關三十郎 (4代目)
幕末から明治初期の歌舞伎役者
四代目 關三十郞(せき さんじゅうろう、新字体:関 三十郎、1838年(天保9年) - 1889年(明治22年)7月10日)は、幕末から明治初期の歌舞伎役者。屋号は尾張屋。俳名に中車・歌山・黄雀など。本名は關 喜兵衛(せき きへえ)。
五代目市川八百蔵(三代目關三十郎)の養子となり、幼名を花助。最初は關花助の名で江戸で若衆形で舞台に出る。文久2年(1862年)に六代目市川八百蔵を襲名。明治3年(1870年)に養父が死去。その後はドサ廻りが続く。明治6年(1873年)3月に東京村山座で四代目關三十郎を襲名。実悪を得意とし、世話物、時代物をこなした。
子に五代目關三十郎がいる。