高霊郡
高霊郡(コリョンぐん)は、大韓民国慶尚北道南西部にある郡。大伽耶国の故地である。
主山南麓の大伽倻王陵展示館。右側は高霊池山洞古墳群 | |
位置 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 고령군 |
漢字: | 高靈郡 |
日本語読み仮名: | こうれいぐん |
片仮名転写: | コリョン=グン |
ローマ字転写 (RR): | Goryeong-gun |
統計(2023年) | |
面積: | 383.97 km2 |
総人口: | 30,139[1] 人 |
男子人口: | 15,477 人 |
女子人口: | 14,662 人 |
行政 | |
国: | 大韓民国 |
上位自治体: | 慶尚北道 |
下位行政区画: | 1邑7面 |
行政区域分類コード: | 37370 |
高霊郡の木: | キリ |
高霊郡の花: | クロフネツツジ |
高霊郡の鳥: | アオサギ |
自治体公式サイト: | 高霊郡 |
地理
編集慶尚北道南西部に位置し、東は大邱広域市、西と南は慶尚南道陜川郡(ハプチョン)、北は慶尚北道星州郡(ソンジュ)に接する。
小白山脈の一脈である伽耶山が郡の西北から南東に連なり、郡中央を流れる大伽川が小伽川を合わせて錦川となり、洛東江に流入する。
歴史
編集古代の大伽耶国の地であり、大伽耶は始祖・内珍朱智から道設智王まで16代520年続いた。伽耶時代前期の盟主は金官伽耶(現・金海市)であったが、5世紀以降は大伽耶が伽耶連盟の盟主となった。562年新羅に滅ぼされて大伽耶郡となり、757年高霊郡(高陽郡)と改称した。
- 1018年 - 霊川県と改称。
- 1413年 - 高霊県になる。
- 1895年旧暦閏5月1日 - 高霊郡に変更。[2]
- 1896年8月4日 - 慶尚南道高霊郡に変更。[3]
- 1906年 - 星州郡・玄風郡の各一部を編入。(26面)
- 1912年10月15日 - 西部面が県内面に合併するなど、面・洞が統廃合された。[4][5](16面)
道令第2号
道令第2号 旧行政区画 新行政区画 雲羅面、黒水面 雲水面 道長面、九音面 長音面 九谷面、津村面 開津面 一良面、松泉面 良泉面 安林面、鍮泉面、高谷面 林泉面 乃谷面、館洞面 乃館面 旺旨面、畓谷面、下弥面の一部(扶礼洞、釜谷洞、沙村洞、蓮洞、下山洞) 旺谷面 牛村面、下弥面の残部 牛下面 上洞面、下洞面 双洞面
府令第111号
府令第111号 旧行政区画 新行政区画 邑内面、乃館面 高霊面 仁谷面 徳谷面 長音面 雲水面 蘇野面、嘉県面 星山面 良泉面 開津面 伐知面 茶山面 牛下面、旺谷面 牛谷面
行政
編集高霊郡は1邑、7面、147里で構成される。
邑・面 | 法定里 |
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大伽倻邑 | 快賓里、古衙里、軒門里、場基里、延詔里、池山里、本館里、中化里、楮田里、内上里、新里、外里、内谷里 |
徳谷面 | 加倫里、元松里、老里、白里、礼里、玉渓里、龍興里、本里里、盤城里、後岩里 |
雲水面 | 鳳坪里、大坪里、八山里、雲山里、月山里、花岩里、新間里、法里、柳里 |
星山面 | 於谷里、得成里、三大里、午谷里、江亭里、茂渓里、朴谷里、大興里、龍沼里、上龍里、高呑里、旗足里、箕山里、沙鳧里 |
開津面 | 良田里、盤雲里、新安里、仁安里、開浦里、吾士里、九谷里、玉山里、釜里、省里、直里 |
茶山面 | 平里里、湖村里、藿村里、上谷里、座鶴里、月城里、芦谷里、松谷里、羅亭里、伐知里 |
牛谷面 | 桃津里、礼谷里、畓谷里、大谷里、沙田里、沙村里、野亭里、鳳山里、客基里、月塢里、浦里、蓮里、涑里 |
双林面 | 貴院里、松林里、山塘里、山州里、栢山里、下車里、新村里、新谷里、梅村里、合伽里、平地里、安和里、安林里、高谷里、月幕里、龍里 |
警察
編集消防
編集教育・文化
編集- 初等学校(小学校) 19校(分校4校)
- 中学校 7校(分校1校)
- 高等学校 2校
- 加耶大学校
- 大伽耶博物館
主要遺跡
編集- 良田洞巌刻画(先史時代)
- 池山洞古墳群(1977年発掘)
- 古衛洞壁画古墳
- ほか多数