コンテンツにスキップ

「ジュリオ・セーザル・クレメンテ・バチスタ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
3個の出典を修正し、0個にリンク切れのタグを追加しました。 #IABot (v1.5.2)
45行目: 45行目:
2005年7月25日、[[レアル・マドリード]]と5年契約を交わした<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/teams/a/arsenal/4714437.stm|title=Real pip Arsenal to sign Baptista|work=BBC Sport|date=2005-07-25|accessdate=2011-05-27}}</ref>。移籍金は2000万ユーロ(1380万ポンド)であり、2450万ユーロ(1690万ポンド)まで上昇する可能性があった。この時はイングランドのクラブに移籍したくなかったと語り、スペインにとどまったことでスペイン国籍を取得する権利を得た<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/europe/4734325.stm|title=Baptista makes Arsenal admission|work=BBC Sport|date=2005-08-01|accessdate=2011-05-27}}</ref> 。レアル・マドリードでは背番号8を与えられた。レアル・マドリードは[[サントスFC]]から[[ロビーニョ]]を、セビージャから[[セルヒオ・ラモス]]を獲得しており、2005-06シーズンはトロフィー獲得の期待が大きかった。[[ジネディーヌ・ジダン]]や[[グティ]]などと一緒にプレーするために、本来のポジションではない左ウイングで起用されることが多く、セビージャでの出来とは程遠かった。リーグ戦では8得点に終わり、クラブにとっても失望の残るシーズンとなった。
2005年7月25日、[[レアル・マドリード]]と5年契約を交わした<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/teams/a/arsenal/4714437.stm|title=Real pip Arsenal to sign Baptista|work=BBC Sport|date=2005-07-25|accessdate=2011-05-27}}</ref>。移籍金は2000万ユーロ(1380万ポンド)であり、2450万ユーロ(1690万ポンド)まで上昇する可能性があった。この時はイングランドのクラブに移籍したくなかったと語り、スペインにとどまったことでスペイン国籍を取得する権利を得た<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/europe/4734325.stm|title=Baptista makes Arsenal admission|work=BBC Sport|date=2005-08-01|accessdate=2011-05-27}}</ref> 。レアル・マドリードでは背番号8を与えられた。レアル・マドリードは[[サントスFC]]から[[ロビーニョ]]を、セビージャから[[セルヒオ・ラモス]]を獲得しており、2005-06シーズンはトロフィー獲得の期待が大きかった。[[ジネディーヌ・ジダン]]や[[グティ]]などと一緒にプレーするために、本来のポジションではない左ウイングで起用されることが多く、セビージャでの出来とは程遠かった。リーグ戦では8得点に終わり、クラブにとっても失望の残るシーズンとなった。


2006年8月下旬、[[トッテナム・ホットスパーFC|トッテナム]]かアーセナルに移籍するのではないかという報道がなされ、本人はマドリードから離れることに興味がないと主張したが、8月31日に[[ホセ・アントニオ・レジェス]]とのトレードという形でアーセナルにレンタル移籍した<ref>{{cite web | url=http://www.realmadrid.com//articulo/rma33346.htm | title=José Antonio Reyes, new Real Madrid player. | work=Real Madrid|accessdate=2011-05-27}}{{リンク切れ|date=20115月}}</ref>。11月21日、[[UEFAチャンピオンズリーグ]]の[[ハンブルガーSV]]戦で移籍後初得点を決めたが<ref>{{cite news |url=http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/europe/6160894.stm |title=Arsenal 3-1 Hamburg |publisher=BBC |date=2006-11-21 |accessdate=2010-08-13}}</ref>、プレミアリーグではなかなか得点できず、2006-07シーズンはリーグ戦24試合に出場して3得点に終わった。[[フットボールリーグカップ|カーリングカップ]]では6得点を挙げる大活躍を見せた。2007年1月9日の準々決勝・[[リヴァプールFC|リヴァプール]]戦 (6-3) では4得点を挙げた他、ミスしたペナルティキックを決めていれば1試合5得点であった。準決勝のトッテナム戦 (2-1) では2得点を挙げ、更にオウンゴールも記録している。決勝の[[チェルシーFC|チェルシー]]戦はいいところがなく1-2で敗れた。2006-07シーズンは公式戦を通じて35試合に出場して10得点を決めた。
2006年8月下旬、[[トッテナム・ホットスパーFC|トッテナム]]かアーセナルに移籍するのではないかという報道がなされ、本人はマドリードから離れることに興味がないと主張したが、8月31日に[[ホセ・アントニオ・レジェス]]とのトレードという形でアーセナルにレンタル移籍した<ref>{{cite web | url=http://www.realmadrid.com//articulo/rma33346.htm | title=José Antonio Reyes, new Real Madrid player. | work=Real Madrid | accessdate=2011-05-27 | archiveurl=https://archive.is/20070810174100/http://www.realmadrid.com//articulo/rma33346.htm | archivedate=2007年8月10日 | deadurldate=20179 }}</ref>。11月21日、[[UEFAチャンピオンズリーグ]]の[[ハンブルガーSV]]戦で移籍後初得点を決めたが<ref>{{cite news |url=http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/europe/6160894.stm |title=Arsenal 3-1 Hamburg |publisher=BBC |date=2006-11-21 |accessdate=2010-08-13}}</ref>、プレミアリーグではなかなか得点できず、2006-07シーズンはリーグ戦24試合に出場して3得点に終わった。[[フットボールリーグカップ|カーリングカップ]]では6得点を挙げる大活躍を見せた。2007年1月9日の準々決勝・[[リヴァプールFC|リヴァプール]]戦 (6-3) では4得点を挙げた他、ミスしたペナルティキックを決めていれば1試合5得点であった。準決勝のトッテナム戦 (2-1) では2得点を挙げ、更にオウンゴールも記録している。決勝の[[チェルシーFC|チェルシー]]戦はいいところがなく1-2で敗れた。2006-07シーズンは公式戦を通じて35試合に出場して10得点を決めた。


2007年夏にレアル・マドリードに復帰し、主に中盤で起用された。12月25日に行われたFCバルセロナとの[[エル・クラシコ]] (1-0) では[[ルート・ファン・ニステルローイ]]とのワンツーパスから抜け出し、決勝点となる重要なゴールを決めた。敵地[[カンプ・ノウ]]でFCバルセロナから白星を挙げたのは過去24年間で2度目のことであった。2007-08シーズンは好調を続け、グティをベンチに追いやった<ref>{{cite web | url=http://www.goal.com/en/Articolo.aspx?ContenutoId=513475 | title=Baptista: I'm Not Ronaldinho, But I Play Well, Too. | work=Goal.com|accessdate=2011-05-27}}{{リンク切れ|date=20115月}}</ref>。しかし、その後グティはアシストランキングでトップに立つほどの活躍を見せ、シーズン終盤にはポジションを失い、移籍が騒がれた。
2007年夏にレアル・マドリードに復帰し、主に中盤で起用された。12月25日に行われたFCバルセロナとの[[エル・クラシコ]] (1-0) では[[ルート・ファン・ニステルローイ]]とのワンツーパスから抜け出し、決勝点となる重要なゴールを決めた。敵地[[カンプ・ノウ]]でFCバルセロナから白星を挙げたのは過去24年間で2度目のことであった。2007-08シーズンは好調を続け、グティをベンチに追いやった<ref>{{cite web | url=http://www.goal.com/en/Articolo.aspx?ContenutoId=513475 | title=Baptista: I'm Not Ronaldinho, But I Play Well, Too. | work=Goal.com | accessdate=2011-05-27 | archiveurl=https://web.archive.org/web/20080214133912/http://www.goal.com/en/Articolo.aspx?ContenutoId=513475 | archivedate=2008年2月14日 | deadurldate=20179 }}</ref>。しかし、その後グティはアシストランキングでトップに立つほどの活躍を見せ、シーズン終盤にはポジションを失い、移籍が騒がれた。


==== ASローマ ====
==== ASローマ ====
53行目: 53行目:


==== マラガCF ====
==== マラガCF ====
2011年1月3日、リーガ・エスパニョーラの[[マラガCF]]と2年半契約を交わした<ref>{{cite news|url=http://www.malagacf.com/noticias/baptista-ya-es-del-malaga-se-presenta-a-las-1230-3826.html |title=Julio Baptista ya es malaguista y se presentará mañana a las 12:30 horas en el estadio La Rosaleda |trans_title=Julio Baptista is a ''malaguista'' and will be presented tomorrow at 12:30 at ''Estadio La Rosaleda'' |date=2011-01-03|accessdate=2011-01-03 |work=Málaga CF |language=Spanish}}</ref>。1月14日、ASローマは移籍金が250万ユーロであったことを公表した<ref>{{cite news|url=http://www.asroma.it/UserFiles/1385.pdf|title=OPERAZIONI DI MERCATO AL 14 GENNAIO 2011|date=2011-01-14|accessdate=2011-01-19|work=AS Roma|language=Italian|format={{PDFlink|&#8203;|2.16KB}}}}</ref>。1月16日の[[FCバルセロナ]]戦 (1-4) でデビューし、1週間後の1月22日の[[バレンシアCF]]戦 (4-3) で同点弾となる初得点を挙げた。2月13日、ペナルティキックで1得点を決めた[[ヘタフェCF]]戦 (2-2) で負傷し、その2日後にはブラジルで手術を受けたが、4月16日の[[RCDマヨルカ]]戦 (3-0) で復帰し、2得点を挙げてチームを降格圏内から残留圏内に浮上させた。
2011年1月3日、リーガ・エスパニョーラの[[マラガCF]]と2年半契約を交わした<ref>{{cite news |url=http://www.malagacf.com/noticias/baptista-ya-es-del-malaga-se-presenta-a-las-1230-3826.html |title=Julio Baptista ya es malaguista y se presentará mañana a las 12:30 horas en el estadio La Rosaleda |trans_title=Julio Baptista is a ''malaguista'' and will be presented tomorrow at 12:30 at ''Estadio La Rosaleda'' |date=2011-01-03 |accessdate=2011-01-03 |work=Málaga CF |language=Spanish |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110106031924/http://www.malagacf.com/noticias/baptista-ya-es-del-malaga-se-presenta-a-las-1230-3826.html |archivedate=2011年1月6日 |deadurldate=2017年9月 }}</ref>。1月14日、ASローマは移籍金が250万ユーロであったことを公表した<ref>{{cite news|url=http://www.asroma.it/UserFiles/1385.pdf|title=OPERAZIONI DI MERCATO AL 14 GENNAIO 2011|date=2011-01-14|accessdate=2011-01-19|work=AS Roma|language=Italian|format={{PDFlink|&#8203;|2.16KB}}}}</ref>。1月16日の[[FCバルセロナ]]戦 (1-4) でデビューし、1週間後の1月22日の[[バレンシアCF]]戦 (4-3) で同点弾となる初得点を挙げた。2月13日、ペナルティキックで1得点を決めた[[ヘタフェCF]]戦 (2-2) で負傷し、その2日後にはブラジルで手術を受けたが、4月16日の[[RCDマヨルカ]]戦 (3-0) で復帰し、2得点を挙げてチームを降格圏内から残留圏内に浮上させた。


==== クルゼイロEC ====
==== クルゼイロEC ====

2017年9月13日 (水) 04:58時点における版

ジュリオ・バチスタ
アーセナルFC時代 (2007年)
名前
本名 ジュリオ・セーザル・クレメンテ・バチスタ
Júlio César Clemente Baptista
愛称 Beast
ラテン文字 JÚLIO BAPTISTA
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
スペインの旗 スペイン
生年月日 (1981-10-01) 1981年10月1日(43歳)
出身地 サンパウロ
身長 185cm
体重 86kg
選手情報
在籍チーム 無所属
ポジション MF / FW
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2003 ブラジルの旗 サンパウロ 75 (10)
2003-2005 スペインの旗 セビージャ 63 (38)
2005-2008 スペインの旗 レアル・マドリード 59 (11)
2006-2007 イングランドの旗 アーセナル (loan) 24 (3)
2008-2011 イタリアの旗 ローマ 57 (12)
2011-2013 スペインの旗 マラガ 29 (14)
2013-2016 ブラジルの旗 クルゼイロ 27 (9)
2016 アメリカ合衆国の旗 オーランド 23 (6)
代表歴2
2003 ブラジルの旗 ブラジル U-20 5 (3)
2001-2010 ブラジルの旗 ブラジル 47 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年10月29日現在。
2. 2010年7月2日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジュリオ・バチスタ (Júlio Baptista) こと、ジュリオ・セーザル・クレメンテ・バチスタ(Júlio César Clemente Baptista、1981年10月1日 - )は、ブラジルサンパウロ出身のサッカー選手。元ブラジル代表である。ポジションはミッドフィールダーフォワード

経歴

クラブ

サンパウロFC時代は主に守備的ミッドフィールダーとしてプレーした。

セビージャFC

2003年8月3日、175万ユーロ(375万ドル)の移籍金でリーガ・エスパニョーラセビージャに移籍[1]。背番号19のユニフォームを受け取り、攻撃的ミッドフィールダーのポジションで起用された。すぐにチームになじみ、アウェーでのラシン・サンタンデール戦 (4-0) では2得点を挙げた[2]。シーズンが進んでも好調を維持し、レバンテ戦でも2得点を挙げ、ホームでのラシン・サンタンデール戦 (5-2) では4得点と爆発した。2003-04シーズンは25得点で得点王になったロナウドに次ぐ20得点を叩き出し、アーセナルなどいくつかのビッグクラブの興味を引いたが、2004年夏はセビージャに残留した。2004-05シーズンは得点ランク5位の18得点(公式戦通算25得点)を挙げ、再び自らの価値を示した[3]。2003年の加入から2005年の間に公式戦81試合に出場して50得点を挙げ、2005年夏にはレアル・マドリードとアーセナルが争奪戦を繰り広げた。

レアル・マドリード

2005年7月25日、レアル・マドリードと5年契約を交わした[4]。移籍金は2000万ユーロ(1380万ポンド)であり、2450万ユーロ(1690万ポンド)まで上昇する可能性があった。この時はイングランドのクラブに移籍したくなかったと語り、スペインにとどまったことでスペイン国籍を取得する権利を得た[5] 。レアル・マドリードでは背番号8を与えられた。レアル・マドリードはサントスFCからロビーニョを、セビージャからセルヒオ・ラモスを獲得しており、2005-06シーズンはトロフィー獲得の期待が大きかった。ジネディーヌ・ジダングティなどと一緒にプレーするために、本来のポジションではない左ウイングで起用されることが多く、セビージャでの出来とは程遠かった。リーグ戦では8得点に終わり、クラブにとっても失望の残るシーズンとなった。

2006年8月下旬、トッテナムかアーセナルに移籍するのではないかという報道がなされ、本人はマドリードから離れることに興味がないと主張したが、8月31日にホセ・アントニオ・レジェスとのトレードという形でアーセナルにレンタル移籍した[6]。11月21日、UEFAチャンピオンズリーグハンブルガーSV戦で移籍後初得点を決めたが[7]、プレミアリーグではなかなか得点できず、2006-07シーズンはリーグ戦24試合に出場して3得点に終わった。カーリングカップでは6得点を挙げる大活躍を見せた。2007年1月9日の準々決勝・リヴァプール戦 (6-3) では4得点を挙げた他、ミスしたペナルティキックを決めていれば1試合5得点であった。準決勝のトッテナム戦 (2-1) では2得点を挙げ、更にオウンゴールも記録している。決勝のチェルシー戦はいいところがなく1-2で敗れた。2006-07シーズンは公式戦を通じて35試合に出場して10得点を決めた。

2007年夏にレアル・マドリードに復帰し、主に中盤で起用された。12月25日に行われたFCバルセロナとのエル・クラシコ (1-0) ではルート・ファン・ニステルローイとのワンツーパスから抜け出し、決勝点となる重要なゴールを決めた。敵地カンプ・ノウでFCバルセロナから白星を挙げたのは過去24年間で2度目のことであった。2007-08シーズンは好調を続け、グティをベンチに追いやった[8]。しかし、その後グティはアシストランキングでトップに立つほどの活躍を見せ、シーズン終盤にはポジションを失い、移籍が騒がれた。

ASローマ

2008年8月14日、イタリア・セリエAASローマと4年契約を結んだ。基本の移籍金は900万ユーロであり、成績に応じてさらに移籍金が加算される[9][10]。8月25日、スーペルコッパ・イタリアーナインテル戦でデビューしたが、PK戦の末に敗れた。10月1日のUEFAチャンピオンズリーグ・FCジロンダン・ボルドー戦では2得点し、3-1の勝利に貢献した。移籍して最初のローマ・ダービーではSSラツィオ相手に決勝点を挙げた。同大会の決勝トーナメント1回戦では古巣アーセナルFCと対戦し、2試合ともに出場した。ローマで行われたセカンドレグではフアンの負傷で早い段階に出場機会が訪れ、何度かチャンスを作った。79分にはマヌエル・アルムニアにセーブを強いたが、結局PK戦で敗れた。

マラガCF

2011年1月3日、リーガ・エスパニョーラのマラガCFと2年半契約を交わした[11]。1月14日、ASローマは移籍金が250万ユーロであったことを公表した[12]。1月16日のFCバルセロナ戦 (1-4) でデビューし、1週間後の1月22日のバレンシアCF戦 (4-3) で同点弾となる初得点を挙げた。2月13日、ペナルティキックで1得点を決めたヘタフェCF戦 (2-2) で負傷し、その2日後にはブラジルで手術を受けたが、4月16日のRCDマヨルカ戦 (3-0) で復帰し、2得点を挙げてチームを降格圏内から残留圏内に浮上させた。

クルゼイロEC

2013年7月24日、マラガと契約を解除し、クルゼイロECに加入した[13]

オーランド・シティSC

2016年3月23日、オーランド・シティSCに移籍した。

代表

2001年、ブラジル代表キャップゼロながらFIFAコンフェデレーションズカップ2001のメンバーに選ばれ、大会前に行われた東京ヴェルディ1969との親善試合(非公式試合)では得点も決めている。6月4日の日本戦で国際Aマッチ初出場を果たした。2005年の同大会メンバーにも選出されている。レアル・マドリードでポジションを失い、2006 FIFAワールドカップのメンバーからは外れたが、コパ・アメリカ2007のメンバーには選ばれ、グループリーグのチリ戦、ウルグアイ戦で得点した。カカロナウジーニョなどの主力を欠く中でスタメンとして出場し、決勝のアルゼンチン戦 (3-0) では先制点を決め、計3得点を挙げて2連覇に貢献した。2010 FIFAワールドカップ・南米予選ではエクアドル戦とチリ戦で得点し、本大会メンバーにも選ばれた。

タイトル

クラブ

レアル・マドリード
クルゼイロEC

代表

ブラジル代表

個人成績

代表での出場試合数


ブラジル代表国際Aマッチ
出場得点
2001 2 0
2002 0 0
2003 5 0
2003-2004 6 0
2004-2005 4 0
2005-2006 2 0
2006-2007 8 3
2007-2008 9 0
2008-2009 5 1
2009-2010 6 1
通算 47 27

代表での得点

  • 青で示された得点は非公式の親善試合で挙げた得点であり、薄緑で示された得点はU-23ブラジル代表として相手国A代表から挙げた得点である。

脚注

  1. ^ Sevilla unveil Baptista”. Sky Sports. 2011年5月27日閲覧。
  2. ^ La Liga Round-Up”. Sky Sports. 2011年5月27日閲覧。
  3. ^ Brazilian in Premiership claim”. Sky Sports. 2011年5月27日閲覧。
  4. ^ “Real pip Arsenal to sign Baptista”. BBC Sport. (2005年7月25日). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/teams/a/arsenal/4714437.stm 2011年5月27日閲覧。 
  5. ^ “Baptista makes Arsenal admission”. BBC Sport. (2005年8月1日). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/europe/4734325.stm 2011年5月27日閲覧。 
  6. ^ José Antonio Reyes, new Real Madrid player.”. Real Madrid. 2007年8月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月27日閲覧。
  7. ^ “Arsenal 3-1 Hamburg”. BBC. (2006年11月21日). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/europe/6160894.stm 2010年8月13日閲覧。 
  8. ^ Baptista: I'm Not Ronaldinho, But I Play Well, Too.”. Goal.com. 2008年2月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月27日閲覧。
  9. ^ “Soccer — Roma sign Brazil's Baptista from Real Madrid. Later Menez Joined Roma from Monaco as another forward.”. Reuters. (2008年8月14日). http://uk.reuters.com/article/worldFootballNews/idUKLC52719620080814 
  10. ^ “14 AGOSTO 2008 - RAGGIUNTO L'ACCORDO PER L'ACQUISIZIONE A TITOLO DEFINITIVO DEL DIRITTO ALLE PRESTAZIONI SPORTIVE DEL CALCIATORE JULIO CESAR BAPTISTA” (Italian). AS Roma. (2008年8月14日). http://www.asroma.it/NewsDoc.aspx?Categoria=ITComunicatiFinanziari&Documento=9318 2011年1月4日閲覧。 
  11. ^ “Julio Baptista ya es malaguista y se presentará mañana a las 12:30 horas en el estadio La Rosaleda” (Spanish). Málaga CF. (2011年1月3日). オリジナルの2011年1月6日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110106031924/http://www.malagacf.com/noticias/baptista-ya-es-del-malaga-se-presenta-a-las-1230-3826.html 2011年1月3日閲覧。 
  12. ^ “OPERAZIONI DI MERCATO AL 14 GENNAIO 2011” (Italian) ( (PDF, 2.16KB)). AS Roma. (2011年1月14日). http://www.asroma.it/UserFiles/1385.pdf 2011年1月19日閲覧。 
  13. ^ 元ブラジル代表のJ・バチスタがマラガ退団、クルゼイロへ移籍”. サッカーキング. 2013年7月25日閲覧。

外部リンク