「十大弟子」の版間の差分
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2009年11月24日 (火) 20:55時点における版
十大弟子 (じゅうだいでし)とは、釈迦(釈尊)の弟子達の中で主要な10人の弟子のこと。経典によって誰が十大弟子に入るかは異なるが、維摩経では以下の通りである。
- 舎利弗(しゃりほつ)
- 摩訶目犍連(まかもっけんれん)
- パーリ語でマハーモッガラーナ (mahaamoggallaana、महामोग्गळान)。サンスクリット語でマハーマゥドガリヤーヤナ (Mahamaudgalyāyana)。 一般に目連(もくれん)と呼ばれる、神通第一(じんずう・だいいち)。
- 舎利弗とともに懐疑論者サンジャヤ・ベーラッティプッタの弟子であったが、ともに仏弟子となった。中国仏教では目連が餓鬼道に落ちた母を救うために行った供養が『盂蘭盆会』(うらぼんえ)の起源だとしている。
- 摩訶迦葉(まかかしょう)
- 須菩提(しゅぼだい)
- 富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)
- サンスクリット語でプールナマイトラーヤニープトラ(puurNamaitraayaniiputra、पूर्णमैत्रायनीपुत्र)。
- 略称として「富楼那」。他の弟子より説法が優れていた。説法第一。
- 摩訶迦旃延(まかかせんねん)
- パーリ語でマハーカッチャーナ(mahaakaccaana、महाकच्चान)。論議第一。
- 辺地では5人の師しかいなくても授戒する許可を仏から得た。
- 阿那律(あなりつ)
- サンスクリット語でアニルッダ(aniruddha、अनिरुद्ध)。天眼第一(てんげん・だいいち)。
- 釈迦の従弟。阿難とともに出家した。仏の前で居眠りして叱責をうけ、眠らぬ誓いをたて、視力を失ったがそのためかえって真理を見る眼をえた。
- 優波離(うぱり)
- サンスクリット語でウパーリ(upaali、उपालि)。持律第一。
- もと理髪師で、階級制度を否定する釈迦により、出家した順序にしたがって、貴族出身の比丘の兄弟子とされた。第一結集においては、彼の記憶に基づいて戒律が編纂された。
- 羅睺羅(らごら)
- 阿難(あなん)
- サンスクリット語でアーナンダ(aananda、आनन्द)。多聞第一(たもん・だいいち)。
- 釈迦の従弟。阿難陀とも書く。nandaは歓喜(かんぎ)という意味がある。出家して以来、釈迦が死ぬまで25年間、釈迦の付き人をした。第一結集のときアーナンダの記憶に基づいて経が編纂された。120歳まで生きたという。