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「アントン・チェーホフ」の版間の差分

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=== 作品訳書 ===
=== 作品訳書 ===
* 『チェーホフ全集』神西・原・池田編(全16巻 中央公論社)※新版でも刊行。品切
* 『チェーホフ全集』神西・原・池田編(全16巻 [[中央公論社]])※新版でも刊行。品切
* 『チェーホフ全集』松下裕訳(全12巻 [[筑摩書房]])-[[ちくま文庫]]でも刊行。各品切
* 『チェーホフ全集』[[松下裕]]訳(全12巻 [[筑摩書房]])-[[ちくま文庫]]でも刊行。各品切
** 『チェーホフ短篇集』松下裕訳([[ちくま文庫]]) 2009年8月に刊行
** 『チェーホフ短篇集』松下裕訳([[ちくま文庫]]) 2009年8月に刊行
** 『子どもたち・曠野 他十篇』 松下裕訳([[岩波文庫]])2009年9月に刊行
** 『子どもたち・曠野 他十篇』 松下裕訳([[岩波文庫]])2009年9月に刊行
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* [[オリガ・クニッペル]]『夫チェーホフ』池田健太郎訳編(麦秋社)
* [[オリガ・クニッペル]]『夫チェーホフ』池田健太郎訳編(麦秋社)
* 『チェーホフ=クニッペル往復書簡』牧原純ほか編訳(全3巻、麦秋社)
* 『チェーホフ=クニッペル往復書簡』牧原純ほか編訳(全3巻、麦秋社)
* マリヤ・チェーホフ『兄チェーホフ 遠い過去から』牧原純訳(未來社、新版が筑摩叢書筑摩書房) 
* マリヤ・チェーホフ『兄チェーホフ 遠い過去から』牧原純訳(未來社、新版が筑摩叢書筑摩書房) 
* 『チェーホフの思い出』池田健太郎編訳([[中央公論社]]) - 近親者たちの回想。
* 『チェーホフの思い出』池田健太郎編訳([[中央公論社]]) - 近親者たちの回想。
* [[ウラジーミル・ギリャロフスキー]]『帝政末期のロシア人』村手義治訳(中央公論社、新版が中公文庫 1990年)。
* [[ウラジーミル・ギリャロフスキー]]『帝政末期のロシア人』村手義治訳(中央公論社、新版が中公文庫 1990年)。
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=== 伝記研究 ===
=== 伝記研究 ===
* [[アンリ・トロワイヤ]] 『チェーホフ伝』 [[村上香住子]]訳 ([[中央公論社]]、のち[[中公文庫]])
* [[アンリ・トロワイヤ]] 『チェーホフ伝』 [[村上香住子]]訳 ([[中央公論社]]、のち[[中公文庫]])
* [[原卓也]]編 『チェーホフ研究』(中央公論社)全集別巻
* [[原卓也]]編 『チェーホフ研究』(中央公論社) - 初版は「全集別巻
* 松下裕 『チェーホフの光と影』([[筑摩書房]])
* 松下裕 『チェーホフの光と影』([[筑摩書房]])
* セルゲイ・ザルイギン 『わがチェーホフ』 岩田貴訳([[群像社]])
* セルゲイ・ザルイギン 『わがチェーホフ』 岩田貴訳([[群像社]])
* 牧原純 『北ホテル48号室 チェーホフと女性たち』(未知谷) - 著者は他に2冊刊行。
* 牧原純 『北ホテル48号室 チェーホフと女性たち』(未知谷) - 著者は他に2冊刊行。
**各、同社の「チェーホフ・コレクション」の1冊、他に作品が10数冊訳されている。
**各、同社の「チェーホフ・コレクション」の1冊、他に作品が10数冊訳されている。
* [[池田健太郎]]『チェーホフの生活』([[中央公論社]]) 
* [[池田健太郎]] 『チェーホフの生活』([[中央公論社]]) 
** 『「かもめ」評釈』(中央公論社、のち[[中公文庫]])と遺作『チェーホフの仕事部屋』([[新潮選書]])がある。
** 『「かもめ」評釈』(中央公論社、のち[[中公文庫]])と遺作『チェーホフの仕事部屋』([[新潮選書]])がある。
* 佐藤清郎 『チェーホフへの旅』 ([[筑摩書房]])※同書房で以下3冊を順に刊行。
* 佐藤清郎 『チェーホフへの旅』 ([[筑摩書房]])※同書房で以下3冊を順に刊行。
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* 『チェーホフ短篇と手紙』 [[山田稔 (小説家)|山田稔]]編、神西清ほか訳(大人の本棚・みすず書房)
* 『チェーホフ短篇と手紙』 [[山田稔 (小説家)|山田稔]]編、神西清ほか訳(大人の本棚・みすず書房)
* ロジェ・グルニエ『チェーホフの感じ』 山田稔訳([[みすず書房]])
* ロジェ・グルニエ『チェーホフの感じ』 山田稔訳([[みすず書房]])
* [[浦雅春]] 『チェーホフ』([[岩波新書]]) -[[光文社古典新訳文庫]]で『ワーニャ伯父さん、三人姉妹』を訳した。
* [[浦雅春]] 『チェーホフ』([[岩波新書]])- [[光文社古典新訳文庫]]で『ワーニャ伯父さん、三人姉妹』を訳した。
* [[佐々木基一]]『私のチェーホフ』([[講談社]]、のち[[講談社文芸文庫]])
* [[佐々木基一]]『私のチェーホフ』([[講談社]]、のち[[講談社文芸文庫]])
* [[阿刀田高]]『チェーホフを楽しむために』([[新潮社]] のち新潮文庫)
* [[阿刀田高]]『チェーホフを楽しむために』([[新潮社]]のち新潮文庫)
* 『文芸読本 チェーホフ』([[河出書房新社]]) - 作家論集と短編・戯曲数編。
* 『文芸読本 チェーホフ』([[河出書房新社]]) - 作家論集と短編・戯曲数編。
* エヴゲーニイ・バラバノーヴィチ『チェーホフとチャイコフスキー』中本信幸訳(新読書社) ISBN 978-4788070288
* エヴゲーニイ・バラバノーヴィチ『チェーホフとチャイコフスキー』中本信幸訳(新読書社) ISBN 978-4788070288

2009年11月23日 (月) 09:05時点における版

アントン・チェーホフ
誕生 1860年1月29日
タガンログ
死没 (1904-07-15) 1904年7月15日(44歳没)
バーデンワイラー
職業 作家劇作家
国籍 ロシア
配偶者 オリガ・クニッペル(1901年 - 1904年)
ウィキポータル 文学
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アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ[1]ロシア語:Антон Павлович Чеховアントーン・パーヴラヴィチュ・チェーハフラテン文字転写例: Anton Pavlovich Chekhov1860年1月29日タガンログ - 1904年7月15日バーデンワイラー)はロシアを代表する劇作家であり、短編小説家である。

生涯

作家アントン・チェーホフ記念館(タガンローグ)。

アントン・チェーホフは、父パーヴェル・エゴーロヴィチ・チェーホフと、母エヴゲーニヤ・ヤーコヴレナ・チェーホワの3男として生まれた。兄にアレクサンドル、ニコライ、弟にイヴァン、ミハイル、妹にマリヤがいる。父方の祖父エゴールは農奴だったが、領主に身代金を支払って一家の自由を獲得した。父パーヴェルはタガンログで雑貨店を営んでいた。

1876年に一家は破産し、夜逃げしてモスクワに移住した。しかしアントンのみはタガンログに残ってタガンログ古典科中学で勉学を続けた。

1879年に中学を卒業してモスクワに移り、モスクワ大学医学部に入学した。この頃からアントーシャ・チェホンテーなどのペンネームを用いて雑誌にユーモア短編を寄稿するようになった。1884年には医学部を卒業し、医師としての資格を得た。

チェーホフがこうしてユーモア短編を書くようになったのは、生活費を得るためという現実的な要請によるものだった。転機となったのは1886年に老作家、ドミートリイ・グリゴローヴィチから激励と忠告を受けたことだった。グリゴローヴィチはチェーホフの文筆家としての才能を称賛しつつ、ユーモア短編の量産はせっかくの才能を浪費するものだと警告したのだった。これを機にチェーホフは文学的な作品の創作に真摯に取り組むようになり、「幸福」、「芦笛」、「曠野」、「ともしび」などの優れた作品が生まれた。またこの時期にチェーホフは晩年のレフ・トルストイの思想に傾倒していたことが知られている。

1887年に書かれた初の本格的な長編戯曲『イワーノフ』は翌1888年の初演の評判こそよくなかったものの、1889年にサンクト・ペテルブルクのアレクサンドリンスキイ劇場での再演[2]は好評を博した。チェーホフは文壇の寵児となり、おどけて自らを「文壇のポチョムキン」と呼びさえした。その一方で、退職した老教授のわびしい心情を描いた「退屈な話」(1889年)には、人生の意義を見失い不安と懐疑に苛まれたチェーホフ自身の心境が反映されているとも指摘される。

1890年の4月から12月にかけて、チェーホフは当時流刑地として使用されていたサハリン島へ旅行し、自然や囚人たちの生活をつぶさに観察した[3]。この時の見聞は旅行記『サハリン島』としてまとめられ、出版された。この旅行を通してチェーホフの社会に対する目はより見開かれていったといわれている。翌1891年には裕福な新聞社経営者のアレクセイ・スヴォーリン[4]とともに西ヨーロッパを訪れた。

1892年にメリホヴォに移り住み、ここで1895年の秋に長編戯曲『かもめ』を執筆した。この作品は翌1896年秋にサンクトペテルブルクのアレクサンドリンスキイ劇場で初演されたが、これはロシア演劇史上類例がないといわれるほどの失敗に終わった。しかし2年後の1898年にモスクワ芸術座によって再演されると今度は大きな成功を収め、チェーホフの劇作家としての名声は揺るぎないものとなった。モスクワ芸術座はこの成功を記念して飛翔するかもめの姿をデザインした意匠をシンボル・マークに採用した。

この1898年にチェーホフはヤルタに家を建て、翌1899年に同地に移り住んだ。ここで短編小説「犬を連れた奥さん」などを執筆した。またこの1899年にはモスクワ芸術座で『ワーニャ伯父さん』が初演され、1901年には同じくモスクワ芸術座で『三人姉妹』が初演された。この時マーシャ役を演じた女優、オリガ・クニッペルと同年5月に結婚した。

1904年には最後の作品『桜の園』がやはりモスクワ芸術座によって初演された。同年6月に結核の治療のためドイツのバーデンワイラーに転地療養したが、7月2日に同地で亡くなった。最後の言葉はドイツ語で「私は死ぬ」であったと伝えられる。現在はノヴォデヴィチ墓地に葬られている。

評価

アントン・チェーホフはロシア最大、おそらくは世界でも有数の巧みな小説作家である。また最晩年の四作品である戯曲『かもめ』、『三人姉妹』、『ワーニャ伯父さん』、『桜の園』の作者として、伝統的な戯曲と対照を成す新たな領域を切り開いた劇作家でもある。これらの戯曲や小説の与えたインパクトは多く暗示と巧みなアンチクライマックス遁辞法)による。

19世紀末にチェーホフは短編小説に革命を起こした。チェーホフのように第一線で小説を絶えず発表した作家はいなかった。チェーホフはしばしばギ・ド・モーパッサンと比較されるが、チェーホフは伏線を計算して配置するプロットを凝らした小説にはあまり関心をもたなかったとされる。チェーホフの小説では実際のところほとんど何も起こらない。登場人物とその生活が前面に出てくるのである。モーパッサンが出来事に焦点を当てたのに対し、チェーホフは人物に目を注いだといえる。

典型的なチェーホフの話は外的な筋をほとんどもたない。物語の中心はしばしばある登場人物の内側に起こることにあり、この物語は示唆により、あるいは意義深いディテールにより、間接的に担われる。しばしばいわれることであるが、チェーホフの小説や劇においては何も起こらない。しかしチェーホフは内面のドラマを展開させる独自の技をもっており、それで目立った事件が起こらないことは十分に埋め合わされている。チェーホフが主に扱う主題は労働と愛であるが、登場人物たちはどちらにも関心を示さない。チェーホフの若い登場人物はたいがいが幻想に囚われており、年老いた登場人物は幻滅にさいなまされている。時間の経過がつねに関心の中心を占め、日常のささいなことや脱線、人生の意味の結局は失敗に終わる探求が取り上げられる。

チェーホフは象徴主義的な演劇を嫌っており、『かもめ』の中でコスチャの劇中劇としてパロディー化している。同時に、チェーホフはモーリス・メーテルリンクから大きな影響を受けたとも告白している。チェーホフが影響を受けたもうひとりの劇作家はイプセンである。『野鴨』(これはチェーホフが気に入っていた作品のひとつである)なしには『かもめ』は現在あるようなものにはならず、それどころか全く書かれなかったかもしれないのである。

没後の影響

没後ロシア文学界ではチェーホフの評価は高かったものの、第一次世界大戦最中、コンスタンス・ガーネットによって作品が英訳された後も国際的な評価は低かった。

しかしチェーホフの評論家の鋭い分析に挑む挑戦的な文学スタイルで、1920年代からイギリスではチェーホフの戯曲が人気を博し、今日ではイギリス演劇の代表的なものとなっている。またアメリカ演劇界は写実的な演劇を上演するスタニスラフスキーの演出技巧の影響を経た後、それに遅れるような形でチェーホフの影響が次第に強くなってくる。テネシー・ウィリアムズアーサー・ミラークリフォード・オデッツなども好んでチェーホフの技法を用いている。

イギリスの演劇作家であるマイケル・フレインは、チェーホフのおどけた家族が見る社会に焦点を置いて描く作風に影響を受けた作家としてよく挙げられる。短編作家の多くも同じように少なからず、チェーホフの影響は受けている。その代表格としてキャサリン・マンスフィールドジョン・チーヴァーがいる。またアメリカの作家のレイモンド・カーヴァーもチェーホフのミニマリズム的な散文に影響を受けているし、イギリスの短編作家のV・S・プリチェットもチェーホフの作品から影響を受けている。以上のことを見ても、チェーホフは様々な作家に多大な影響を与えていることが分かる。

またチェーホフの作品を元に制作された映画では、エミーリ・ロチャヌーの『My Tender and Affectionate Beast』(1978年)や、ニキータ・ミハルコフマルチェロ・マストロヤンニの合作の『Dark Eyes』(1987年)、ルイ・マルの『Vanya on 42nd Street』(1994年)、アンソニー・ホプキンスの『August』などがあり数え上げればきりがない。

作品

戯曲

  • プラトーノフ(1881年) - 一幕
  • タバコの害について(1886年、1902年)
  • イワーノフ(1887年) - 四幕
  • 熊 (1888年) - 一幕
  • 結婚申し込み(1888年 -1889年) - 一幕
  • 森の精(1889年) - 四幕
  • かもめ(1896年)-チャイカ、ロシア語でのカモメ
  • ワーニャ伯父さん(1899年-1900年) - 『森の精』の改作
  • 三人姉妹(1901年)
  • 桜の園(1904年)

ノンフィクション

  • サハリン島(1895年)
    • 原卓也訳、新版が新書版で中央公論新社、2009年7月
    • 松下裕訳 「チェーホフ全集.12 シベリアの旅・サハリン島」 ちくま文庫、1994年、復刊2009年8月

主な短編小説

  • 陰謀(1879年 - 1884年)
  • 咲き遅れた花(1882年)
  • 牡蠣(1884年)
  • カメレオン(1884年)
  • 旅中(1886年)
  • 幸福(1887年)
  • 接吻(1887年)
  • 曠野(1888年)
  • ともしび(1888年)
  • 美女(1888年)
  • 白鳥の歌(1888年)
  • ねむい(1888年)
  • 退屈な話(1889年)
  • グーセフ(1890年)
  • 泥棒(1890年)
  • 決闘(1891年)
  • 六号室(1892年)
  • 隣人(1892年)
  • 恐怖(1892年)
  • 妻(1892年)
  • 黒衣の僧(1894年)
  • ロスチャイルドのヴァイオリン(1894年)
  • 学生(1894年)
  • 文学教師(1894年)
  • 女の王国(1894年)
  • 三年(1895年)
  • アリアードナ(1895年)
  • 殺人(1895年)
  • 屋根部屋のある家(1896年)
  • わが生活(1896年)
  • 郷里で(1897年)
  • 百姓(1897年)
  • 馬車で(1897年)
  • 箱の中の男、すぐり、恋について(1898年) - 三部作
  • イオーヌィチ(1898年)
  • 往診(1898年)
  • 新らしき別荘(1898年)
  • 職務(1898年)
  • 犬を連れた奥さん(1899年)
  • 聖期祭(1899年)
  • 谷間(1899年)
  • 賭け(1904年)
  • いいなずけ(1903年)

長編小説

  • 狩場の悲劇(1884年 - 1885年)

脚注

  1. ^ チェホフとも表記された時期があった。
  2. ^ この際劇場からの要求で戯曲の改訂が行われた。
  3. ^ この時チェーホフは現地の日本の外交官とも交流した。さらに日本へ渡航することも計画したが、これはコレラの流行のために断念せざるを得なかった。
  4. ^ スヴォーリンはチェーホフの作品多数の出版元であり、二人は長く親密な友人関係を築いた。この関係はチェーホフがやや一般受けしない原因にもなった。スヴォーリンの新聞(『新時代』)は政治的には反動の性格を帯びていたのである。しかしドレフュス事件に際してアルフレド・ドレフュスを擁護したチェーホフはスヴォーリンと対立し、両者の関係は決裂するに至った。

関連文献

「作品」以外にも、版元での品切絶版は多数ある。

作品訳書

  • 『チェーホフ全集』神西・原・池田編(全16巻 中央公論社)※新版でも刊行。品切
  • 『チェーホフ全集』松下裕訳(全12巻 筑摩書房)-ちくま文庫でも刊行。各品切
    • 『チェーホフ短篇集』松下裕訳(ちくま文庫) 2009年8月に刊行
    • 『子どもたち・曠野 他十篇』 松下裕訳(岩波文庫)2009年9月に刊行
    • 『ともしび・谷間 他七篇』 松下裕訳(岩波文庫) 2009年10月に刊行
    • 『六号病棟・退屈な話 他五篇』 松下裕訳(岩波文庫) 2009年11月に刊行
  • 『チェーホフ・ユモレスカ』松下裕訳(全3巻、新潮社)- 1.2巻は文庫化。
  • 『チェーホフ小説選』、『チェーホフ戯曲選』松下裕訳(水声社

回想ほか

  • オリガ・クニッペル『夫チェーホフ』池田健太郎訳編(麦秋社)
  • 『チェーホフ=クニッペル往復書簡』牧原純ほか編訳(全3巻、麦秋社)
  • マリヤ・チェーホフ『兄チェーホフ 遠い過去から』牧原純訳(未來社、新版が「筑摩叢書」筑摩書房) 
  • 『チェーホフの思い出』池田健太郎編訳(中央公論社) - 近親者たちの回想。
  • ウラジーミル・ギリャロフスキー『帝政末期のロシア人』村手義治訳(中央公論社、新版が中公文庫 1990年)。
    • 「チェホンテ」のペンネーム時代から晩年までの交流の回想がある。
  • リジヤ・アヴィーロワ『私のなかのチェーホフ』尾家順子訳(群像社ライブラリー14)
    • リディア・アヴィーロワ『チェーホフとの恋』小野俊一訳(未知谷) - 同著の別訳。
  • ペーター・ウルバン編『チェーホフの風景』谷川道子訳(文藝春秋) - 写真多数の大著。

伝記研究

  • アンリ・トロワイヤ 『チェーホフ伝』 村上香住子訳 (中央公論社、のち中公文庫
  • 原卓也編 『チェーホフ研究』(中央公論社) - 初版は「全集」別巻
  • 松下裕 『チェーホフの光と影』(筑摩書房
  • セルゲイ・ザルイギン 『わがチェーホフ』 岩田貴訳(群像社
  • 牧原純 『北ホテル48号室 チェーホフと女性たち』(未知谷) - 著者は他に2冊刊行。
    • 各、同社の「チェーホフ・コレクション」の1冊、他に作品が10数冊訳されている。
  • 池田健太郎 『チェーホフの生活』(中央公論社) 
    • 『「かもめ」評釈』(中央公論社、のち中公文庫)と遺作『チェーホフの仕事部屋』(新潮選書)がある。
  • 佐藤清郎 『チェーホフへの旅』 (筑摩書房)※同書房で以下3冊を順に刊行。
    • 『チェーホフの生涯』、『チェーホフ芸術の世界』、『チェーホフ劇の世界』
  • 『チェーホフの言葉』佐藤清郎訳編(弥生書房) - アフォリズム集。
  • 『チェーホフ短篇と手紙』 山田稔編、神西清ほか訳(大人の本棚・みすず書房)
  • ロジェ・グルニエ『チェーホフの感じ』 山田稔訳(みすず書房
  • 浦雅春 『チェーホフ』(岩波新書)- 光文社古典新訳文庫で『ワーニャ伯父さん、三人姉妹』を訳した。
  • 佐々木基一『私のチェーホフ』(講談社、のち講談社文芸文庫
  • 阿刀田高『チェーホフを楽しむために』(新潮社、のち新潮文庫)
  • 『文芸読本 チェーホフ』(河出書房新社) - 作家論集と短編・戯曲数編。
  • エヴゲーニイ・バラバノーヴィチ『チェーホフとチャイコフスキー』中本信幸訳(新読書社) ISBN 978-4788070288

関連人物

外部リンク

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