える中世古祥道氏は昭和57年夏「愛洲移香斎覚書」で(五ケ所城には)永正十八年(1521年)とする墓が二基存在し、他にも天文前の年号の見えるものがあるが、これらは、大西氏の考え(趣旨論考)からいうと愛洲氏が玉丸より五ケ所へ退く前のものであるから愛洲氏のものといえない。』と大西源一博士説が「愛洲移香斎の出自が伊勢一之瀬か玉丸説」であると紹介している。--TEKEBARU 2012年2月13日 (月) 01:43 (UTC)[返信]
(文脈上こちらに入れます)TEKEBARU氏のご主張は、くだんの「毎日新聞記事」が橋本宜彦氏の飯篠長威斎墓に対する主張の根拠として成立する、との理解で宜しいでしょうか。そうしますと、以下の点で疑問があります。
(1)千葉県教育委員会が要望書を受け取ったことは、要望書が正しい書式に則って作成されていただろうことを示しています。これが学術的論考として評価されたとするには、諮問会が実際に開かれたことを示す資料(出来ればその議事録)か、史跡の指定取り消しがあったことを示す資料が必要です。どちらも悪魔の証明となりますので、その存在を主張なさりたい方が提示しなければなりません。後者は実際に指定取り消しが成されていない事実がありますので、これを示すことは不可能です。
(2)そちらの方針をそのように引用なさると、あなたの話を新聞に載せてくれたように読めますが大丈夫でしょうか。
(3)学術的な主題で無いのならば、現在のような記事ではなく、塚原卜伝が登場する小説の頁になっていたことと思います。
(4)まさにそのケース・バイ・ケースの判断のために、この場が設定されているのではないでしょうか。
なお、氏のご設問については、私は現在のところ「全部妥当ではない」と見ております。またTEKEBARU氏の回答に当たるご姿勢は、長文ではぐらかすようで見方によっては対話拒否に近いのではないかと存じます。お言葉の選択基準にも疑念を持っており、これらがご意見を読む際にバイアスを掛けているかもしれません。--LudwigSK 2012年2月13日 (月) 04:14 (UTC)[返信]

TEKEBARUさん、さんの 2012年2月8日 (水) 16:05 (UTC) の発言を無視して、長々と持論を展開なさるのは、この議論でのこれまでのTEKEBARUさんの発言を考慮すると、「Wikipedia:投稿ブロックの方針#議論の拒否や妨害」において「ウィキペディアでは編集方針がぶつかった時や、投稿内容や行動に問題があると他の利用者が考えたとき、無闇に編集を繰り返す「編集合戦」をせず、ノートページや利用者のノートページで議論することを推奨しています。利用者は記事の差し戻し時の要約欄による呼びかけを含め、こうした議論や対話の呼びかけがあったら、基本的にそれに応じて一致点をさぐるよう努力すべきです。しかし、中には一切の呼びかけに応じなかったり、議論が進行中であるにも関わらず自分の主張に沿った編集を強行する人もいます。また、編集や議論に際して他の利用者からの質問や根拠の明示などの依頼に応ぜす、個人攻撃を行ったり話題を逸らすなどの行為を繰り返した場合にも議論が成立しにくくなります。」と示されていることに抵触しますので、警告させて頂きます。[返信]


まずは、TEKEBARUさんが、さんの 2012年2月8日 (水) 16:05 (UTC) の発言に、誠実に対応なさるのが適当と考えます。--Pooh456 2012年2月13日 (月) 04:04 (UTC)[返信]

TEKEBARUさん、LudwigSKさんのコメントもお読みになった上で、まずはPooh456さんのおっしゃるように、超さんの 2012年2月8日 (水) 16:05 (UTC) のご質問にお答え下さい。私は答える準備ができておりますが、まずはTEKEBARUさんに意見表明していただきたいとのことでしたので、お待ちしているところです。もともとコメント依頼をされたのはTEKEBARUさんなのですから、せっかくそれに応じて労を取って下さっている方々のコメントには真摯にお答えいただけませんでしょうか。
なお、TEKEBARUさんは、過去にこの外部リンクが除去された際、「削除理由を提示し議論を行い、合意を得てからリンクの削除をして下さい。個人的な主張で勝手に削除してはいけません」と要約欄に書かれて元に戻されておられ、私はそれを見たこともあってこの議論を始めさせていただいたということを申し添えておきます。また、TEKEBARUさんは、本節冒頭に挙げさせていただいたように、このリンクが除去されるたびに何度も元に戻されておられますが、それを私が「編集合戦」と表現したことに相当お怒りのようです。それはおそらく、Wikipedia:編集合戦にある3RRには当たらないので、「編集合戦」ではないとおっしゃりたいのではないですか。確かに3RRには当たらないので、私は率直にお詫び申し上げました。そうなると不思議に思えるのは椿三十軒さんのコメントで、椿三十軒さんは最初の投稿で「投稿は初心者」とお書きになっているのですが、その割には「「編集合戦」との早とちり」と断言なさる当たり、ウィキペディアのルールに関してはかなりお詳しいということでしょうか。すみません、横道に反れました。
ですが、WP:EWには「話し合いによらず、他者の編集を繰り返し差し戻すことによって自分の編集を押し通そうとすることを、「編集合戦」と言います」、「3RRに触れなければ絶対に大丈夫というものではありません」とも書かれております。そういう意味では、過去の外部リンクの除去と再掲載は、どちらにおいても十分な議論がなされていなかったと思います(もっとも、それ以前にはすでに一度お示ししましたが、ノート:直心影流剣術などで他のアカウントの方々により、このリンクに基づいた記載に関して相当な議論が行われたことはありましたが、ご覧いただければお分かりの通り、かなり白熱した議論になっています)。ですから、ここで十分に議論しておくことは必要だと考えます。繰り返しになりますがTEKEBARUさんには、超さんの 2012年2月8日 (水) 16:05 (UTC) のご質問にお答え下さるようお願い申し上げます。--立花左近 2012年2月13日 (月) 14:33 (UTC)[返信]
立花左近さん未だにお解りいただけない様で残念です!コメント頂いた方々や今迄編集に携わった方々にお詫び申し上げるのは貴方ですよ!「塚原卜伝の伝承」がそれこそ学術的か否かを査読審査される先生方の常識を貴方は御存知なかったようですね。武道史の素養のない方とこれ以上「塚原卜伝の伝承が学術的か否か?」を議論出来る訳はなく、不毛な議論はこの際打ち切りとし管理者様に御裁定をお願い致す事にしました。御了承下さい。
超さんへ、2012.2.8日のコメントに御返事致さなかった理由は超さんに御返事致しますとpooh456さんにも御返事しなければならず議論は再度「木を見て森を見ず」の状況に陥るのが火を見るより明らかでしたので御返事は御容赦願った次第です。御無礼の段、お詫び申し上げます。今後とも御指導の程、宜しくお願い申し上げます。 以上。 --TEKEBARU 2012年2月19日 (日) 21:58 (UTC)[返信]
(結論)
TEKEBARU 2012年2月19日 (日) 21:58 (UTC)の発言により、Wikipediaのルール「対話拒否」 ならびに 「Wikipedia:合意形成#合意形成 」 によって、(A)本節「外部リンクについて」の議論は終了したこと、(B)この編集で追加された外部リンクが除去されること、(C)既に指摘されている、Wikipediaの他の記事に存在する同様の外部リンクも、同様に除去されること、を確認します。[返信]


(理由の説明)
(1) TEKEBARU氏は、 2012年2月19日 (日) 21:58 (UTC)に 「武道史の素養のない方とこれ以上「塚原卜伝の伝承が学術的か否か?」を議論出来る訳はなく、不毛な議論はこの際打ち切りとし管理者様に御裁定をお願い致す事にしました。」 と発言しました。TEKEBARU氏の投稿記録 を参照しますと、それに先立つ、2012年2月19日 (日) 21:38 (UTC)に、『Wikipedia:投稿ブロック依頼/立花左近』(差分は無し)を開始しています。この行為は、Wikipediaのルール「Wikipedia:投稿ブロック依頼」に沿わない、他のWikipedianに対する不当な行為であり、「対話拒否」に抵触します。[返信]


(2) 「対話拒否」の事態に至った責はTEKEBARU 氏にありますので、同氏が2011年12月11日 (日) 21:49 (UTC) に行ったこの編集で追加された外部リンクは、除去される、という結果となります。[返信]


(3) 既に指摘されている、Wikipediaの他の記事に存在する同様の外部リンクも、同様に除去される結果となります。


(4) TEKEBARU氏が、立花左近氏、氏、他のWikipedia編集者に対し(『差分1』、『差分2』、『今回の差分』における「武道史の素養のない方とこれ以上「塚原卜伝の伝承が学術的か否か?」を議論出来る訳はなく」に類した発言を反復して行ったのは、Wikipediaのルール Wikipedia:個人攻撃はしない に抵触します。これはWikipediaでの禁忌行為です。この禁忌行為を行った場合の対処については Wikipedia:個人攻撃はしない#個人攻撃への対処法 に規定されておりますので参照下さい。最終的には、(4)で示すように「Wikipediaからの(永久)追放」処分となります。これについて、警告いたします。


(5) TEKEBARU 氏、その ソックパペット の可能性が高い 椿三十軒氏、他の「武道史の素養のある方」には、「塚原卜伝の伝承が学術的か否か?」の議論を、无手塾 など、Wikipediaの外で展開することをお勧めします。


(6) (1)で示した、TEKEBARU 2012年2月19日 (日) 21:58 (UTC)の発言の結果としての、Wikipediaの関係する全ての記事からの外部リンクの除去に対して、「Wikipedia:編集合戦」 にあたる行為を行うと、「保護依頼」、次いで「「Wikipedia:コメント依頼#利用者の行為についてのコメント」、次いで「Wikipedia:投稿ブロック依頼」、最終的には「Wikipedia:追放の方針」による「Wikipediaからの(永久)追放」処分となり、TEKEBARU 氏、その ソックパペット の可能性が高い 椿三十軒氏 他の武道史の素養のある方は、Wikipediaの記事の編集を将来に渡り一切出来なくなります。[返信]


(7) TEKEBARU氏は、既に2012年2月19日 (日) 21:38 (UTC)に、『Wikipedia:投稿ブロック依頼/立花左近』を開始したようですが、これは「Wikipedia:投稿ブロック依頼」に沿わない、他のWikipedianに対する不当な行為ですので警告します。[返信]


(8)「 2012年1月1日 (日) 02:37(UTC)の、TEKEBARU氏が呼びかけた「合意形成のためのコメント依頼」」により、本議論に参加した一人として、今回の事態は誠に遺憾です。--Pooh456 2012年2月19日 (日) 23:59 (UTC)[返信]
この流れで、まさか私がソックパペット扱いされるとは、思いもよりませんでした。私もコメント依頼を見て、ここを訪れた身なのですけれどね。そして、ソックパペットについてまず指摘されるべき方がいることは、衆目の一致するところでしょう。
Pooh456氏におかれては、先だっての警告にもかかわらずこの有様ゆえの(結論)かと存じます。この先編集強行等の無いように祈り、万が一あった場合はその様になさるべきかと。ただ、(理由の説明)の(4)以降につきましては、理由ではなく警告ではないですか?なお、TEKEBARU氏を含む件のリンクを追加したアカウント群(特徴的なのですぐわかります)を見ていきますと、何かしらの失着があると乗り換える傾向があり、ブロックは効果的ではなさそうです。当該URLをBL入りする方が無難かもしれません。--LudwigSK 2012年2月20日 (月) 09:39 (UTC)[返信]
コメント LudwigSKさん、コメント有難うございます。私Pooh456は、「LudwigSKさんが、椿三十軒氏と同様に、TEKEBARU 氏のソックパペットである」などとは、全く考えておりません。LudwigSKさんの発言履歴と発言内容を検討すれば、自明であると考えます。宜しくお願い致します。--Pooh456 2012年2月20日 (月) 23:45 (UTC)[返信]
いえ、TEKEBARU氏のブロック依頼でその様に書かれていたのです。Pooh456氏よりその様な扱いを受けたとは考えておりません。--LudwigSK 2012年2月21日 (火) 02:39 (UTC)[返信]

(インデント戻す)次節にありますように、TEKEBARUさんと椿三十軒さんは「同一人物による多重アカウント」と推定され無期限ブロックとなりました。これにより、TEKEBARUさんによって件の外部リンクが掲載すべきリンクであることが立証される可能性は、当面なくなったと思われます。すでにPooh456さんによって、多くの記事から件の外部リンクが除去されておりますが、まだ残っている記事もありますので、判明しているものは全て除去したいと考えます。また、一部の記事では、件のサイトを出典として執筆されている記述もありますので、可能な限り修正したいと思います。--立花左近 2012年2月26日 (日) 12:47 (UTC)[返信]

ひとまず、問題が解決したようで何よりです。私Pooh456は、先日行った「既に挙げられていた記事について、外部リンクを除去する」以上のことは、専門知識の不足により出来ません。立花左近さん、よろしくお願い致します。--Pooh456 2012年2月26日 (日) 13:33 (UTC)[返信]

チェックユーザーの提案

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Wikipedia:チェックユーザー依頼に基づき、利用者:TEKEBARU会話 / 投稿記録 / 記録 / CA / guc氏と利用者:椿三十軒会話 / 投稿記録 / 記録 / CA / guc氏のチェックユーザーを提案します。理由は、ノート:塚原卜伝#外部リンクについてにおいて、1 特定の個人サイトへの外部リンクにこだわる事、2 議論相手の意見を理解しようしない、3 「武道史の基本的な素養がない」という独特の理由で議論相手を非難する、という共通点があり、同一人物と思われるためです。-- 2012年2月20日 (月) 14:37 (UTC)[返信]

賛成 さんのご提案に賛成します。ご指摘の通り、利用者:椿三十軒会話 / 投稿記録 / 記録 / CA / guc氏は、利用者:TEKEBARU会話 / 投稿記録 / 記録 / CA / guc氏のソックパペット」であると推定できる材料がいくつもあります。--Pooh456 2012年2月20日 (月) 23:39 (UTC)[返信]
コメント さんのご提案については、保留とさせていただきます。CU依頼後の賛否表明には資格制限(管理者信任と同等)があり、私はこれを満たしておりません。依頼前の合意形成については資格制限は無いようですから、賛成としても良いのですが。また本件に関しては、他ページへも影響があったことに鑑み、広くコメント依頼を募るべきと考えます。「利用者の行為についてのコメント」に追記することとなるでしょうが、その際には新規にページを立てた方が良いのではないでしょうか。--LudwigSK 2012年2月21日 (火) 02:39 (UTC)皆さまのご意見を受け、票を変更いたします。--LudwigSK 2012年2月22日 (水) 01:28 (UTC)[返信]
コメント ブロック依頼の被依頼者となったため、こちらへの書き込みを自粛しておりましたが、おかげ様をもちまして、「不適切な依頼」ということでクローズいたしましたので戻りました。さて、私も正直 CU をしていただきたいのは山々なのですが、LudwigSK さんのご意見もごもっともな点がありますので、まずはコメント依頼から始めてみるのはいかがでしょうか。それにしても、LudwigSK さんは、ご参加早々私のソックパペット扱いを受け、とんだ災難でしたね。--立花左近 2012年2月21日 (火) 13:21 (UTC) 一部修正・追記。--立花左近 2012年2月21日 (火) 23:48 (UTC)[返信]
LudwigSKさん、立花左近さんのお考えも分かるのですが、私はチェックユーザーとコメント依頼は別物と考えております。また、コメント依頼をするのであれば、チェックユーザーの結果(チェックユーザー自体がないかもしれません)が出た後に、その結果も踏まえて行った方がいいと思っています。ただ、現時点で他の方がコメント依頼される事を止めるつもりはありません。-- 2012年2月21日 (火) 15:00 (UTC)[返信]
賛成 提案者票。-- 2012年2月21日 (火) 15:00 (UTC)[返信]
賛成 そういうことでしたら、反対する理由はありません。ブロック依頼を出された私が、コメント依頼で応酬するというのも大人げないと思いますし、大変恐縮ですが全てお任せいたします。--立花左近 2012年2月21日 (火) 21:51 (UTC)[返信]
(追記)CU ということになりますと、上の節でLudwigSK さんがご指摘されておりますように、他にも気になるアカウントが複数あるのですが、今回の議論には参加されていないので、さすがにそこまでは無理でしょうか。--立花左近 2012年2月21日 (火) 23:48 (UTC)[返信]
「アカウントの乗り換え」がWikipediaの方針に反するかどうか分からなかったので、今回は対象に入れておりません。-- 2012年2月22日 (水) 16:45 (UTC)[返信]
賛成 では、私も賛成票に変更いたします。CUではコメントできませんが、見守らせていただきたいと存じます。なお関連アカウントについては、乗り換え以後は活動を停止しているようですので、CUではログが残っていなさそうです。特徴的で判り易い方ですし、今後新たに現れるようであれば、改めて対処するということで。--LudwigSK 2012年2月22日 (水) 01:28 (UTC)[返信]

当事者を除く編集者全員の賛成をいただきましたので、依頼を提出しました。-- 2012年2月22日 (水) 16:45 (UTC)[返信]

さん、 依頼ご提出の労をお取り頂き有難うございました。御礼を申し上げます。--Pooh456 2012年2月22日 (水) 21:39 (UTC)[返信]
同じくありがとうございました。--立花左近 2012年2月23日 (木) 01:06 (UTC)[返信]

報告 Wikipedia:チェックユーザー依頼/TEKEBARUの結果、TEKEBARUさん、椿三十軒さんの他、雪柳さん、雲夢園さんも無期限ブロックとなりました。チェックユーザー依頼の労をお取りいただいた超さん、ならびにコメントをお寄せいただいたPooh456さん、LudwigSKさん、どうもありがとうございました。--立花左近 2012年2月26日 (日) 12:30 (UTC)[返信]


上記以外でソックパペットがないか調べてみたところ、気になるアカウントがいくつかありました。

最終編集日時から間があいているので、CUは難しそうですが・・・。-- 2012年2月28日 (火) 17:04 (UTC)[返信]

私から提示できるのは、加えて以下の方々です。
同じIPからの接続であれば、ログが残っていれば先日のCUで出てきていたことでしょう。この先は、偏向した編集が無いか地道に調べていくくらいしか出来ないと思います。遅くなりましたが、一連のCUの手続きお疲れ様でした。--LudwigSK 2012年2月29日 (水) 01:16 (UTC)[返信]

次の方々はどうでしょうか。

--立花左近 2012年2月29日 (水) 11:21 (UTC)[返信]