中国民主同盟
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中国民主同盟 China Democratic League | |
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中央委員会 | |
中央主席 | 丁仲礼 |
常務副主席 | 陳曉光 |
成立年月日 | 1941年3月19日 |
本部所在地 | 北京市東城区東皇城根南街 |
全国人民代表大会 |
57 / 2,980 (2%) |
全国人民代表大会常務委員会 |
9 / 175 (5%) |
政治的思想・立場 |
中道左派 - 左派 中国特色社会主義 社会民主主義 |
機関紙 | 中央盟訊 |
公式サイト | 中国民主同盟 |
中国民主同盟(ちゅうごくみんしゅどうめい)は、中華人民共和国の進歩主義政党。民主党派(衛星政党)の一つ。略称は民盟。
中国国民党の一党独裁体制(訓政)に反対する都市知識人が1939年11月に結成した「統一建国同志会」が源流。その後、1941年3月に多党政治や議会制民主主義を綱領とする「国家社会党」の参加を得て、統一建国同志会は「中国民主政団同盟」と改名、さらに1944年9月に「中国民主同盟」と改称。設立当初は「訓政(国民党一党独裁)」維持のために国民党から圧迫を受ける。
1946年10月の政治協商会議に国民党、共産党、青年党と共に参加(無党派人士も参加)。しかし1946年11月の国民大会選挙には共産党と共に不参加。なおこの国民大会選挙には、元々民主同盟のメンバーだった中国青年党、民主社会党が参加。
統一建国同志会、中国民主政団同盟は団体加盟であり、個人メンバーの参加は原則認められていなかった。当初の傘下団体は以下の通り3つの党と3つの団体が集まっていたので「三党三派」と呼ばれる。思想的に隔たりの大きい団体の寄せ集めの色彩が強く、後に民主同盟を脱退する政党・団体もあった。
- 国家社会党 - 上海で国立自治学院(1925年に国立政治大学に改称)の開設に関係した張君勱らが1931年に設立、翌年に秘密裏の結成を公表。後に同大学に招聘された潘光旦などの有識者が、1944年改称後の「中国民主同盟」に参加している。(後の中国民主社会党、民主同盟を脱退後、国民党と共に台湾に渡る)
- 中国青年党 - (民主同盟を脱退、国民党と共に台湾に渡る)
- 第三党 - (正式名称は中国国民党臨時行動委員会、後の中国農工民主党)
- 救国会 - (正式名称は全国各界救国連合会)
- 職業教育社 - (後の中国民主建国会)
- 郷村建設派
1944年9月、重慶で新綱領を採択、中国民主同盟と改称すると共に、個人加盟を認めるようになる(これに伴い、共産党員、共産党シンパが入り込んだとも言われる)。
なお、国家社会党の重鎮だった羅隆基、張東蓀は民主社会党には加わらず、民主同盟に留まった。
1949年の中華人民共和国成立後、反右派闘争、文化大革命などの政治運動により度々弾圧を受ける。
2014年1月現在の中央委員会主席は張宝文。副主席は13名。党員数21万4千人余り。(中国民主同盟HPより)
関連項目
- 中華人民共和国
- 中華人民共和国の政党一覧
- 衛星政党
- 中国人民政治協商会議
- 革新政党
- 民主党 (アメリカ合衆国)
- 立憲民主党 (日本 2020)
- 欧州社会党
- ALDE
- 欧州緑の党
- ヤブロコ
- 労働党 (ブラジル)