近藤瓶城

幕末・明治期の漢学者、儒学者

近藤 瓶城(こんどう へいじょう、天保3年2月19日1832年3月21日) - 明治34年(1901年7月19日)は幕末明治時代日本漢学者。本姓は安藤。名は宗元。字は君元。通称は圭造、元三郎[1]。別号は省斎。三河国岡崎藩の儒学者[1]。維新後、藩校允文館学監などをつとめ[2]、のち『群書類従』に未収録の史籍の刊行をめざし東京に近藤活版所をつくる[2]。1881年(明治14年)から全538巻の『史籍集覧』を出版した[2]。『続史籍集覧』(1893-1898年刊行の続編)、『存採叢書』(1885年) も刊行した。自著に『日本史記』がある。

墓所は染井霊園1-ロ-8-4。

著作

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単著

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編纂

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参考文献

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  • 大久保久雄「近藤瓶城と『史籍集覧』」『出版研究』第3巻、1972年、56-89頁、doi:10.24756/jshuppan.3.0_56 

脚注

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  1. ^ a b 『岡崎』岡崎市、1925年9月、142頁。NDLJP:1900602/108 
  2. ^ a b c 近藤瓶城』 - コトバンク