KFCユルディンゲン05
KFCユルディンゲン05(カーエフツェー・ユルディンゲン・ヌルフュンフ、Krefelder Fußballclub Uerdingen 05 e.V.)は、ドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州クレーフェルトをホームタウンとするサッカークラブである。
KFCユルディンゲン05 | ||||
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原語表記 | Krefelder Fußballclub Uerdingen 05 e.V. | |||
愛称 | Blau-Rot (青と赤) | |||
クラブカラー | 青・赤 | |||
創設年 | 1905年 | |||
所属リーグ | オーバーリーガ | |||
所属ディビジョン | 5部 | |||
ホームタウン | クレーフェルト | |||
ホームスタジアム | グローテンブルク=シュタディオン | |||
収容人数 | 34,500 | |||
代表者 | クリスティアン・グンマート | |||
監督 | レバン・ケニア | |||
公式サイト | 公式サイト | |||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
概要
編集FCユルディンゲン05として1905年11月17日に設立され、1953年に医薬品メーカーのバイエルが運営するバイエルAGユルディンゲンと合併しFCバイエル05ユルディンゲンに改称した。
クラブは1974-75シーズンにブンデスリーガ1部初昇格を果たし、1980年代中盤に入るとクラブ史上でも最良の時間を過ごした。1983年に1部に再昇格すると1984-85シーズンのDFBポカール決勝でバイエルン・ミュンヘンを2-1で下し現在までで唯一のビッグタイトルを獲得、1985-86シーズンにはリーグ戦で3位となりUEFAカップウィナーズカップではトルコのガラタサライ、東ドイツのディナモ・ドレスデンなどを下しベスト4に進出。特に準々決勝のディナモ・ドレスデン戦はアウェイの第1戦を0-2で落とし、ホームの第2戦も前半終了時点で1-3とリードされる苦しい展開であったが、ここから6得点を奪い7-3と逆転劇を演じた。準決勝ではスペインのアトレティコ・マドリードに敗退した。
1990年代に入って成績が低迷すると1995年にはバイエルが財政状況の悪化からサッカー部門から撤退し(他のスポーツ部門はSCバイエル05ユルディンゲンとして支援を続けている)KFCユルディンゲン05となった1995-96シーズンを最後に1部から姿を消した。以降は下部への降格が続き、2008年に持続的な財政問題からドイツサッカー協会(DFB)の制裁措置によりフェアバンツリーガ・ニーダーライン(6部)に降格させられた。
タイトル
編集国内タイトル
編集- DFBポカール:1回
- 1984-85
国際タイトル
編集- なし
歴代監督
編集- ホルスト・ケッペル 1987
- フリートヘルム・フンケル 1991-1996
- ヘンク・テン・カテ 1998-1999
- レバン・ケニア 2024-
歴代所属選手
編集- マンフレート・ブルクスミュラー 1971-1974, 1976
- フリートヘルム・フンケル 1973-1980, 1983-1990
- ジークフリート・ヘルト 1979-1981
- ハイメ・ロドリゲス 1980-1982
- オリバー・ビアホフ 1986-1988
- シュテファン・クンツ 1986-1989
- マルセル・ヴィテチェク 1986-1991
- ブライアン・ラウドルップ 1989-1990
- ステファヌ・シャピュイサ 1991
- セルゲイ・ゴルルコヴィチ 1992-1995
- ヤン・ハインツェ 1994-1996
- アンドレイ・パナディッチ 1996-1997
- ディルク・ファンデルフェン 1998-1999
- ルディ・イステニッチ 1999-2001
- エメルソン 2001-2002
- アレクサンダー・ヌーリ 2001-2004
- アイウトン 2010
- 上船利徳 2015
- 中村侑人 2015
- 久保武大 2015-2016
- マクシミリアン・バイスター 2018-2019
- ケヴィン・グロスクロイツ 2018-2020
- マヌエル・コンラート 2018-2020
- 寺田俊 2021-2023
- レバン・ケニア 2021-
- 岩田凌 2022-2023
- 権田陽大 2023-
- 柳沢拓弥 2024-