軽井沢高原文庫
長野県軽井沢町の軽井沢タリアセンにある文学館
軽井沢高原文庫(かるいざわこうげんぶんこ)は、長野県軽井沢町の軽井沢タリアセンにある文学館。堀辰雄、室生犀星をはじめとする軽井沢にゆかりがある近代文学者の資料を展示し紹介する。1985年8月に開館。全国文学館協議会加盟。
軽井沢高原文庫 | |
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施設情報 | |
正式名称 | 軽井沢高原文庫 |
事業主体 | 軽井沢タリアセン |
管理運営 | 軽井沢タリアセン |
開館 | 1985年 |
所在地 |
〒〒389-0111 長野県北佐久郡軽井沢町長倉202-3 |
位置 | 北緯36度19分38.3秒 東経138度35分49.7秒 / 北緯36.327306度 東経138.597139度座標: 北緯36度19分38.3秒 東経138度35分49.7秒 / 北緯36.327306度 東経138.597139度 |
外部リンク | 軽井沢高原文庫 |
プロジェクト:GLAM |
施設
編集- 堀辰雄山荘「1412番山荘」 - 旧軽井沢釜の沢から移築。彼の小説「美しい村」に登場する。1941年に堀辰雄が購入して1944年まで夏の別荘として使用。後年、画家の深沢省三、深沢紅子夫妻が夏の別荘として使用した。
- 野上弥生子書斎兼茶室 - 北軽井沢の法政大学村から移築。1933年(昭和8年)築
- 浄月庵 - 有島武郎の旧別荘。木造二階建てで、旧軽井沢の三笠(武郎の妹の嫁ぎ先山本直良家敷地)にあった。有島は1916年(大正5年)から毎夏この別荘で過ごし、1918年(大正7年)に『生まれ出ずる悩み』を執筆[1]。1923年(大正12年)に波多野秋子とともに、1階中央十畳ほどの応接室にて縊死した[2]。この情死後、地元青年会が譲り受けて移築、天井の太梁を抜くなどして情死の跡を取り去り、戦争直後は引揚者の仮宿としても賑わった[3]。現在1階はカフェ、2階は有島武郎記念館になっている[1]。
- 立原道造詩碑
- 中村真一郎文学碑
歴代館長
編集利用情報
編集- 開館時間:午前9時~午後5時
- 所在地 - 〒389-0100 長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉字塩沢
交通アクセス
編集周辺情報
編集- 軽井沢タリアセン - 軽井沢高原文庫、ペイネ美術館、深沢紅子野の花美術館
- ムーゼの森 - 軽井沢絵本の森美術館、エルツおもちゃ博物館
- 風越公園 - 風越アリーナ、スカップ軽井沢
脚注
編集- ^ a b 軽井沢高原文庫の浄月庵信州
- ^ 「近代恋愛物語50」(平凡社)
- ^ 『花を投げた女たち』永畑道子、文芸春秋、1990年、p164
外部リンク
編集- ウィキメディア・コモンズには、軽井沢高原文庫に関するカテゴリがあります。
- 軽井沢高原文庫
- 軽井沢タリアセンにようこそ