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2017年3月11日 (土) 15:04時点における版
中野(中埜) 又左衛門(なかの またざえもん)は、尾張国半田(現在の愛知県半田市)の醸造家で、ミツカングループの創業家・経営者である中野又左衛門家の当主が受け継ぐ名[1]。
文化元年(1804年)に同家を興した初代中野又左衛門によって酢の醸造がはじめられた[2]。明治期の4代目より苗字の表記が中埜に[3]、そして7代目で名の表記を又左エ門とした[4]。
2014年現在の当主は8代目に当たり、2003年6月に襲名した際に中埜又左エ門和英[5]となったが、2014年5月に再び元の名前である中埜和英に改名したため[6]、今のところ中埜家で又左衛門(又左エ門)を名乗るものはいない。
初代
初代中野 又左衛門(宝暦6年(1756年) - 文政11年(1828年))は、小栗喜左衛門家の長男として誕生する。半田の酒造家・中野半左衛門家に養子として入り、文化元年(1804年)に分家して中野又左衛門家を興した。
江戸ですしの流行を見た又左衛門は、酢の需要を見込み、半田で酒造業のかたわら、酒粕を原料とした「粕酢」の製造をはじめた[2]。これがミツカングループの創業とされている。文化13年(1816年)に2代目に酢の醸造業を譲り、自らは酒造に専念した[2]。
4代
4代中埜 又左衛門(安政元年(1854年) - 明治28年(1895年))は、明治期の当主。小鈴谷(現在の常滑市)の醸造家である盛田家の分家から中野又左衛門家の養子に入り、慶応3年(1867年)に家督を継承。現在(2012年)も使われているミツカンの商標を定めた。また、甥の盛田善平とともに丸三麦酒醸造所を設立し「カブトビール」ブランドのビール製造業を始めるなど、異業種にも参入した[3]。
8代
8代中埜 又左エ門和英(昭和25年(1950年)9月18日 - )は、現当主。慶應義塾大学商学部卒。昭和48年(1973年)4月に(株)中埜酢店入社、平成14年(2002年)、7代目中埜又左エ門社長の死去に伴ない、同年5月24日に代表取締役社長に就任。翌平成15年(2003年)6月24日に8代又左エ門を襲名したが[5]、元の名である和英(かずひで)を残して又左エ門和英となる。平成26年(2014年)5月に再び中埜和英に改名した[6]。