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===落馬事故により死去===
===落馬事故により死去===
[[2024年]][[4月6日]]、阪神競馬第7競走(4歳以上1勝クラス牝馬限定戦、ダート1,800m、12頭)でスウィートスカーに騎乗中、第3コーナーで前の馬に接触してつまずき、落馬した(馬は異常なし)<ref>[https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/post_31868.html 阪神7Rの競走中止について] - 競馬実況web(ラジオNIKKEI)2024年4月6日</ref>。病院に搬送となり、JRAからは「頭部・胸部の負傷」と発表され、翌7日の桜花賞([[エトヴプレ]])を含む以降の騎乗が騎手変更となった<ref>[https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2024/04/06/kiji/20240406s00004048472000c.html 藤岡康太、落馬で頭部と胸部負傷 7日桜花賞のエトヴプレは鮫島克駿が騎乗] - Sponichi Annex 2024年4月6日</ref>。なお、この競走についてJRAより「3コーナーでの御法(前の馬に接触した)」について、過怠金10万円が科せられている(4頭が被害馬)<ref>{{PDFlink|[https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/report/2024/2024-2hanshin5.pdf 第2回 阪神競馬 第5日成績表] - 日本中央競馬会(第7競走を参照)}}</ref>。事故から4日後の10日、実兄である藤岡佑介が取材に応じ、未だ重篤な状況である事を公表した<ref>[https://www.nikkansports.com/keiba/news/202404100000167.html 落馬負傷の藤岡康太騎手について兄・佑介騎手が現状伝える「まだ意識が戻っていない状態です」]- 日刊スポーツ 2024年4月10日</ref>。後に佑介が自身の連載する[[netkeiba.com]]のコラムに寄せたメッセージで明かされたところによると、搬送の時点で意識がなく「正直、いつ息を引き取ってもおかしくない状況」だったという<ref>[https://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=54617&rf=top_topics ファンの皆様へ - 藤岡佑介] - netkeiba 2024年4月11日</ref>。
[[2024年]][[4月6日]]、阪神競馬第7競走(4歳以上1勝クラス牝馬限定戦、ダート1,800m、12頭)でスウィートスカーに騎乗中、第3コーナーで前の馬に接触してつまずき、落馬した(馬は異常なし)<ref>[https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/post_31868.html 阪神7Rの競走中止について] - 競馬実況web(ラジオNIKKEI)2024年4月6日</ref>。病院に搬送となり、JRAからは「頭部・胸部の負傷」と発表され、翌7日の桜花賞([[エトヴプレ]])を含む以降の騎乗が騎手変更となった<ref>[https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2024/04/06/kiji/20240406s00004048472000c.html 藤岡康太、落馬で頭部と胸部負傷 7日桜花賞のエトヴプレは鮫島克駿が騎乗] - Sponichi Annex 2024年4月6日</ref>。また、この競走についてJRAより「3コーナーでの御法(前の馬に接触した)」について、過怠金10万円が科せられ(4頭が被害馬)<ref>{{PDFlink|[https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/report/2024/2024-2hanshin5.pdf 第2回 阪神競馬 第5日成績表] - 日本中央競馬会(第7競走を参照)}}</ref>。事故から4日後の10日、実兄である藤岡佑介が取材に応じ、未だ重篤な状況である事を公表した<ref>[https://www.nikkansports.com/keiba/news/202404100000167.html 落馬負傷の藤岡康太騎手について兄・佑介騎手が現状伝える「まだ意識が戻っていない状態です」]- 日刊スポーツ 2024年4月10日</ref>。後に佑介が自身の連載する[[netkeiba.com]]のコラムに寄せたメッセージで明かされたところによると、搬送の時点で意識がなく「正直、いつ息を引き取ってもおかしくない状況」だったという<ref>[https://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=54617&rf=top_topics ファンの皆様へ - 藤岡佑介] - netkeiba 2024年4月11日</ref>。


その後、意識を回復することなく、同月10日19時49分、搬送先の病院で死去した<ref name="NHK"/><ref name="デイリー訃報">{{Cite news|url=https://www.daily.co.jp/umaya/news/2024/04/11/0017530174.shtml|title=藤岡康太騎手が死去 35歳 6日に落馬、意識戻らず G1・2勝、JRA通算803勝|work=デイリースポーツ online|newspaper=[[デイリースポーツ]]|date=2024-04-11|accessdate=2024-04-11}}</ref>。{{没年齢|1988|12|19|2024|4|10}}。訃報は翌11日にJRAより公表された<ref>[https://www.jra.go.jp/news/202404/041102.html 藤岡 康太騎手の逝去] - JRA 2024年4月11日</ref>。訃報に際し、日本中央競馬会理事長の吉田正義、日本騎手クラブ会長の[[武豊]]<ref>{{Cite web|url=https://www.nikkansports.com/keiba/news/202404110000482.html|title=藤岡康太騎手死去 武豊が追悼「康太の思いを胸に乗っていきたいと思います」|publisher=日刊スポーツ|date=2024-04-11|accessdate=2024-04-11}}</ref>をはじめ、国内外の競馬関係者や芸能関係者などから追悼するメッセージが多く寄せられている<ref>[https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2024/04/11/kiji/20240411s00004048411000c.html 藤岡康太騎手が死去 “戦友”から追悼相次ぐ 武豊「信じられない」浜中「嘘だろう」 衝撃は海外にも] - Sponichi Annex 2024年4月11日</ref><ref>[https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/04/11/kiji/20240411s00041000266000c.html 藤岡康太騎手死去 芸能界からも悲しみの声 宮川一朗太「言葉が出てこない」横山ルリカ「信じられない」] - Sponichi Annex 2024年4月11日</ref>。
その後、意識を回復することなく、同月10日19時49分、搬送先の病院で死去した<ref name="NHK"/><ref name="デイリー訃報">{{Cite news|url=https://www.daily.co.jp/umaya/news/2024/04/11/0017530174.shtml|title=藤岡康太騎手が死去 35歳 6日に落馬、意識戻らず G1・2勝、JRA通算803勝|work=デイリースポーツ online|newspaper=[[デイリースポーツ]]|date=2024-04-11|accessdate=2024-04-11}}</ref>。{{没年齢|1988|12|19|2024|4|10}}。訃報は翌11日にJRAより公表された<ref>[https://www.jra.go.jp/news/202404/041102.html 藤岡 康太騎手の逝去] - JRA 2024年4月11日</ref>。訃報に際し、日本中央競馬会理事長の吉田正義、日本騎手クラブ会長の[[武豊]]<ref>{{Cite web|url=https://www.nikkansports.com/keiba/news/202404110000482.html|title=藤岡康太騎手死去 武豊が追悼「康太の思いを胸に乗っていきたいと思います」|publisher=日刊スポーツ|date=2024-04-11|accessdate=2024-04-11}}</ref>をはじめ、国内外の競馬関係者や芸能関係者などから追悼するメッセージが多く寄せられている<ref>[https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2024/04/11/kiji/20240411s00004048411000c.html 藤岡康太騎手が死去 “戦友”から追悼相次ぐ 武豊「信じられない」浜中「嘘だろう」 衝撃は海外にも] - Sponichi Annex 2024年4月11日</ref><ref>[https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/04/11/kiji/20240411s00041000266000c.html 藤岡康太騎手死去 芸能界からも悲しみの声 宮川一朗太「言葉が出てこない」横山ルリカ「信じられない」] - Sponichi Annex 2024年4月11日</ref>。

2024年5月5日 (日) 05:41時点における版

藤岡康太
2018年神戸新聞杯表彰式
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 滋賀県栗太郡栗東町
(現・栗東市[1]
生年月日 (1988-12-19) 1988年12月19日
死没 (2024-04-10) 2024年4月10日(35歳没)
身長 169.0cm[2]
体重 50.0kg[2]
血液型 AB型[2]
騎手情報
所属団体 JRA
所属厩舎 宮徹栗東)(2007.3.1 - 2013.2.26)
フリー(栗東)(2013.2.27 - 2024.4.10)
初免許年 2007年
免許区分 平地[2]
騎手引退日 2024年4月10日(死去)
重賞勝利 25勝(中央22勝、地方交流3勝)
G1級勝利 NHKマイルカップ(2009年)
マイルチャンピオンシップ(2023年)
通算勝利 中央803勝、地方18勝
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藤岡 康太(ふじおか こうた、1988年12月19日[1] - 2024年4月10日)は、日本の騎手滋賀県出身で、日本中央競馬会 (JRA) 栗東トレーニングセンターに所属した[2]

2007年に騎手免許を取得し、2007年3月3日に初騎乗レースで初勝利。JRA史上42人目となる初騎乗・初勝利を達成する[3]。2009年には重賞およびGIレース初勝利を挙げ[4]、2015年には通算300勝を達成した[5]。2024年3月30日に通算800勝を達成した。2024年4月10日に後述落馬事故により死去。35歳だった[6][7]

調教師藤岡健一は父、騎手の藤岡佑介は兄にあたる[8]

来歴

生い立ち

1988年、調教師である藤岡健一の二男として生まれる[9]。兄・佑介に影響され乗馬を始め、その後父の影響で競馬の騎手を志す[10]

2004年に競馬学校第23期生として入学[9]、同期生に浜中俊丸田恭介荻野琢真草野太郎田中健宮崎北斗などがいる[11]。2007年にJRAの新規騎手免許試験に合格し、同年3月1日付で平地・障害の免許を取得する[注釈 1]

騎手デビュー

2007年、宮徹厩舎の所属となり、3月3日に中京競馬場で行われた3歳未勝利戦で初騎乗を果たす。このレースで、父・健一の管理馬で1番人気に推されたヤマニンプロローグに騎乗した藤岡は、2着に1/2馬身差をつけ勝利[12]、JRA史上42人目となる初騎乗・初勝利を達成した[3]。また、この日の騎乗回数8回は1996年福永祐一1997年武幸四郎と並ぶデビュー日最多騎乗回数タイ記録であった。

2009年にはジョーカプチーノとのコンビでファルコンステークスNHKマイルカップ両競走を制覇し、重賞競走並びにGI競走初勝利(GI騎乗2回目での初制覇)を達成[4]。20歳4か月22日でのGI勝利はグレード制導入後では10番目のスピード記録となり[13]、兄・佑介よりも早いGI制覇となった。この他8月にはオーストラリアフレミントン競馬場で行われた「アジアヤングガンズチャレンジ」に日本代表として出場、35ポイントを獲得し優勝した[14]

病気療養

2010年2月7日の中京競馬第9競走でJRA通算100勝を達成[15]3月26日の早朝に胸の痛みを訴え、救急車で病院に搬送される。肺気腫(後の報道では自然気胸)と診断され、この週の騎乗予定をすべて取り止めて以後休養に入り、3月31日に手術。4月10日にいったん復帰したが、4月21日に再手術のため4月11日以降ふたたび休養に入り[16]、再手術終了後の5月25日から調教に参加し、6月5日に復帰した[17]

しかし2011年9月18日に持病の自然気胸が再発したため騎乗を取り止め[18]10月23日から11月29日まで治療のため静養していた。

復帰後

2014年10月18日府中牝馬ステークスディアデラマドレで優勝して、初のGII制覇[19]。この年は自身最多の年間51勝を記録している。

2015年3月22日、中京競馬第2競走をティーポイズンで制し、JRA通算300勝を達成[5]。この年は59勝を記録し、前年の自己記録を上回っている。

2016年12月10日、中京競馬第6競走をフィエルテで制し、JRA通算400勝を達成。また、初勝利、JRA通算100勝・300勝・400勝、JRA重賞初勝利を中京競馬場で達成している。

2018年9月23日神戸新聞杯ワグネリアンで制し、JRA通算500勝を重賞勝利で達成した。同馬の主戦騎手だった福永祐一騎手の落馬負傷に伴い、普段調教をつけている藤岡に代打騎乗が回ってきたことでの勝利だった。

2022年2月8日佐賀記念ケイアイパープルで制し、人馬ともに地方交流重賞初制覇を達成した[20]

2023年11月19日、京都競馬第2競走で落馬負傷したライアン・ムーアから、急遽乗り替わったナミュールマイルチャンピオンシップ優勝に導き、同馬にとっては初の、自身は14年ぶり2度目のGI勝利をあげた[21]。ただし、最後の直線コースで外側に斜行したことについて過怠金3万円が科せられた(被害馬:レッドモンレーヴ)。

落馬事故により死去

2024年4月6日、阪神競馬第7競走(4歳以上1勝クラス牝馬限定戦、ダート1,800m、12頭)でスウィートスカーに騎乗中、第3コーナーで前の馬に接触してつまずき、落馬した(馬は異常なし)[22]。病院に搬送となり、JRAからは「頭部・胸部の負傷」と発表され、翌7日の桜花賞(エトヴプレ)を含む以降の騎乗が騎手変更となった[23]。また、この競走についてJRAより「3コーナーでの御法(前の馬に接触した)」について、過怠金10万円が科せられた(4頭が被害馬)[24]。事故から4日後の10日、実兄である藤岡佑介が取材に応じ、未だ重篤な状況である事を公表した[25]。後に佑介が自身の連載するnetkeiba.comのコラムに寄せたメッセージで明かされたところによると、搬送の時点で意識がなく「正直、いつ息を引き取ってもおかしくない状況」だったという[26]

その後、意識を回復することなく、同月10日19時49分、搬送先の病院で死去した[6][7]。35歳没。訃報は翌11日にJRAより公表された[27]。訃報に際し、日本中央競馬会理事長の吉田正義、日本騎手クラブ会長の武豊[28]をはじめ、国内外の競馬関係者や芸能関係者などから追悼するメッセージが多く寄せられている[29][30]

中央競馬で発生した競走中の落馬による殉職事故は、1954年9月の日本中央競馬会発足以降では20件目(競馬学校騎手課程卒業生は4人目の殉職)となり、2004年3月28日、中山競馬第5競走の障害競走[31]で落馬し、同年4月2日に死去した竹本貴志以来[32]、GI級競走優勝騎手および平地競走に限れば1993年1月30日、京都競馬第7競走[33]で落馬し、同年2月16日に死去した岡潤一郎以来となる[34]。同じ年の3月24日には高知競馬塚本雄大が同日の落馬事故により死去[35]し、それから間もない同年4月3日にはイタリア出身でオーストラリアに拠点を置いていたステファノ・ケルキがやはり同年3月20日にキャンベラ競馬場での落馬事故で死去[36]しており、中央競馬でも直近で落馬事故が続出していた[注釈 2]中の殉職事故となった。

中山競馬場に設置された献花・記帳台で藤岡康太を追悼する競馬ファン

JRAは藤岡を悼み、同月13日から28日の競馬開催日において、施行される各競馬場に献花台と記帳台を設置する事となった[41]。献花・記帳はその後、設置施設を拡大する形で同月28日の競馬開催日まで延長され、パークウインズが開催される各競馬場の他、J-PLACEを除くウインズなどのすべてのJRA発売施設にも記帳台が設置される事となった[42]

藤岡康太が死去後、初めて迎えた競馬開催日となった同月13日は、施行される各競馬場で追悼が行われた。当日配布されるレーシングプログラムには「4月10日(水)に藤岡康太騎手がご逝去されました。謹んで哀悼の意を表するとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます」と弔意が掲載され、各競馬場に半旗が掲げられた。また各騎手、開催委員などは喪章を着用して開催に臨んだ。各場の第1競走の発走前に騎手、開催関係者などがウィナーズサークルに集合し、黙禱が捧げられた[43][44]。ファンによる競馬場での記帳は2日間で約1万5000筆、献花も8000基を数えたという[45]

藤岡康太が所属していた関西地区の主場開催となる阪神競馬場でも第1競走開催前にウィナーズサークルで黙禱が捧げられ、兄の藤岡佑介、日本騎手クラブ会長の武豊のほか、同じ週の落馬で負傷療養中の和田竜二も喪服で駆けつけた。黙禱の際には康太と同期の浜中俊、荻野琢真は康太が生前着用していたナミュールのジャージーを掲げて哀悼した[46]。兄の藤岡佑介は通常通り第1競走から騎乗したが、取材に応じて心境を問われ、次のように答えた。

「まずは康太のことに関して、たくさん心配していただいてありがとうございました。きのう、無事に家族で見送ることができたので、僕も含め家族も少しずつ気持ちの整理が付いてきているので、時間はかかると思いますが、前を向いていけるかなと思っているところです。
気持ち的に落ち着かなければ、競馬に乗るのも失礼だと思ったので、その辺りも考えたのですが、生前から康太とは一緒に乗っている以上はこういうこともあり得るとよく話していて。お互いが相手の馬に乗っかかる形で落ちることもある。そういう覚悟がなかったわけでもないですし、僕は受け入れられるのも早かったのかなという気持ちはあります。
突然のことで、お別れできないまま逝ってしまって、心に留めてくださっているジョッキーの方もたくさんいて。朝、(武豊)会長の方からみんなにひと言、声を掛けてあげてほしいということで、あいさつさせてもらう場面もつくっていただいて。気持ちを伝えることもできたので、なかなかすぐにとはいかないかもしれないですけど、一日でも早く、明るい空気が戻って、安心して康太が見守れる状況になればなと思っています。ファンの方も今までできていたこととか、楽しめていたことがそうじゃなくなってしまうというのは康太の本意とするところじゃないと思うので、変わらず応援してくれたらうれしいなと思います。
JRAの方の配慮で、そういう場所(献花台)を作ってもらって、康太自身もこれだけたくさんの人に応援してもらっていたんだと実感できると思いますし、家族も康太が生きてきた証しとして見えることは悪いことじゃない。すごくありがたいと思っています。
心配の声を僕自身にも掛けていただいていますが、朝から一つ騎乗馬を用意していただいて乗れたことですごく落ち着けましたし、思っていた以上に冷静に競馬に乗ることができたので、心配せずに今まで通り安心して応援してもらえればと思います」[46]

この日は中山競馬場で中山グランドジャンプが行われ、イロゴトシに騎乗して連覇した黒岩悠はゴール入線手前50mで「康太!勝ったぞ!」と咆哮した[47]。この声は同レースで黒岩が着用していたジョッキーカメラに収録されている[48]。黒岩は優勝騎手インタビューでも、

「先日藤岡康太騎手がこの世を去りました。すごいいいやつで、今でも心がグラグラして考えられないんですけど、騎手をはじめ馬に携わる人たちは本当に文字通り命懸けで競馬を盛り上げようとしています。
彼は半ばでもう馬に乗ることはないんですけど、これまで全力で命懸けで頑張ってきて、これからは空の上でずっと僕たちの応援をしてくれると思うので、ご覧になっている競馬ファンの皆さま、康太にひと言お疲れさまって言ってあげてください」[49]

と声を詰まらせながら答えている。

翌14日に無敗で皐月賞を制したジャスティンミラノは、1週間前まで康太が調教パートナーを務めていた[50]。優勝騎手インタビューで戸崎圭太は「2週前、1週前と康太が攻め馬をつけてくれた馬。競馬場で馬の状態について事細かく教えてもらっていました。(勝利は)康太が後押ししてくれたとつくずく思います。喜んでくれると思います」と語った[51]。同馬を管理する友道康夫も「今回の1週前追い切りに乗ってもらって『1週前としては最高でしたよ』と話したのが最後の会話でした。この勝利は彼のおかげです」と嗚咽交じりで称賛した[52]。また、同日福島競馬のメイン競走・福島民報杯を康太も騎乗したリフレーミングで制した同期の丸田恭介は「(藤岡)康太が乗っていた馬で、縁がある馬だと思っていました。夢半ばで亡くなった同期を思うと、恥ずかしい競馬はできない、かっこいい競馬をしようと思っていました。よく伸びてくれました。強かったです」とコメントした[53]

葬儀は同月15日、栗東トレーニングセンター厚生会館本館体育館で日本中央競馬会・日本騎手クラブの合同葬として執り行われた[54]。戒名は「天翔院駿温康輝居士」[55]。約1000人の関係者が参列し、葬儀委員長の吉田正義JRA理事長、副委員長の武豊日本騎手クラブ会長、同期を代表して浜中俊による弔辞が送られ、葬儀の最後に喪主を務めた実父の藤岡健一調教師による挨拶が行われた[56]

騎乗成績

日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗・初勝利[57] 2007年3月3日 1回中京1日1R 3歳未勝利 ヤマニンプロローグ 16頭 1 1着
重賞初騎乗 2007年6月17日 3回阪神2日11R マーメイドS コスモプラチナ 12頭 8 7着
重賞初勝利[58] 2009年3月21日 2回中京3日11R ファルコンS ジョーカプチーノ 18頭 4 1着
GI初騎乗 2008年10月19日 4回京都4日11R 秋華賞 ブライティアパルス 18頭 13 4着
GI初勝利[59] 2009年5月10日 2回東京6日11R NHKマイルカップ ジョーカプチーノ 18頭 10 1着
最終騎乗 2024年4月6日 2回阪神5日7R 4歳以上1勝クラス スウィートスカー 12頭 5 中止
年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
2007年 24 22 32 454 .053 .101 .172
2008年 37 38 48 572 .065 .131 .215
2009年 36 39 40 659 .055 .114 .175
2010年 31 40 41 528 .059 .134 .212
2011年 27 35 31 470 .057 .132 .198
2012年 31 24 18 384 .081 .143 .194
2013年 47 38 51 604 .078 .141 .225
2014年 51 43 55 667 .076 .141 .223
2015年 59 74 57 784 .075 .170 .242
2016年 62 68 54 689 .090 .189 .267
2017年 44 51 47 682 .065 .139 .208
2018年 59 47 61 677 .087 .157 .247
2019年 56 67 62 732 .077 .168 .253
2020年 50 52 56 666 .075 .153 .237
2021年 47 43 52 619 .076 .145 .229
2022年 51 70 57 663 .077 .183 .268
2023年 63 67 54 698 .090 .186 .264
2024年 28 22 20 211 .133 .237 .332
中央 803 840 836 10759 .075 .153 .230
地方 16 14 10 81 .198 .370 .494
  • JRA公式より[2]

表彰歴

重賞勝利

太字はGⅠ級競走を示す

エピソード

脚注

注釈

  1. ^ 障害免許は後に返上し、障害競走への騎乗は無かった。
  2. ^ 3月30日のドバイターフクリストフ・ルメールが落馬し鎖骨と肋骨の骨折、肺気胸を負った[37]ほか、草野太郎が3月31日の障害競走で落馬し頸椎の負傷(後に骨折と判明)[38]、藤岡の事故と同週に和田竜二が4月7日の平地競走で落馬し左腕を負傷[39]木幡育也が4月7日の平地競走で落馬し頭部を負傷する[40]など、直近において騎手が負傷する落馬事故が断続的に起きていた。

出典

  1. ^ a b c d 【競馬学校】卒業生(=新人騎手)紹介⑦「藤岡康太」”. 日本中央競馬会競馬学校. 2015年7月3日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g JRA公式 騎手情報 藤岡康太”. JRA. 2024年4月19日閲覧。
  3. ^ a b 藤岡康太騎手、初騎乗初勝利
  4. ^ a b 「【NHKマイルC(GI)】(東京)~伏兵ジョーカプチーノ 快心の2馬身差V [News]」ラジオNIKKEI. 2009/05/10(日) 17:39公開. http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-167335.html
  5. ^ a b 藤岡康太騎手がJRA通算300勝達成 - ラジオNIKKEI 2015年3月22日(2015年3月22日閲覧)
  6. ^ a b 藤岡康太騎手死去 35歳 6日の阪神競馬場でのレースで落馬 - 日本放送協会(NHK NEWS WEB) 2024年4月11日 14時43分
  7. ^ a b “藤岡康太騎手が死去 35歳 6日に落馬、意識戻らず G1・2勝、JRA通算803勝”. デイリースポーツ. (2024年4月11日). https://www.daily.co.jp/umaya/news/2024/04/11/0017530174.shtml 2024年4月11日閲覧。 
  8. ^ 藤岡佑介騎手の弟など、競馬学校で卒業式”. netkeiba. 2015年7月2日閲覧。
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関連項目

外部リンク