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「三国志 (歴史書)」の版間の差分

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** ISBN 4-480-08088-0 (7巻)呉書II
** ISBN 4-480-08088-0 (7巻)呉書II
** ISBN 4-480-08089-9 (8巻)呉書III
** ISBN 4-480-08089-9 (8巻)呉書III
* 元版は、筑摩書房・世界古典文学全集24A.B.C 1977~1989年刊行


== 関連項目 ==
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2008年9月26日 (金) 17:02時点における版

三国志』(さんごくし)は、中国西晋代の人陳寿233年 - 297年)により西暦280年~290年頃に編纂された紀伝体歴史書後漢の混乱期から、西晋による三国統一までの三国時代についてほぼ同時代の人物によって書かれた重要な史料。個人の撰ではあるが、三国時代の歴史を扱う歴史書としては唯一、二十四史の一つに数えられた。


概要

魏国志」30巻(「本紀」4巻、「列伝」26巻)、「蜀国志」15巻、「呉国志」20巻、計65巻から成る。この他、陳寿の自序(序文)が付されていたといわれるが、現存しない。また、(年表)や(天文・礼楽などの記録)が存在しない。

「魏書」東夷伝には「魏志倭人伝」と通称される部分があり、そこに邪馬台国の記述が見られる。のみに本紀を設けているように、三国のうち魏を正統としている。しかし、魏を正統とする類書は『魏書』など魏単独の表題とし、蜀漢は独立した扱いを受けていない。また、南北朝時代、中国の南半分しか支配していない東晋を扱った正史『晉書』も、北朝の諸国家はすべて「載記」(地方の覇者の伝記)として扱い、やはり独立した扱いを受けていない。逆に、北朝の北魏を正統とした『魏書』では、南朝の東晋やなどの皇帝の伝記が、やはり列伝に入れられ、独立した扱いを受けていない。

三国の記述を独立させ、合わせて『三国志』としたところに本書の特徴がある。また、三国がそれぞれ『魏国志』『蜀国志』『呉国志』として、独立した書物としても扱われていたという。

なお、『蜀書』の末尾には本伝の補足として楊戯の『季漢輔臣賛』を全文収載している。これについて銭大昕『三国志弁疑序』では「楊戯伝に『季漢輔臣賛』を載せて数百言も費やしたのは、魏・呉よりも蜀を尊んだものである。季漢(漢の末期)と言う言葉を残したのは、蜀王朝が実際は漢王朝であることを明らかにしたものだ。」として陳寿の故国顕彰の表れであると主張している。

現存する刊本で最古期のものは、紹興本(紹興年間(1131年~1162年)の刻版)と紹煕本(紹煕年間(1190年~1194年)の刻版)である。ただし、トルファン市で「呉主伝」「虞翻陸績張温伝」「臧洪伝」の一部、敦煌市で「歩隲伝」の一部を記した木簡が発掘されており、『三国志』が著された晋代の写本であると目されている。

陳寿は『三国志』を記述するにあたって信憑性の薄い史料を排除したために、『三国志』は非常に簡潔な内容になっていた。(陳澧『東塾読書記』「論三国」では史料の少ない蜀漢が見劣りするので全体の量を削ったと推測している)そこで、南北朝時代の宋の文帝裴松之に注を作ることを命じ、裴松之は作成した注を、元嘉六年(西暦429年)上表と共に提出した。裴松之の注の特徴は、訓詁の注といわれる言葉の意味や読み、典故などを説明するものが少なく、陳寿の触れなかった異説や詳細な事実関係を収録した点である。陳寿の『三国志』完成後のできごとも補われている(たとえば、曹奐の伝記である「陳留王紀」は、執筆時に曹奐が存命中だったので晋に禅譲したところで記事が終わっている。裴松之の注では、曹奐の没年とが補われている)。すでに失われた書物からの引用も多く、貴重な史料である。また、話としては面白いが信憑性に欠ける逸話も数多く収録されており、説話の題材にも取り入れられていった。

後世において同書は様々な批判に晒されることとなった。特に事実を曲げて記述した「曲筆」の疑惑については早くから指摘されている。陳寿が丁儀・丁廙の子に穀物を求め、断られたため丁儀・丁廙の伝を立てなかった、陳寿の父が諸葛亮によって処罰されたのを根に持ち諸葛亮の悪口を書いた、などの逸話は正史である『晋書』にも記載されている。しかし、これらについては古来から批判が多く、例えば王鳴盛『十七史商カク』では「丁儀・丁廙の二人はしょせん(曹植に取り入っただけの)巧佞の臣であって、どうして伝を立てることなどできようか」「陳寿は晋に入ってから『諸葛亮集』を編纂し上表し、本伝にわざわざ目録と上表文を収載している。史家で前例のないことをしており、諸葛亮を非常に尊敬しているということだ」「諸葛亮は六度も祁山に出征しながら、ついに一勝も収めなかった。慎重を期した軍事であって進取には鈍いことが分かる。(応変の将略に欠けるとした陳寿の評は)普通に事実を述べただけだ」とはっきりと否定している。

更に後世になると、蜀漢を正統とする朱子学の影響から、魏を正統とした陳寿への非難も現れた。黄震『黄氏日鈔』に至っては「どこの鬼魅だ、コソコソと史筆をもてあそび、賊を帝と呼び、帝を賊と呼んでいるのは」などと述べ、陳寿を鬼魅(化け物)と罵倒している。一方で朱彝尊『曝書亭集』のように「当時何人かの史家がいたが、ただ魏があるのを知るのみだった。、陳寿のみ魏と呉・蜀漢を並列し「三国」という名称に正したのは、魏が正統と言えないことを明らかにしたものだ」との意見もある。

なお、南宋蕭常郝経が、それぞれ『三国志』に代わる歴史書として蜀漢正統論に基づいた同名の『続後漢書』を編纂したが、いずれも正史とはなり得なかった(ただし、郝経の『続後漢書』には『三国志』では書かれなかった志が書かれており、その点に関しては評価されている)。

北宋の司馬光資治通鑑』は、魏の年号を用いて編年しているが、正統論自体には極めて慎重であり「漢から魏、魏から晋…(以下北宋まで)の流れで引き継がれているので、これらの年号を採用して諸国の事績を記さざるを得ないだけであって、特定の国を尊んだり特定の国を卑しんだり正閏論について意見するつもりはない。」(巻六十九黄初二年条)と明言している。

このほか、「断代史(王朝ごとの歴史書)形式なのに、『後漢書』に載せられている人物との重複(袁紹荀彧ら)が多く、また王朝建国前に死亡した人物を掲載しているのはおかしい」という意見もある。これは断代史の定義からすれば一理はあるが、この定義を杓子定規に用いると王朝建国の過程や政権中枢で建国に携わった重要人物(魏の郭嘉夏侯淵、蜀漢の関羽龐統、呉の周瑜魯粛など、新王朝にとっては建国の功臣であるが、後漢王朝に対して功績を挙げたわけでないため『後漢書』に載せる事も出来ない者)を省くことになってしまい、これでは却って紀伝体としての体裁を損なってしまうという反論もある。なお、重複した人物はほとんどが後漢にとっても重要人物であるが、荀彧だけは范曄の判断で、曹操の簒奪に反対した漢の忠臣であると評価されて『後漢書』に伝が載せられたものである。

外国に関する記事に関して、魏に朝貢した北方や東方、西方の民族の記事は存在するものの、蜀漢や呉に朝貢していた可能性が高い南方の異民族の国々については伝が立てられていない。たとえば、192年に南方で区連が後漢に反旗を翻し、林邑を建国した。子孫は呉に朝貢したが、これらの記事は『三国志』には一切見られない(『晋書』では「四夷伝」に林邑の項目があり、そこで触れられている)。ただ、これはあくまでも魏を正統であり、蜀と呉はあくまでも地方政権としての扱いなので書けなかったという事情がある。

『三国志』と『三国志演義』

後に講談などから発展して作られた通俗小説である『三国志演義』が日本では「三国志」として流通し、また作家吉川英治が演義を元にして著した小説『三国志』があまりにも有名になったため、日本の三国志愛好家の間では、『三国演義』やそれにもとづいた文学作品を『三国志』あるいは『演義』、歴史書の方を『正史(あるいは『正史三国志』)』(ただし、正史とは王朝が正式に認定した歴史書の事で、『三国志』だけを指している訳ではなく、『史記』や『漢書』なども正史と呼ばれる)と呼び分けることがある。この経緯についての詳細は、三国志の記事を参照されたい。


内容

魏書

  1. 魏書一 武帝紀第一 - 曹操
  2. 魏書二 文帝紀第二 - 曹丕
  3. 魏書三 明帝紀第三 - 曹叡
  4. 魏書四 三少帝紀第四 - 曹芳曹髦曹奐
  5. 魏書五 后妃伝第五 - 武宣卞皇后文昭甄皇后文徳郭皇后明悼毛皇后明元郭皇后
  6. 魏書六 董二袁劉伝第六 - 董卓李傕郭汜袁紹袁術劉表
  7. 魏書七 呂布臧洪伝第七 - 呂布臧洪
  8. 魏書八 二公孫陶四張伝第八 - 公孫瓚陶謙張楊公孫度張燕張繍張魯
  9. 魏書九 諸夏侯曹伝第九 - 夏侯惇夏侯淵曹仁曹洪曹休曹真夏侯尚
  10. 魏書十 荀彧荀攸賈詡伝第十 - 荀彧荀攸賈詡
  11. 魏書十一 袁張涼国田王邴管伝第十一 - 袁渙張範張承涼茂国淵田疇王脩邴原管寧
  12. 魏書十二 崔毛徐何邢鮑司馬伝第十二 - 崔琰毛玠徐奕何夔邢顒鮑勛司馬芝
  13. 魏書十三 鍾繇華歆王朗伝第十三 - 鍾繇華歆王朗
  14. 魏書十四 程郭董劉蒋劉伝第十四 - 程昱郭嘉董昭劉曄蒋済劉放
  15. 魏書十五 劉司馬梁張温賈伝第十五 - 劉馥司馬朗梁習張既温恢賈逵
  16. 魏書十六 任蘇杜鄭倉伝第十六 - 任峻蘇則杜畿鄭渾倉慈
  17. 魏書十七 張楽于張徐伝第十七 - 張遼楽進于禁張郃徐晃
  18. 魏書十八 二李臧文呂許典二龐閻伝第十八 - 李典李通臧覇孫観文聘呂虔許褚典韋龐悳龐淯閻温
  19. 魏書十九 任城陳蕭王伝第十九 - 曹彰曹植曹熊
  20. 魏書二十 武文世王公伝第二十 - 曹昂曹鑠曹沖曹據曹宇曹林曹袞曹玹曹峻曹矩曹幹曹上曹彪曹勤曹乗曹整曹京曹均曹棘曹徽曹茂曹協曹蕤曹鑑曹霖曹礼曹邕曹貢曹儼
  21. 魏書二十一 王衛二劉傅伝第二十一 - 王粲衛覬劉廙劉劭傅嘏
  22. 魏書二十二 桓二陳徐衛盧伝第二十二 - 桓階陳群陳矯徐宣衛臻盧毓
  23. 魏書二十三 和常楊杜趙裴伝第二十三 - 和洽常林楊俊杜襲趙儼裴潜
  24. 魏書二十四 韓崔高孫王伝第二十四 - 韓曁崔林高柔孫礼王観
  25. 魏書二十五 辛毗楊阜高堂隆伝第二十五 - 辛毗楊阜高堂隆
  26. 魏書二十六 満田牽郭伝第二十六 - 満寵田豫牽招郭淮
  27. 魏書二十七 徐胡二王伝第二十七 - 徐邈胡質王昶王基
  28. 魏書二十八 王毋丘諸葛鄧鍾伝第二十八 - 王凌毋丘倹諸葛誕唐咨鄧艾鍾会
  29. 魏書二十九 方技伝第二十九 - 華佗杜夔朱建平周宣管輅
  30. 魏書三十 烏丸鮮卑東夷伝第三十 - 烏丸鮮卑夫餘高句麗東沃沮挹婁

蜀書

  1. 蜀書一 劉二牧伝第一 - 劉焉劉璋
  2. 蜀書二 先主伝第二 - 劉備
  3. 蜀書三 後主伝第三 - 劉禅
  4. 蜀書四 二主妃子伝第四 -
  5. 蜀書五 諸葛亮伝第五 - 諸葛亮
  6. 蜀書六 関張馬黄趙伝第六 - 関羽張飛馬超黄忠趙雲
  7. 蜀書七 龐統法正伝第七 - 龐統法正
  8. 蜀書八 許麋孫簡伊秦伝第八 - 許靖麋竺孫乾簡雍伊籍秦宓
  9. 蜀書九 董劉馬陳董呂伝第九 - 董和劉巴馬良陳震董允呂乂
  10. 蜀書十 劉彭廖李劉魏楊伝第十 - 劉封彭羕廖立李厳劉琰魏延楊儀
  11. 蜀書十一 霍王向張楊費伝第十一 - 霍峻王連向朗張裔楊洪費詩
  12. 蜀書十二 杜周杜許孟来尹李譙郤伝第十二 - 杜微周羣杜瓊許慈孟光来敏尹黙李譔譙周郤正
  13. 蜀書十三 黄李呂馬王張伝第十三 - 黄権李恢呂凱馬忠王平張嶷
  14. 蜀書十四 蒋琬費禕姜維伝第十四 - 蒋琬費禕姜維
  15. 蜀書十五 鄧張宗楊伝第十五 - 鄧芝張翼宗預楊戯

呉書

  1. 呉書一 孫破虜討逆伝第一 - 孫堅孫策
  2. 呉書二 呉主伝第二 - 孫権
  3. 呉書三 三嗣主伝第三 - 孫亮孫休孫皓
  4. 呉書四 劉繇太史慈士燮伝第四 - 劉繇太史慈士燮
  5. 呉書五 妃嬪伝第五 -
  6. 呉書六 宗室伝第六 - 孫静孫賁孫輔孫翊孫匡孫韶孫桓
  7. 呉書七 張顧諸葛歩伝第七 - 張昭顧雍諸葛瑾歩騭
  8. 呉書八 張厳程闞薛伝第八 - 張紘厳畯程秉闞沢薛綜
  9. 呉書九 周瑜魯肅呂蒙伝第九 - 周瑜魯粛呂蒙
  10. 呉書十 程黄韓蒋周陳董甘凌徐潘丁伝第十 - 程普黄蓋韓当蒋欽周泰陳武董襲甘寧凌統徐盛潘璋丁奉
  11. 呉書十一 朱治朱然呂範朱桓伝第十一 - 朱治朱然呂範朱桓
  12. 呉書十二 虞陸張駱陸吾朱伝第十二 - 虞翻陸績張温駱統陸瑁吾粲朱拠
  13. 呉書十三 陸遜伝第十三 - 陸遜
  14. 呉書十四 呉主五子伝第十四 - 孫登孫慮孫和孫覇孫奮
  15. 呉書十五 賀全呂周鍾離伝第十五 - 賀斉全琮呂岱周魴鍾離牧
  16. 呉書十六 潘濬陸凱伝第十六 - 潘濬陸凱
  17. 呉書十七 是儀胡綜伝第十七 - 是儀胡綜
  18. 呉書十八 呉範劉惇趙達伝第十八 - 呉範劉惇趙達
  19. 呉書十九 諸葛滕二孫濮陽伝第十九 - 諸葛恪滕胤孫峻孫綝濮陽興
  20. 呉書二十 王楼賀韋華伝第二十 - 王蕃楼玄賀邵韋昭華覈

裴松之の注に引用された主要文献

以下は、注釈に見られる参考文献である。裴松之は他の文献から引用した記述によく批評を加えている。それぞれについて記述の信憑性に格差があり、陳寿による本編とは分けて考えるべき部分がある。

  • 『異同雑語』 - 孫盛著。孫盛は東晋の人。異説集らしい。孫盛は人物評でもたびたび引用されている。ただし、話を盛り上げるために勝手に台詞を創作したといわれている。たとえば、曹操呂伯奢の子供たちを誤って殺したあと、「寧ろ我れ人に負くも、人をして我れに負くこと毋からしめん(たとえ自分が他人を裏切ろうとも、他人が自分を裏切ることは許さない)」と言ったとあるのだが、この台詞は同じ事件を記録した先行文献(王沈らの『魏書』、郭頒の『世語』)には無く、本書で初めて現れているのである。
    高島俊男によると、台詞の創作や他の文献からの転用は、陳寿も含め多かれ少なかれ行っているという。しかし、孫盛は他の歴史家と比べてもそれが露骨であり、陳泰の発言では裴松之にも指摘されている。
  • 『英雄記』 - 王粲他編『漢末英雄記』のことらしい。後漢末の群雄について書かれている。
  • 『益部耆旧伝』 - 陳寿著。益州の人物伝。
  • 華陽国志』 - 常據著。漢代から晋代までの巴・蜀の歴史。孟獲の「七縦七擒」の逸話など。現存する。
  • 『後漢紀』 - 袁宏著。袁宏は西晋の人。現存する。
  • 『漢書』 - 華嶠著。華嶠は華歆の孫。後漢の歴史。皇后を本紀として扱ったのが特徴。
  • 漢晋春秋』 - 習鑿歯著。習鑿歯は東晋の人。蜀漢正統論を説き、蜀漢から晋へ正統を続けている。後世に大きな影響を与えたが、手放しで蜀漢を絶賛しているわけではない。
  • 『魏氏春秋』 - 孫盛著。編年体の魏の歴史書。
  • 『魏書』 - 王沈荀顗阮籍編。魏の末期に成立したが、西晋を建国することになる司馬一族におもねっているため、信憑性は低いという。
  • 『魏都賦』 - 左思著。『三都賦』の一部。
  • 『魏武故事』 - 作者不明。魏の武帝(曹操)時代の政府の慣例・布告などを集めたものといわれている。
  • 『魏末伝』 - 作者不明。魏末期の事件を記す。
  • 魏略』 - 魚豢著。『典略』の一部で、『魏略』は魏とその周囲の異民族を書き、『典略』は魏以外の中国のできごとも扱っているらしい。中国の文献で大秦国ローマ帝国)に言及した最古の文献でもある。劉知幾は内容の信憑性をあまり考慮せず何もかも記載しようとしていると批判しているが、高似孫は筆力があると評価している。
  • 『献帝記』 - 『隋書』に劉芳著とあるが、おそらく劉艾著。劉艾は後漢の人。ただし、献帝については途中までしか書かれていないらしい。
  • 『献帝伝』 - 作者不明。『献帝記』を増補したものらしい。曹丕が献帝から禅譲を受けた際の家臣の上奏文と曹丕の返答が収録されている。禅譲の受諾を勧める上奏を何度も固辞して見せ、謙譲の徳を強調した上で初めて禅譲を実行する様が分かる。
  • 『献帝春秋』 - 袁暐著。裴松之は厳しく批判している。
  • 『江表伝』 - 虞溥著。虞溥は東晋の人。江南の士人の伝記集。呂蒙の「呉下の阿蒙」の話など、呉全般。裴松之は、ほぼ筋道が立っていると称賛している。
  • 『呉書』 - 韋昭著。韋昭は呉の人。陳寿の呉書は本書にかなり拠っているという。
  • 『後漢書』 - 謝承著。謝承は呉の孫権の夫人謝氏の弟。紀伝体の後漢を扱った歴史書では、最も早く作られたという。
  • 『山陽公載記』 - 楽資著。山陽公とは献帝のこと。裴松之が厳しく批判する文献の一つ。
  • 『襄陽記』 - 習鑿歯著。襄陽湖北省襄樊)の人物伝。張悌が魏の蜀漢出兵と、司馬氏の簒奪の成功を予測した話など。
  • 『諸葛亮集』 - 陳寿編。『諸葛氏集』とも。諸葛亮の書簡・発給文書集。
  • 『蜀記』 - 王隠著。王隠は東晋の人。蜀漢の歴史。裴松之は『蜀記』の引く話は作り話が多いと厳しく非難している。
  • 『続漢書』 - 司馬彪著。司馬彪は、司馬懿の弟である司馬進の孫。後漢の歴史。志のみ、正史『後漢書』に付されて現存。
  • 『晋紀』 - 干宝著。干宝は東晋の人。紀伝体で書かれた西晋の歴史。『晋記』とも。
  • 『晋書』 - 王隠著。父の王銓から親子二代にわたる著作。王隠は東晋の著作郎。西晋の歴史。正史『晋書』とは別。同じく西晋の歴史を書こうとした虞預は、王隠の原稿を借り受け、勝手に写し取った上、王隠を陥れ免職にさせてしまった。王隠は庾亮から紙筆の提供を受け、やっと完成させたという。しかし「見るべき内容は父の書いたところ(だけ)」と後世批判されている。
  • 『晋書』 - 虞預著。虞預は東晋の人。前出の通り、王隠の著書の盗作疑惑がある。
  • 捜神記』 - 干宝著。志怪小説集。現在の小説とは違い、本当にあった不思議な話という姿勢で書かれている。于吉孫策をたたり殺した話など。現存のものは後世の話が混じっている。
  • 『世語』 - 郭頒撰の『魏晋世語』のこと。裴松之によれば、内容に多少問題があるが、たまに変わった記事があるので、よく世間で読まれており、孫盛・干宝らもこの書から多く採録している。
  • 『曹瞞伝』 - 作者不明だが、呉の人という。曹操の悪行集といえる内容だが、後世の人にはむしろ痛快といえる逸話もある。信憑性はともかく、『演義』にも大いに取り入れられている。
  • 『傅子』 - 傅玄著。傅玄は魏・西晋の人。思想・歴史評論。魏の記事が多い。
  • 『辨亡論』 - 陸機著。陸機は呉・西晋の人で、陸遜の孫。父祖と故国である呉の功績を顕彰し、なぜ呉が滅んだのかを論じている。
  • 『黙記』 - 張儼著。張儼は呉の人。諸葛亮を高く評価した評論など。諸葛亮が二度目に出したとされる出師表(後出師表)を引用しているが、これは何者かの偽作説が有力。
  • 『零陵先賢伝』 - 作者不明。零陵(湖南省零陵県)の人物伝。劉巴張飛を完全に無視した話など。蜀漢に厳しく、漢室復興の立場から、劉備の皇帝即位を批判している。

日本語訳

関連項目

外部リンク