コンテンツにスキップ

「イムラン・カーン」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
2行目: 2行目:
|人名 = イムラン・カーン・ニヤーズィー
|人名 = イムラン・カーン・ニヤーズィー
|各国語表記 = {{lang-ur|عمران خان نیازی}}
|各国語表記 = {{lang-ur|عمران خان نیازی}}
|画像 = File:-UNGA (48784380531) (cropped).jpg
|画像 = File:Imran Ahmed Khan Niazi - UNGA (48784380531) (cropped).jpg
|画像説明 = イムラン・カーン(2019年)
|画像説明 = イムラン・カーン(2019年)
|国略称 = {{PAK}}
|国略称 = {{PAK}}

2021年9月3日 (金) 12:27時点における版

イムラン・カーン・ニヤーズィー
ウルドゥー語: عمران خان نیازی
イムラン・カーン(2019年)
生年月日 (1952-11-25) 1952年11月25日(71歳)
出生地 ラホール
所属政党 パキスタン正義運動

パキスタンの旗 第23代 首相
在任期間 2018年8月18日 -

在任期間 1996年 -
テンプレートを表示

イムラン・カーン・ニヤーズィーウルドゥー語: عمران خان نیازی‎、Imran Khan Niazi1952年11月25日 - )は、パキスタンラホール出身の元クリケット選手、政治家。現在、同国首相

経歴・人物

1971年から1992年にかけて20年間以上もパキスタン代表としてプレイし、1982年から1992年までは代表のキャプテンも務めた。1987年ワールドカップ終了後にいったんは引退したものの、1988年には再びチームに戻るように呼ばれた。彼が40歳のときの1992年ワールドカップではパキスタンにとって初めてとなる優勝を果たした。彼はテスト・クリケットにおいて通算3,807ランと362ウィケッツの記録も保持している[1]

1996年からはパキスタン正義運動議長を務め、同党所属のパキスタン国民議会下院議員を務めた。結党当初は1議席と規模は小さかったが、2018年7月25日投開票の総選挙英語版では第1党となり、同年7月30日には少数政党や無所属議員との協力により次期首相への就任が確実となり[2]、8月17日の国民議会下院において首相に選出され、8月18日に就任の宣誓式を行った[3][4]

2019年9月に訪米し、9月27日には国際連合総会で演説。カシミール地方をめぐる争いが全面戦争になれば、大きさが隣国(インド)の1/7の国の場合、選択肢は降伏するか死ぬまで戦うかしかないとして、暗に核兵器の使用を辞さないことを警告した[5]

篤志家としても知られ、慈善事業にも積極的で1996年には世界的な資金調達により、ショカト・ハヌム記念病院の設立も援助し、2008年にはナマル大学の設立にも資金を投じた。そのほか、クリケットの解説者を務めている。イギリス人の元妻ジェマイマ・ゴールドスミスは、ロスチャイルド家の親戚であるユダヤ人実業家ジェームズ・ゴールドスミスの娘である。

2021年3月18日、パキスタンのアリフ・アルヴィ大統領夫妻も接種した中国シノファーム製の新型コロナワクチンBBIBP-CorV)の初回接種を受けたものの[6]、2日後の同月20日にウイルス検査で陽性となり自主隔離に入った[7]

著作

脚注

外部リンク