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* [http://www005.upp.so-net.ne.jp/tsumepara/ 詰将棋パラダイス] 詰将棋の専門雑誌
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* [http://park6.wakwak.com/~k-oohasi/shougi/ 詰将棋博物館] 古典詰将棋の鑑賞
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2010年11月12日 (金) 12:19時点における版

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詰将棋つめしょうぎ)とは、将棋のルールを用いたパズル

が配置された将棋の局面から王手の連続で相手の玉将詰めるパズルで、元は指し将棋(詰将棋と区別する上でこう呼称する)の終盤力を磨くための練習問題という位置づけであったと思われるが、現在ではパズルとして、指し将棋から独立した一つの分野となっている。造物詰物図式ともいう。

概説

通常の指し将棋と目的が同じであるため、実戦的な詰将棋は指し将棋の終盤力の養成に大いに役立つ。詰将棋として独立した作品になると、升田幸三が「詰将棋の妙味はハッとする鮮やかさに尽きる」と述べているように、一般的な常識や価値観と異なる、捨て駒や、不利に思われる不成、効きの少ない限定打、などの意表をついた手筋や構想があり、それらを解く、もしくは創作することが楽しみとなる。

最短のものは1手詰、以下3手詰、5手詰、7手詰…、と奇数の手数となる。これは、先手(攻め方)から指し始めて先手の指し手で詰め上がるためである[1]。数手から十数手までの比較的平易なものが新聞紙上やテレビ、将棋専門誌などに紹介される一方、より難解で手数の長い作品を取り扱う書籍や専門雑誌も存在している。代表的な専門雑誌としては『詰将棋パラダイス』があり、将棋専門誌である『将棋世界』と『近代将棋』も詰将棋の投稿コーナーを連載している。『詰将棋パラダイス』は「看寿賞」を、『近代将棋』は「塚田賞」を設け、優れていると判断された作品に賞を贈っている。

代表的な詰将棋作家に黒川一郎、七條兼三、駒場和男、大塚敏男、山田修司、柏川悦夫、岡田敏、酒井克彦、田中至、上田吉一、若島正、山本昭一、山崎隆、森長宏明、柳田明、伊藤正、藤本和、添川公司、橋本孝治、相馬康幸、田島秀男などがいる。

また、将棋プロ棋士が詰将棋を創ることも多く、創作を得意とする棋士では塚田正夫二上達也原田泰夫北村昌男内藤國雄伊藤果勝浦修谷川浩司森信雄中田章道らが知られる。

チェスにもプロブレムと呼ばれる類似したパズル問題が存在する。ただし、チェックは連続しなくてよい。

ルール

詰める側を攻方とよび、詰められる側を玉方とよぶ。

  • 攻方が先手である。
  • 攻方は王手の連続、かつ、最短手順で相手の玉を詰めなければならない。
    • 最短手順でない詰手順がある場合、「余詰」と見なされる。
  • 攻方は持駒と、王手をしながら取った駒を使ってよい。
  • 玉方は最長手順を選び逃げなければならない。
  • 玉方の持駒は「残り駒全部」であり、盤上と攻方の持ち駒、および玉将を除くすべての駒を持駒とする。
    • 玉方は使われていない駒を合駒として打つことができる。
    • その種類の駒がすべて使われているときは、その駒は打てない(俗に「売り切れ」という)。たとえば飛車(龍王)が盤上に2枚あれば、合駒として飛車を打つことはできない。
    • 取られるだけで詰手順の本質に変化を生じない玉方の合駒は「無駄合」といって手数に含めない。ただし合駒によって詰みを回避できる場合、または詰手順に変化を生じる場合は、無駄合いではない。
  • 玉方は逃げ手順で同手数の手順が複数ある場合、攻め方に駒を与えない方(攻め方に持駒が残らない方)を正解とする。
  • その他、駒の動かし方等のルールは指し将棋に準じる(打歩詰め千日手は失敗となる)。

問題作成上の制限として次のようなものがある。

  • 最善の手順が一意に定まる。
    • 作意手順(作者の意図した手順)以外の詰手順が成立する場合、「余詰」と呼び、不完全作として扱われる場合がある。
  • 攻方、玉方双方とも最善の手順を進めた場合、最終的に攻方の持駒が1枚も残らない。
  • 盤上に飾り駒(その駒があってもなくても、作品の内容に影響しない無駄な駒)を配置しない。

歴史

詰将棋は江戸時代の初期に誕生したとされる。これより古い例では、遊戯史研究家の増川宏一が、『新撰遊学往来』の各種遊戯の記述に含まれている「作物」という表現を詰将棋とみなす説を挙げており、これが事実であれば15世紀には詰将棋があったことになる。

現存する最古の詰将棋は慶長年間(1596-1615)に出版された初代大橋宗桂(1555-1634)の『象戯造物』(俗称『象戯力草』)である。これは将棋の終盤の考え方を教えるものであり、現在の詰将棋のように最短手順ではなかったり、終局時に攻め方の持ち駒が余る問題もあった。

宗桂以来、名人襲位時に幕府に詰将棋の作品を献上することがならわしとなり、詰将棋は大きく発展していった。三代伊藤宗看によって享保十九年(1734年)に江戸幕府に献上された『将棋作物』(俗称『将棋無双』『詰むや詰まざるや』)と、宗看の弟でもある伊藤看寿によって宝暦五年(1755年)に献上された『将棋図式』(俗称『将棋図巧』)とが、江戸時代における詰将棋の最高峰といわれている。伊藤宗看は詰将棋のルールを確立した。伊藤看寿の名は、現代詰将棋の傑作に与えられる「看寿賞」に残っている。

九世名人六代大橋宗英以降、詰将棋の献上は行われなくなり、詰将棋の発展は一時停滞した。復活するのは昭和に入り、「将棋月報」が詰将棋を掲載するようになってからである。以降、詰将棋は指し将棋とは独自の発展をし、現在に至るまで極めて高度な作品や芸術的な作品がいくつも発表されている。現在(2009年8月時点)発表されている詰将棋のうち、最長手数のものは、橋本孝治作の「ミクロコスモス」(『詰将棋パラダイス』1986年6月号発表、後に改良)の1525手詰である。

看寿賞・塚田賞

いずれも、優れた詰将棋作品に与えられる賞である。

看寿賞

看寿賞(かんじゅしょう)は全日本詰将棋連盟が制定した賞で、「詰将棋パラダイス」誌で発表される。第1回の発表は1950年だったが、その後中断があり、第2回の発表は1961年となっている。第2回以降は、毎年受賞作を発表している。詰将棋に与えられる賞の中でもっとも価値のある賞であるとされる。短編(17手以下)、中編(19~49手)、長編(51手以上)の各部門で表彰し、その他曲詰などに対して特別賞を設定している。

江戸時代の棋士で、詰将棋作家としても第一人者であった伊藤看寿の名にちなんで制定されている。

プロの棋士の受賞もあり、1983年に浦野真彦が短編賞、1995年に浦野真彦、1997年に谷川浩司、1998年に内藤國雄がそれぞれ特別賞を受賞している。浦野真彦は2004年度から同賞の選考委員も務めている。

女性では、2001年に女流棋士高橋和が短編部門で受賞している。

看寿賞受賞作

受賞作の作者名一覧。「 」は作品名。

年度 短編部門 中編部門 長編部門 特別賞
1951 該当なし 該当なし 北村研一「槍襖」 該当なし
1962 該当なし 該当なし 田中鵬看「宇宙」 該当なし
1963 柏川悦夫 門脇芳雄「珠」 黒川一郎「嫦娥」 該当なし
1964 酒井克彦 柏川悦夫 該当なし ※ 奨励賞:
山田修司「織女」、「牽牛」
安達栄司「オリンピック組曲」4局
1965 該当なし 該当なし 該当なし ※ 奨励賞:岡田敏、山田修司
1966 該当なし 該当なし 高木秀次 ※ 奨励賞:福田桂士「馬子唄」、「宇宙遊泳」
1967 該当なし 柴田昭彦 駒場和男「かぐや姫」 該当なし
1968 該当なし 該当なし 黒川一郎「天馬」、「荒駒」 該当なし
1969 該当なし 該当なし 該当なし 該当なし
1970 該当なし 該当なし 該当なし ※ 奨励賞:
山本民雄
駒場和男「父帰る」
1971 該当なし 該当なし 若島正「地獄変」 ※ 奨励賞:
田中鵬看 歩なし全駒シリーズ
(代表作として『奔馬』)
1972 藤田剛 上田吉一 上田吉一「五月晴れ」 該当なし
1973 該当なし 該当なし 該当なし 該当なし
1974 佐々木聡 該当なし 高田豊通 該当なし
1975 上田吉一 該当なし 上田吉一「モザイク」 該当なし
1976 酒井克彦 該当なし 山崎隆 該当なし
1977 該当なし 該当なし 該当なし ※ 奨励賞:安達康二
1978 上田吉一 該当なし 駒場和男「三十六人斬り」
墨江酔人(七條兼三)
※ 奨励賞:小西真人
1979 該当なし 新ヶ江幸弘 柳田明「稲村ヶ崎」
山崎隆「赤兎馬」
該当なし
1980 橋本樹 添川公司 橋本哲 該当なし
1981 小泉潔 飯田繁和
若島正
山本昭一「メガロポリス」
伊藤正「月蝕」
深井一伸「七対子」
該当なし
1982 該当なし 該当なし 山本昭一「メタ新世界 ※ 奨励賞:有吉弘敏、山本民雄
1983 浦野真彦
赤羽守
伊藤正 添川公司「妖精」
伊藤正「天女」
該当なし
1984 該当なし 山本民雄 添川公司「帰去来」 該当なし
1985 愛上夫 山本民雄 橋本孝治「イオニゼーション」
藤本和
該当なし
1986 柳原夕士 若島正 橋本孝治「ミクロコスモス 該当なし
1987 相馬康幸「ヒロエ」 若島正 相馬康幸「迷路」 該当なし
1988 鶴田康夫 若島正 赤羽守「妻籠宿」 該当なし
1989 行き詰まり「新たなる殺意」 山田康平「セブン・センシズ」 橋本孝治 該当なし
1990 山形達也 富樫昌利 馬詰恒司「修羅王」 該当なし
1991 該当なし 大橋健司「迷宮の王」 該当なし ※ 奨励賞:水上仁
1992 該当なし 相馬慎一 添川公司「大航海」 該当なし
1993 若島正 相馬慎一 河原泰之「SWINGII」 小沢正広「夏の陣」
1994 宗岡博之「MOTOR DRIVE」 大橋健司「ドラゴン・パラドックス」 該当なし 浦野真彦「春時雨」
1995 小林敏樹 若島正 堀内真「未知との遭遇」 該当なし
1996 仲西哲男 波崎黒生「ボディーガード」 馬詰恒司・摩利支天合作「FAIRWAY」 該当なし
1997 小林敏樹 斎藤吉雄「くもの糸」 新ヶ江幸弘「伏龍」
梅田亮「逡巡の恋」
谷川浩司
1998 谷口均 原亜津夫 信太弘
橋本孝治
内藤國雄玉方実戦初形
1999 小林敏樹 相馬康幸
山田修司「回転銀」
I.TADASHI(伊藤正)「馬×馬」
田島秀男「乱」
加藤徹(大道詰将棋
2000 伊田勇一 波崎黒生「ルートファインディング」 近藤真一 安達康二「夢の車輪」
2001 高橋和 江口伸治 近藤真一
田島秀男「まだら」
該当なし
2002 原亜津夫 角建逸「風鈴」 添川公司「明日香」
田島秀男「夫婦馬」
森田銀杏「トランプ詰め4題」
2003 斎藤夏雄 相馬康幸「デフォルト」 添川公司「早春譜」 岡村孝雄「驚愕の曠野」
2004 該当なし 船江恒平 高橋恭嗣「木星の旅」 該当なし
2005 高坂研 有吉澄男 田島秀男 該当なし
2006 中村雅哉 該当なし 添川公司「新桃花源」 該当なし
2007 武紀之 該当なし 添川公司「阿修羅」 該当なし
2008 該当なし 中村雅哉「奔龍」 添川公司「阿吽」
安武翔太
該当なし
2009 谷口均 若島正「ルービックキューブ」 近藤真一 該当なし

塚田賞

塚田賞(つかだしょう)は「近代将棋」誌 (2008年6月号で休刊) が制定した賞で、同誌上で発表されていた。塚田正夫実力制第二代名人の名にちなんで設けられた。塚田自身も、病没する1978年まで選考にあたっていた。2005年現在、短篇(20手未満)・中篇(40手未満)・長篇(41手以上)の各部門で、年1回選考を行っている。

詰将棋の用語

上述の通り、詰将棋は指し将棋と独自の発展を遂げているため、詰将棋特有の用語も多数生まれている。

詰将棋のバリエーション

曲詰・あぶりだし
駒の配置で文字や図形を描いた詰将棋。初期状態の配置が文字や図形を描いているものを盤面曲詰、詰め上がり状態でそうなっているものをあぶりだしという。また、詰め手順の途中でも文字や図形が描かれるものもある。初期状態と詰め上がりの両方で文字や図形を描くものを、とくに立体曲詰と呼ぶことがある。徳川家治の創作した「七の字詰め」(初期配置が漢字の七の字)などが代表的作品である。また、曲詰を用いて祝い事などがあると詰将棋作家が祝い事にちなんだ詰将棋を贈呈するケースがある。これを祝賀詰という。
双玉詰将棋
攻め方の玉も配置した詰将棋。玉方から王手をかけられたときは、王手を回避しながら詰め手順を継続しなければならない。第二次大戦直後に加藤玄夫が創作したものをもって嚆矢としていた時期もあったが、月刊誌「将棋世界」の創刊号(1937年10月号)に双玉の詰将棋が発表されており、現在ではいつから作られたのかはっきりしたことはわかっていない。現在ではプロ棋士の神吉宏充が双玉詰将棋作家の第一人者であり、多数の問題を発表している。
大道詰将棋(大道棋)
もともとの意味は、露店などで懸賞と引き替えに客に解かせていた詰将棋。客から見て一見簡単に解けるようで、玉方の意外な応手で難しく作成されており、解くには有段者クラスの実力が要求されるという。転じて、このように作られた詰将棋を総じて大道詰将棋と呼ぶ。双玉問題も多い。作者は大半が不明である。露店などで解かせていたものは熱心なファンなどが記録し、出題されていた3000題ほどのうち、現在では500題近くが残っている。多くは大正時代頃の創作であると考えられているが、まれに大橋宗桂作の「香歩問題」や、高浜禎作の「やりぶすま」などなどのように江戸や明治の将棋棋士が創作した問題も出題されていた。
大道詰将棋の発祥は大正末で、記録に残る創始者は野田圭甫であり、自分が創作した鬼殺し定跡解説前の客引きとして始めたが、後には詰将棋の方が主となったという。なお、升田幸三は家出後、大道詰将棋を解いて賞金を稼ぐことで一時期生活していたと自ら語っている。
現在では露店での大道詰将棋はバザーなどで出しているものを除きほとんど行われていない。大道詰将棋の作品そのものは現在でも作られている。
煙詰
初期状態で盤面に攻め方の玉将を除く39枚の駒を配置し、詰め上がり状態で最少(3枚)となる詰将棋。伊藤看寿の『将棋図巧』第九十九番のものが最初のものである。
詰め上がり時に玉の位置が盤面周辺ではない場合は、最小枚数が4枚になる。当初は異論もあったが現在では煙詰として認知されている。

最初の配置による分類

裸玉
初期状態で盤面に玉将1枚だけ配置されている詰将棋。伊藤看寿の『将棋図巧』第九十八番のものが最初のものである。
無仕掛け
初期状態で盤面に攻め方の駒が全くない詰将棋。
無防備図式
初期状態で盤面に玉方の駒が玉だけしかない詰将棋。
単騎図式
初期状態で攻め方の駒が一枚だけしかない詰将棋。盤面にある場合と持ち駒の場合に大別され、持ち駒の場合は必然的に無仕掛けと複合する。
一色図式
初期状態の盤面に、玉将のほかは同じ種類の駒だけが配置されているもの。その種類の駒は最大数配置し、持ち駒に残さない(玉方と攻め方のどちらに配置してもよい)。玉将と飛車2枚を使った一色図式を「飛車一色図式」のように、駒の種類をつけて呼ぶ。
七色図式
初期状態で玉将のほかは飛車角行金将銀将桂馬香車歩兵の七種の駒が一枚ずつ使用されている詰将棋。盤面のみに使用されている場合と持ち駒も含めた場合に大別される。また、盤面で七種が一枚ずつ使用されていれば持ち駒は問わない場合もある。成駒は竜王竜馬と金のみ可とされている。
飛角図式(大駒図式)
初期状態で盤面に玉将・飛車(竜王)・角行(竜馬)だけが配置されている詰将棋。
小駒図式
飛車・角行が盤面にも持ち駒にも含まれない詰将棋。初代大橋宗桂の作品に既にこの形式のものが存在する。
貧乏図式
金将・銀将が盤面・持ち駒に含まれない詰将棋。「金銀がない」ことの連想からこの呼び名がついた。金将・銀将以外の小駒の成駒は金将と同じ動きをするが、これらも省いた物を特に「清貧図式」という。
握り詰め
駒箱から適当な駒を選び、選んだ駒で盤面と攻め方の持ち駒を構成して作る詰将棋。
豆腐図式
初期状態で盤面に玉将・歩兵・と金だけが配置されている詰将棋。と金の「と」と歩兵の「歩」の語呂から「豆腐図式」と命名された。1953年(昭和28年)に黒坂隆身が『風ぐるま』に発表したものが最初。
鶯図式
初期状態で盤面に玉将・桂馬・香車・歩兵(成駒を含む)だけが配置された詰将棋。「歩歩桂香」が「ホーホケキョ」と読めるところから命名された。
実戦初形
1-3段目に玉方の駒が初期配置の状態で並べられた詰将棋。1981年(昭和56年)に内藤國雄神戸新聞に発表したものが第1号局。

詰上がりによる分類

雪隠詰
詰め上がりの玉将の位置が将棋盤の隅(1一・9一・1九・9九)になる詰将棋。「雪隠」(せっちん)とは便所のことで、家の隅にあることからこの名が付いた。指し将棋でもこの述語を用いる(穴熊戦などでよくある形である)。
都詰
詰め上がりの玉将の位置が将棋盤の中央(5五)になる詰将棋。指し将棋でもこの述語を用いる。
すかし詰
玉から離れた位置にある飛車(竜王)・角行(竜馬)・香車で詰ませる詰将棋。合駒が効かない状態であることが前提。
単騎詰
詰め上がりの図で攻め方の駒が一枚しか残らない詰将棋。「スーパー詰将棋」とも呼ばれる。

フェアリー詰将棋

ルールを変更したり、駒の種類を追加したり(チェス中将棋などの駒を使用する)した詰将棋を「フェアリー詰将棋」という。例を挙げると以下のようなものがある。安南詰・対面詰などは指し将棋から詰将棋に移植された変則ルールである。

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協力詰(ばか詰)
攻め方と玉方が協力して、最短手数で玉方の玉を詰ますのを目指す。右図は通常の詰将棋としては詰まないが、玉方が詰むような応手を選ぶことで▲5三歩△5一玉▲5二金と詰むようになる。
自殺詰
攻め方にも玉を配置し(双玉問題)、攻め方の玉を詰める。攻め方は王手を連続させ、最終的に自玉が詰むようにならなければならない。協力詰と同時に用いられることが多い。自玉をステイルメイトの状態にする問題も制作されている。
安南詰
同じ側の駒が2枚縦に連なっているとき、上の駒の効きが下の駒の効きに変化する。逆に下の駒の効きが上の駒の効きに変化する変則ルールを「安北詰」という。
対面詰
相手の駒と向かい合った(2枚縦に連なった)とき、互いに駒の効きが入れ替わる。背中合わせになったときに駒の効きが入れ替わる「背面詰」もある。

趣向

詰将棋、特に長手数の作品には、以下のような詰将棋特有の技法が盛り込まれているものが多い。これらの技法を趣向と呼ぶ。

竜追い
竜王で玉を追いかける手順。『寿』(伊藤看寿作)を始めとする多くの長手数作品に使用されている。
持ち駒変換
開き王手などを利用し合駒などを取ることによって、持ち駒を変える手順。
連取り・はがし
盤上にある玉方の駒を開き王手などを利用して消していく手順。すでに並んでいる物を順に取っていく物を連取り、取るために駒を一定の場所に呼び出すものをはがしという。後者は、呼び出すための駒を手に入れるために持ち駒変換と併用されることが多い。
知恵の輪
和算家の久留島喜内(久留島義太)の考案による物で、一連の千日手含みの手順を繰り返し、その手順の中で少しずつ盤面を変化させ収束にいたるというものである。久留島による「金知恵の輪」「銀知恵の輪」の他、最長手数の詰将棋である「ミクロコスモス」などにも使用されている。
龍鋸・馬鋸
竜王・竜馬を(鋸の歯の様に)ジグザグに動かしていく手順。馬を縦横に1枡ずつ動かしていく馬鋸の作品が多い。
駒位置変換
盤上の駒を取り、玉方に取らせて別の場所に打たせる。この一連の手順により、盤上の駒が(通常なら動けない位置に)移動する。
中合い
王手に対する合駒を、玉将から離れたところに打つこと。ただ取られるだけの中合いは「無駄合い」として手数に含めないが、中合いをすることによって詰みから逃れる作品も多い。大橋宗桂作「香歩問題」の銀の中合いが有名で、詰将棋以外でも守りの手筋としてよく取り上げられる。
邪魔駒消去
味方の駒の一つが既に邪魔になっており、その邪魔駒を相手方に取らせた上で、詰めを目指していく詰将棋のこと。
打ち歩詰め回避
普通に攻めると打ち歩詰めになる所を別手順で回避していくタイプ。大駒に不成をさせる場合や、意外な妙手によって問題を打開していく場合などがある。
打ち換え
同じ場所にいた駒を捨てて、もう一度同じ場所に別の駒を打つ手筋と同種類の駒を別の場所に打つ手筋を指している[2]

その他

作意
作者が意図した手順のこと。詰将棋の代表的な正解手順とされる。変化同手数などのキズがある場合、作意手順以外にも正解手順となりうる手順があるため、作意手順だけが正解手順ではない。
偽作意
作意手順と思わせて実は詰まない手順(後述の紛れに含まれる)。
紛れ
詰みそうに思えて詰まない手順。当然ながら、紛れが多いほど難解な詰将棋となる。
不完全作
詰まない詰将棋。または後述の余詰などのため、複数の詰め手順が存在する詰将棋。詰将棋としての価値はほとんどゼロとされる。山口瞳によれば、某氏作の詰将棋が不完全作(余詰)だったために日本将棋連盟渉外担当の芹沢博文が電話呼び出しを受けたケースがあったという。山口はこれについて、「詰将棋に余詰は免れがたいというのが僕の思想である」と述べている。
キズ
変化同手数などで完全な正解手順が定まらないもの。作品評価上、減価事項のひとつであるが、不完全作ほど評価は低くならない。
変化
玉方の応手によって、作意以外の手順で詰む場合、変化と呼ぶ。変化が多いほど難解な詰将棋となる。作意手順と同手数、またはより長い変化手順がある場合、キズまたは不完全作と見なされる。
余詰
攻め方の応手によって、作意手順以外に発生する詰め手順(作意より長いか短いかは問わない)。最終手以外に余詰がある詰将棋は不完全作と見なされる。
最終手余詰
最終手(残り1手で詰む状態)で複数の1手詰の手順があったり、3手以上で詰む詰め手順が別にあること。普通の余詰と異なり、不完全作とはみなされないが、程度によってはキズと見なされることもある。
変化長手数(変長)
変化手順のうち、作意手順より長くなるもの。通常は不完全作と見なされるが、作意より2手だけ長く攻方の持駒が余る場合は、例外的に不完全作とはしない。
変化同手数(変同)
変化手順のうち、作意手順と同手数のもの。駒余りの場合は許容範囲であるが、持ち駒が余らない場合はキズと見なされる。ただし成・不成の選択や非限定は変同に含まないこともある。
変化別詰(変別)
作意手順より短く詰むか駒余りになる変化手順があるときに、その変化手順の途中の攻め方の指し手で分岐する別の詰め手順があり、その手順が作意手順より長く詰むか同手数で持ち駒が余らない手順であること。変別手順は通常は正解手順にはならない。また、変化別詰があっても余詰と異なり許容範囲と見なされるが、程度によってはキズと見なされることもある。
駒余り
最終的に詰ませた局面で攻め方の持ち駒が1枚以上余ってしまった状態。上記の変化長手数や変化同手数で挙げられている状況を除けば不完全作とみなされる。
非限定
走り駒(飛車・角行・香車)の打つ位置や合駒の種類、最終手などが1つに定まらない(どちら/どれでもよい)場合。キズの一種として扱われることもある。
香先香歩・飛先飛香・飛先飛歩
持ち駒に2種類の駒がある場合、利きの多い駒を持ち駒に残し、そうでない駒を先に使うのが一般的である。これを逆の順番で使わせることを目的とする構想を「○先○△」という。
香歩問題・金問題・銀問題
いずれも大道棋における一般的な問題である。大道棋の問題にはいくつかの問題群があり、各問題群には初期配置がよく似た問題が多く存在する。これらの問題群の多くは最初の持ち駒で分類され、上記のような呼ばれ方をする。
打歩問題
出題図、または途中の段階で歩を打つと打ち歩詰めになる問題。攻方が打ち歩詰めを回避する手や、玉方が打ち歩詰めに誘致する手が妙手となることが多い。打ち歩詰め#詰将棋における打ち歩詰めも参照。

詰将棋の作品性

著作権

詰将棋は指し将棋より創作性が高く、芸術や文学などと同様、個別の詰将棋が「作品」として扱われる。従って、詰将棋に著作権が認められるということでほぼ異論なく合意されている[3]。これに対し、指し将棋の棋譜で著作権が認められるかどうかは現在でも意見の相違がある。

完全作と不完全作

詰将棋には第三者による評価が行われる。詰め手順の技術や芸術性についての検討のほか、完全作であるかどうかが大きな評価の基準となる。不完全作は完全作に比べ、大きく評価が落とされるか、内容によっては「詰将棋ではない」として評価されないこともある。

完全作であるとする基準は、以下のようなキズ(欠点)を持たないこととなる。詰将棋特有の用語については本項「詰将棋の用語」節のその他を参照のこと。

  • 不詰 - 作意手順以外の玉方の対応によって詰みを逃れるもの。特別なものを除いて詰将棋としては認められない。
  • 余詰 - 作意手順以外の詰め手順が存在すること。玉方の応手によって、作意より短い手順で詰むのは余詰とは言わない。
  • 非限定 - 成・不成、合駒の種類、大駒を打つ位置などが限定されないこと。比較的小さなキズとして扱われる。

詰将棋界の慣習

詰将棋界の独自の慣習があり、例えば新しく創作された詰将棋が将棋雑誌に詰将棋の「作品」として掲載されるかどうかは、慣習によるところが大きい。過去に発表された作品の存在や構想が大きく尊重されており、概ね以下のような慣習となっている[4]

  • たとえば既発表作品の駒の配置を部分的に変更するなどにより、手数を数手延ばすなどの小さな改変がなされることはたまにあるが、それを改作者の単独名義として発表することはない。
    • 原作者の存命中はまず原作者に承認をもらい、原作者と改作者の共同制作として連名で出題するか、または「原作者A・改作者B」のように原作者を上位に置く形で出題したり、原作者の名前のみで出題し、改作者の名前はアドバイスとして付記するだけにとどめるなどの手段がある。改作の度合いによってどれを選択するかは異なるが、いずれの場合も原作者の承認を必要とする。
    • 原作者の死後は(当然承認を得ることが出来ないため)上記のいずれの方法も取ることが出来ず、詰将棋の作品として認められることはない(参考図扱いで掲載されることはある)。
  • 前作の存在を知らずに作成された詰将棋でも、「全く同一の作品」だけではなく「駒の配置や手順が酷似している作品」も含めて作品価値がほとんどないとされるため、詰将棋の作品として扱われることはあまりない。現在では、このような類似作を回避するため、古今の詰将棋の作品を収録したデータベースを使って同一作・類似作を検索することがある。

代表的な作品

  • 橋本孝治 ミクロコスモス - 最長手数詰め
  • 伊藤看寿『将棋図巧』第99番「煙詰」 - 最初の煙詰
  • 伊藤看寿『将棋図巧』第98番 - 最初の裸玉

代表的な作品集

長手数詰め作品

作品名 作者 手数 発表年
ミクロコスモス 橋本孝治 1525手 1995年12月
1519手 1986年6月
新桃花源 添川公司 1205手 2006年8月
アトランティス 中村宜幹・芝勇輝 951手 2008年12月
メタ新世界 山本昭一 941手 1982年7月
新扇詰 奥薗幸雄 873手 1955年1月
イオニゼーション 橋本孝治 789手 1985年12月
桃花源 添川公司 767手 1985年12月
明日香 添川公司 703手 2002年12月
ゴゴノソラ 今村修 651手 1995年8月
阿吽 添川公司 647手 2008年11月
無銭旅行 佐々木恭閑 645手 2002年3月
アルカナ 橋本孝治 639手 1999年8月
波乱万丈 駒場和男 615手 2006年6月
寿 伊藤看寿 611手 1755年
Fairway 馬詰恒司・摩利支天 611手 1996年9月

脚注

  1. ^ 将棋世界』2008年4月号176ページ「棋界のトリビア」に、偶数手(44手)の詰将棋があったことが紹介されている。これは曲詰を作る際にやむを得ず、王手がかかった状態の初形とし、後手(玉方)から指し始める形としたためである。また、フェアリー詰将棋においては、ばか自殺詰(協力自殺詰)などの分野において、偶数手の作品が普通に見られる。
  2. ^ 関根茂の著書より。同著によると、他に玉を危険地帯に誘い込む手筋、玉の逃げ道を狭くする手筋、守備駒の配置を変える手筋などが記されている
  3. ^ 参考:詰将棋の著作権について詰将棋の著作物性と登録制度
  4. ^ 参考:「おもちゃ箱掲示板」の2006年のログの10月25日(水)19時37分4秒、TETSU氏の書き込み

参考文献

関連項目

Category:詰将棋も参照。

外部リンク