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トゥルゾー家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トゥルゾー家の紋章
レヴォチャ市街のトゥルゾー宮殿

トゥルゾー・デ・ベトレンファルヴァ家:Thurzó de Bethlenfalva)は、近世中欧で栄えた裕福なハンガリー人実業家の家系。ドイツ語名はトゥルツォ・フォン・ベーテルスドルフ家Thurzo von Bethelsdorf)。家名はベトレンファルヴァ(現在のスロヴァキアコシツェ県ベトラノフツェBetlanovce)に由来する。

歴史

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トゥルゾー家の名は、12世紀半ばのバイエルンの公文書に初めて登場する。同家は、ハンガリー王国領でありながら、1412年から1772年(の第1次ポーランド分割)までポーランド王国の抵当物件となっていた、ツィープス(スピシュ)地方の古い貴族の出であった。ジェルジ1世(1460年没)が1430年にベトレンファルヴァの領主となり、一族はほぼ同時期にレヴォチャに本拠を置いた。ジェルジ1世の息子のヤーノシュ1世Thurzó János, 1437年 - 1508年)は1464年にポーランドの首都クラクフに移住し、翌1465年には市民権を取得、後には同市の市参事会員、市長にまで上り詰めている。

ジェルジ1世とその息子たちは、ヨーロッパの広い地域でを扱う貿易業を展開した。同家はスロヴァキアトランシルヴァニアボヘミアシレジアなどで自ら採掘業を経営した。彼らの経営する鉱山には、「トゥルゾー」の家名が付けられた。

トゥルゾー家の財務・経営上のパートナーとなったのは、同じクラクフの市参事会員、とりわけアウクスブルクを本拠とするフッガー家であった。トゥルゾー家はフッガー家との協力関係を深め、二家の間の縁組を通じて同族経営企業の関係を築いた。トゥルゾー家は1495年、ヤーコプ・フッガーJakob Fugger)と共同で「ハンガリー貿易会社(Ungarische Handel)」を設立し、1526年までハンガリーの銅山・銀山、ドナウ川流域での貿易業を支配した。トゥルゾー財閥の現出した商業帝国はヨーロッパ大陸の西半にまで勢力を伸ばし、同家はヨーロッパ最大の富豪と言われた。

トゥルゾー家は一時的にナジバーニャ(フラウエンバッハ、現在のバイア・マーレ)、ベステルツェバーニャ(ノイゾール、現在のバンスカー・ビストリツァ)、クッテンベルク(現在のクトナー・ホラ)の諸都市を経済的に支配していたほか、下シレジアのライヒェンシュタイン山地(現在のズウォテ山地)一帯をも勢力圏に置いていた。

ヤーノシュ1世の息子たち、ジェルジ3世Thurzó György, 1467年 - 1521年)とエレクThurzó Elek, 1490年頃 - 1543年)は、自家の商業帝国をマウォポルスカ地方にまで拡げ、一時は上シレジアプシュチナ(プレス)公爵領を購入し、ポーランド王家の宮廷と密接に結びついた。トゥルゾー家は文芸の有力なパトロンとして、人文主義思想と深い関わりを持ってもいた。

クラクフの市民層のポーランド化が顕著になると、トゥルゾー家は故国であるハンガリーに本拠を戻すことになった。1525年以後は、フッガー家との企業同盟を解消したせいで、トゥルゾー家の会社の業績は悪化の一途をたどった。くわえて、1526年のモハーチの戦い以後はオスマン帝国が現在のハンガリーの大部分を勢力下に置いたため、トゥルゾー家の没落は決定的となった。同家の家系は17世紀前半には途絶えた。

トゥルゾー家の紋章は上部に獅子を、下部にバラの花を配する形になっている。この紋章は、トゥルゾー家と同じくシレジアの鉱山財閥から成り上がったヘンケル・フォン・ドナースマルク家のそれと非常に類似している。

参考文献

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  • Karen Lambrecht: Aufstiegschancen und Handlungsräume in ostmitteleuropäischen Zentren um 1500. Das Beispiel der Unternehmerfamilie Thurzó. In: Zeitschrift für Ostmitteleuropaforschung. Band 47, 1998, S. 317–346
  • Oskar Paulinyi: Johann V. Thurzo, Bischof von Breslau. In: Schlesische Lebensbilder. Band 4, S. 1–5, Breslau 1931.
  • Josef Joachim Menzel: Johannes V. Turzo. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 10, Duncker & Humblot, Berlin 1974, ISBN 3-428-00191-5, S. 482 f. (電子テキスト版).

外部リンク

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