「朝鮮鉄道900形蒸気機関車」の版間の差分
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| 総重量 = 54.90 t |
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このため火室の横幅が広くなり、また燃焼を良好にするため水脚を長く採ったが、762mm軌間故ボイラ中心線を上げることは出来ない。また、そもそも1,067mm軌間の車両に比べ主台枠間隔が狭い点も問題とされた。 |
このため火室の横幅が広くなり、また燃焼を良好にするため水脚を長く採ったが、762mm軌間故ボイラ中心線を上げることは出来ない。また、そもそも1,067mm軌間の車両に比べ主台枠間隔が狭い点も問題とされた。 |
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鋳物製で後方が極端に大きく広がった後台枠<ref group="注">後台枠が接続点からなだらかに広がる鉄道省制式機とは異なり、この接続部分直後で直角に横に大きく広げてあり、火室の収まる空間を稼ぎ出している。</ref>を主台枠の後ろに挿入し、この後台枠の間に火室を収め問題を解決した。<ref group="注">これを設計したのは汽車製造の技師で、本形式が処女作となった[[高田隆雄]]である。高田は後に[[国鉄D52形蒸気機関車|D52形]]の設計にも関与し、[[国鉄C62形蒸気機関車|C62形]]などのデルタ式[[従輪|従台車]]の採用可能性を示唆したと評されている。</ref>いわゆる「軽便鉄道」の機関車としては超大型の機関車であり、軸距も |
鋳物製で後方が極端に大きく広がった後台枠<ref group="注">後台枠が接続点からなだらかに広がる鉄道省制式機とは異なり、この接続部分直後で直角に横に大きく広げてあり、火室の収まる空間を稼ぎ出している。</ref>を主台枠の後ろに挿入し、この後台枠の間に火室を収め問題を解決した。<ref group="注">これを設計したのは汽車製造の技師で、本形式が処女作となった[[高田隆雄]]である。高田は後に[[国鉄D52形蒸気機関車|D52形]]の設計にも関与し、[[国鉄C62形蒸気機関車|C62形]]などのデルタ式[[従輪|従台車]]の採用可能性を示唆したと評されている。</ref>いわゆる「軽便鉄道」の機関車としては超大型の機関車であり、軸距も動軸のみで3,180mm(エンジン部全軸距7,130mm・機関車全軸距11,730mm)とかなり長い。また同社の曲線基準(半径40m)を通過させることも課題となった。 |
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手法としては先従台車に各140mm、第1動輪に10mmの横動を与えたが、図上設計のみならず、原寸大の木製模型を製作し設計通り通るかどうかの確認を行っている<ref group="注">当時の汽車製造社長[[島安次郎]]の案によるとされる。</ref>。 |
手法としては先従台車に各140mm、第1動輪に10mmの横動を与えたが、図上設計のみならず、原寸大の木製模型を製作し設計通り通るかどうかの確認を行っている<ref group="注">当時の汽車製造社長[[島安次郎]]の案によるとされる。</ref>。 |
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=== 台湾総督府鉄道LD50形(→台湾鉄路管理局LDT100型) === |
=== 台湾総督府鉄道LD50形(→台湾鉄路管理局LDT100型) === |
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| 火室蒸発伝熱面積 = |
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| 煙管蒸発伝熱面積 = |
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| 燃料 = 石炭 |
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| 制動装置 = |
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| 最高運転速度 = 50km/h |
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| 最大出力 = |
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| 粘着引張力 = |
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| 備考 = }} |
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台湾総督府鉄道では特殊狭軌の[[台東線]]向けに準同形(ピン・リンク式連結器・空気制動なし)を1942年以降日本車輌製造に発注し、'''LD50形'''として導入した。 |
台湾総督府鉄道では特殊狭軌の[[台東線]]向けに準同形(ピン・リンク式連結器・空気制動なし)を1942年以降日本車輌製造に発注し、'''LD50形'''として導入した。 |
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* 交友社 「機関車の系譜図 3」臼井重信著 p.327, pp.337 - 339 |
* 交友社 「機関車の系譜図 3」臼井重信著 p.327, pp.337 - 339 |
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* ネコ・パブリッシング 「機関車表 フル・コンプリート版」沖田祐作著 2014年 |
* ネコ・パブリッシング 「機関車表 フル・コンプリート版」沖田祐作著 2014年 |
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* JTBキャンブックス「韓国の鉄道」中島廣・山田俊英著1997年, pp.56 - 59 |
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== 関連項目 == |
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* [[大韓民国の鉄道]] |
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2019年12月22日 (日) 07:33時点における版
朝鮮鉄道900形蒸気機関車 | |
---|---|
900形903号竣工写真 | |
基本情報 | |
運用者 | 朝鮮鉄道→朝鮮総督府鉄道→韓国鉄道庁・朝鮮民主主義人民共和国鉄道省 |
製造所 | 汽車製造、日本車輌製造 |
製造数 | 12両 |
主要諸元 | |
軸配置 | 2-8-2(1D1) |
軌間 | 762mm(特殊狭軌) |
全長 | 14,529mm |
全幅 | 2,280mm |
全高 | 3,200mm |
総重量 | 54.90 t |
固定軸距 | 3,180mm |
動輪径 | 900 mm |
シリンダ数 | 単式2気筒 |
シリンダ (直径×行程) | 380mmx450mm |
弁装置 | ワルシャート式 |
燃料 | 石炭 |
制動装置 | 自動空気ブレーキ |
最高運転速度 | 50km/h |
引張力 | 30.21 kN (6,790 lbf) |
シリンダ引張力 | 48.25 kN (10,850 lbf) |
900形は朝鮮鉄道が1937年(昭和12年)に導入した貨物用テンダー式蒸気機関車である。
ここでは、準同形の台湾総督府鉄道LD50形蒸気機関車(→台湾鉄路管理局LDT100型蒸気機関車)についても記す。
概要
導入までの経緯
1924年(大正13年)に竣工した礼成江橋梁[注 1]の架橋以降、黄海線の輸送量は増大し、これまで通りの通常の軽便鉄道の蒸気機関車の能力では到底輸送しきれない輸送需要が発生した。
中長期的には周辺幹線と同じ標準軌への改築も必要ではあるがそれには多額の費用と長期の工事が要り、短期的には間に合わない。そこで、従来の「軽便鉄道の機関車」の枠を超える能力を持つ貨物用機関車として設計・製造されたのが本形式である。
これまででも同社・咸北線向けに1935年(昭和10年)に納入した1D形テンダー機関車・810形が762mm軌間の大型蒸気機関車としては存在していたが、これを上回る超大型機の可能性が模索され、設計されたのが本形式である。
構造の特色
車輪配置 2-8-2(1D1)の単式2気筒テンダー機関車である。
朝鮮鉄道は私鉄線であり、沿線で産出する低発熱量(1kgあたり4,500kcal/h[注 2])の石炭が使用可能なよう火格子面積を2.1m2と広く採った。[注 3]
このため火室の横幅が広くなり、また燃焼を良好にするため水脚を長く採ったが、762mm軌間故ボイラ中心線を上げることは出来ない。また、そもそも1,067mm軌間の車両に比べ主台枠間隔が狭い点も問題とされた。
鋳物製で後方が極端に大きく広がった後台枠[注 4]を主台枠の後ろに挿入し、この後台枠の間に火室を収め問題を解決した。[注 5]いわゆる「軽便鉄道」の機関車としては超大型の機関車であり、軸距も動軸のみで3,180mm(エンジン部全軸距7,130mm・機関車全軸距11,730mm)とかなり長い。また同社の曲線基準(半径40m)を通過させることも課題となった。
手法としては先従台車に各140mm、第1動輪に10mmの横動を与えたが、図上設計のみならず、原寸大の木製模型を製作し設計通り通るかどうかの確認を行っている[注 6]。
運用
朝鮮鉄道900形
900形は汽車製造で1937年に7両(900 - 906。製造番号 1441 - 1447)、1944年(昭和19年)に2両(910, 911。製造番号 2353, 2354)の計7両、日本車輌製造で1942年に3両(907 - 909。製造番号 461 - 463)の合計12両が製造された。
従前の朝鮮鉄道の762mm軌間の機関車はピン・リンク式連結器、空気制動なしであったが、810形以降の機関車については輸送量が非常に大きいため、自動連結器・空気制動とも装備している。[注 7]列車重量250tほどの編成を50km/hで牽引し、運行も円滑であったと伝えられる。
1944年(昭和19年)4月1日には、朝鮮鉄道が朝鮮総督府に買収(国有化)され、朝鮮総督府鉄道籍となった。
台湾総督府鉄道LD50形(→台湾鉄路管理局LDT100型)
台湾総督府鉄道LD50形 台湾鉄路管理局LDT100型 | |
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基本情報 | |
運用者 | 台湾総督府鉄道→台湾鉄路管理局 |
製造所 | 汽車製造、日本車輌製造 |
製造数 | 7両(3両未着、運用は4両) |
主要諸元 | |
軸配置 | 2-8-2(1D1) |
軌間 | 762mm(特殊狭軌) |
全長 | 14,529mm |
全幅 | 2,280mm |
全高 | 3,200mm |
総重量 | 54.90 t |
固定軸距 | 3,180mm |
動輪径 | 900 mm |
シリンダ数 | 単式2気筒 |
シリンダ (直径×行程) | 380mmx450mm |
弁装置 | ワルシャート式 |
燃料 | 石炭 |
最高運転速度 | 50km/h |
引張力 | 30.21 kN (6,790 lbf) |
シリンダ引張力 | 48.25 kN (10,850 lbf) |
台湾総督府鉄道では特殊狭軌の台東線向けに準同形(ピン・リンク式連結器・空気制動なし)を1942年以降日本車輌製造に発注し、LD50形として導入した。
発注総数は7両で、1942年に4両(LD501 - LD504。製造番号 958, 1063 - 1065)、1943年に3両(LD505 - LD507。製造番号 1190, 1191, 1260)である。このうちLD505 - LD507は現地に到着していない。
太平洋戦争後は、台湾鉄路管理局に引き継がれた後、改番により形式をLDT100型、車番をLDT101 - LDT104に改め、戦後も引き続き台東線で運用された。
廃車後は、花蓮鉄路文化園区にLDT103が保存されている。
注釈
- ^ この鉄橋の橋桁自体、汽車製造が納入したものである。
- ^ 日本国鉄の蒸気機関車は戦中戦後の混乱期以外は1kgあたり6,000 - 6,500kcal/h、朝鮮総督府鉄道でも同じく5,250kcal/h程度の熱量を基準に設計されており、本形式が前提とする石炭は非常に熱量の少ないものである。
- ^ これは鉄道省9600形のそれに匹敵する。
- ^ 後台枠が接続点からなだらかに広がる鉄道省制式機とは異なり、この接続部分直後で直角に横に大きく広げてあり、火室の収まる空間を稼ぎ出している。
- ^ これを設計したのは汽車製造の技師で、本形式が処女作となった高田隆雄である。高田は後にD52形の設計にも関与し、C62形などのデルタ式従台車の採用可能性を示唆したと評されている。
- ^ 当時の汽車製造社長島安次郎の案によるとされる。
- ^ 1930年の630形の竣工写真・出荷風景の写真では従前の装備であったが、この後1937年までの間に装備されたものと考えられる。なお黄海線の自動連結器はナックルの中央部に切れ込みとピンが装備された、一種の両用連結器であった。
参考文献
- 交友社 「SL No.4『特集 汽車会社蒸気機関車製造史』」1972年, pp.151 - 153
- 交友社 「機関車の系譜図 3」臼井重信著 p.327, pp.337 - 339
- ネコ・パブリッシング 「機関車表 フル・コンプリート版」沖田祐作著 2014年
- JTBキャンブックス「韓国の鉄道」中島廣・山田俊英著1997年, pp.56 - 59