阿蘇村
阿蘇村(あそむら)は、かつて千葉県印旛郡に存在した村。現在の八千代市東部である。
あそむら 阿蘇村 | |
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廃止日 | 1954年9月1日 |
廃止理由 |
編入合併 阿蘇村 → 八千代町 |
現在の自治体 | 八千代市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 千葉県 |
郡 | 印旛郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 17.30 km2 |
総人口 |
4,763人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 印旛郡志津村、宗像村、船穂村、千葉郡大和田町、犢橋村、睦村 |
阿蘇村役場 | |
所在地 | 千葉県印旛郡阿蘇村米本 |
座標 | 北緯35度45分20秒 東経140度06分50秒 / 北緯35.75561度 東経140.11394度座標: 北緯35度45分20秒 東経140度06分50秒 / 北緯35.75561度 東経140.11394度 |
ウィキプロジェクト |
位置・地勢
編集印旛郡の西部(西端)に位置し、千葉郡に接する。東西約3.5 km、南北約7.3 km。地勢は、南から北に向かい漸々と傾斜するも概ね平坦である。
水系
編集西方の千葉郡界に新川(平戸川)が流れ印旛沼に注ぐ。米本に平澤池、村上に黒澤池あり。印旛沼および新川は船運と漁業に水利あって、秋冬には小蝦を網し食用とする。夏秋には沿岸の農民小舟で棹さし藻類を掻取って肥料と為す。
歴史
編集印東荘。幕藩体制下では一貫して佐倉藩領。堀田氏。全村で約2400石。廃藩置県後は佐倉県、印旛県、千葉県隷下と順に移行する。明治42年、帝国在郷軍人会佐倉支部阿蘇分会発足。大正9年、梨栽培が始まる。昭和7年、阿蘇村振興会発足。
沿革
編集戸口
編集地域
編集米本区
編集よなもと。
- 主な小字 - 上宿、下宿、内宿、邊田、逆水、平戸口、砂戸、稲荷前。
下市場区
編集- 主な小字 - 臺町、下町。
村上区
編集むらかみ。昭和に入り分区し「村上2区」を置く。勝田台北を含む。
- 主な小字 - 宮内、宮山、中郷、實喜作、持田臺。
神野区
編集かの。
- 主な小字 - 宮下。
保品区
編集ほしな。
- 主な小字 - 南、郷、須賀。
下高野区
編集しもこうや。
- 主な小字 - 山の越。
上高野区
編集かみこうや。
- 主な小字 - 殿臺、上高野原、毘砂。
産業
編集農業490戸、商業53戸、工業47戸(明治42年)。穀類・豆類・蔬菜類および果物を生産する。大なる商店なく全て兼業。工業は醤油および粕である。蚕業は年々隆盛し昭和初期まで続く。桑畑50反あって繭生産高は明治末に300石に達す。漁業は、村内の印旛沼から鯉鯰鰻鱒鮒蝦などあるが専業なし。
官公署
編集村役場
編集米本区。初め、民家を徴し戸長役場にて戸長筆生が事務を執るも、町村制発布されこれを廃し、村長1助役1収入役1および書記2を置く。初代村長・山崎右源太。八千代町編入後は阿蘇連絡所として平成期まで存続した。現況は空き地。
警察
編集佐倉警察署千代田分署阿蘇駐在所(米本区)にて警察事務を執行する。巡査1。
衛生
編集公衆衛生に資するため隔離病舎を設ける(米本区字平澤)。委託診療所にて五十日に出張診療あり。
村会
編集郵便
編集教育
編集- 阿蘇尋常高等小学校(米本区) - 明治6年開設、米本小。明治20年、米本尋常小。明治22年、阿蘇尋常小。明治44年、阿蘇尋常高等小。昭和22年、村立阿蘇小。昭和29年、八千代町立阿蘇小。
- 村上尋常小学校(村上区)
- 阿蘇中学校(米本区) - 昭和22年新制
- 青年団
阿蘇村青年団および阿蘇村女子青年団を置いて、青年層を組織化した。
- 夜学会