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「ベルト・モリゾ」の版間の差分

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モリゾの画風は自然の緑を基調としたものが多く、穏やかで、母子の微笑ましい情景などが特徴的である。男性中心の19世紀における女性画家ということもあって、[[フェミニズム]]研究でのアプローチが多い。
モリゾの画風は自然の緑を基調としたものが多く、穏やかで、母子の微笑ましい情景などが特徴的である。男性中心の19世紀における女性画家ということもあって、[[フェミニズム]]研究でのアプローチが多い。


[[ピエール=オーギュスト・ルノワール|ルノワール]]や[[ステファヌ・マラルメ|マラルメ]]との親交もあった。モリゾの死後、マラルメ、[[エドガー・ドガ|ドガ]]、ルノワールは16歳で孤児となったジュリーの後見人となる。ジュリーは日記を綴るが、そこではマラルメや印象派の画家たちの日々の様子が描かれている。[[中央公論社]]で訳書『ジュリー・マネの日記』がある
[[ピエール=オーギュスト・ルノワール|ルノワール]]や[[ステファヌ・マラルメ|マラルメ]]との親交もあった。モリゾの死後、マラルメ、[[エドガー・ドガ|ドガ]]、ルノワールは16歳で孤児となったジュリーの後見人となる。


また死後の回顧展ではマラルメがカタログ序文を書い。そ序文は『ディヴァガシオン』に再収録されている。[[筑摩書房]]で『全集
ジュリーは日記を綴るが、そこではマラルメや印象派画家日々の様子が描かれている。[[中央公論社]]で訳書ジュリー・マネの日記がある


また死後の回顧展ではマラルメがカタログの序文を書いた。その序文は『ディヴァガシオン』に再収録されている。『マラルメ全集2』[[筑摩書房]]に所収。

== 日本語文献 ==
*坂上桂子 『西洋絵画の巨匠6 モリゾ』 [[小学館]] 2006年
*坂上桂子 『ベルト・モリゾ ある女性画家の生きた近代』 小学館ヴィジュアル選書 2006年
*ドミニク・ボナ 持田明子訳『黒衣の女ベルト・モリゾ 1841-95』 [[藤原書店]] 、2006年
*ジョン・リウォルド [[三浦篤]]、坂上桂子共訳 『印象派の歴史』 [[角川学芸出版]]、2004年 ※大著の古典


== ギャラリー ==
== ギャラリー ==

2009年4月30日 (木) 04:27時点における版

マネ画:ベルト・モリゾ

ベルト・モリゾBerthe Morisot1841年1月14日 - 1895年3月2日)は、マネの絵画のモデルとしても知られる、19世紀の印象派女性画家。

マネに絵画を学びながら、彼のモデルを多く務めた。マネとの恋仲を噂されることもあったが、実際は1874年に彼の弟ウージェーヌ・マネと結婚した。1879年に娘ジュリーを出産。

モリゾの画風は自然の緑を基調としたものが多く、穏やかで、母子の微笑ましい情景などが特徴的である。男性中心の19世紀における女性画家ということもあって、フェミニズム研究でのアプローチが多い。

ルノワールマラルメとの親交もあった。モリゾの死後、マラルメ、ドガ、ルノワールは16歳で孤児となったジュリーの後見人となる。

ジュリーは日記を綴るが、そこではマラルメや印象派の画家たちの日々の様子が描かれている。中央公論社で訳書『ジュリー・マネの日記』がある


また死後の回顧展ではマラルメがカタログの序文を書いた。その序文は『ディヴァガシオン』に再収録されている。『マラルメ全集2』筑摩書房に所収。

日本語文献

  • 坂上桂子 『西洋絵画の巨匠6 モリゾ』 小学館 2006年
  • 坂上桂子 『ベルト・モリゾ ある女性画家の生きた近代』 小学館ヴィジュアル選書 2006年
  • ドミニク・ボナ 持田明子訳『黒衣の女ベルト・モリゾ 1841-95』 藤原書店 、2006年
  • ジョン・リウォルド 三浦篤、坂上桂子共訳 『印象派の歴史』 角川学芸出版、2004年 ※大著の古典

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