軍令部総長
大日本帝国海軍軍令部の長
(軍令部長から転送)
軍令部総長(ぐんれいぶそうちょう)は、大日本帝国海軍の軍令部(海軍軍令部)の長。現在の海上自衛隊海上幕僚長に相当する。
1933年(昭和8年)の軍令海第5号軍令部令により海軍軍令部長から軍令部総長に改名されたが、所属を明確化するために海軍軍令部総長とも呼ばれた。
歴代軍令部総長
編集代 | 画像 | 姓名 | 就任時
階級 |
出身 | 海兵・海大
卒業期 |
就任 | 備考 | 次長 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 仁礼景範 | 海軍少将 | 鹿児島 | 草創 | 1886年(明治19年)3月16日 | 海軍軍令部長から参謀本部次官、
更に参謀本部海軍部長に改称。 |
||
2 | 伊藤雋吉 | 海軍少将 | 京都 | 草創 | 1889年(明治22年)3月8日 | 海軍参謀部長に改称。 | ||
3 | 有地品之允 | 海軍少将 | 山口 | 草創 | 1889年(明治22年)5月17日 | |||
4 | 井上良馨 | 海軍少将 | 鹿児島 | 草創 | 1891年(明治24年)6月17日 | |||
5 | 中牟田倉之助 | 海軍中将 | 佐賀 | 草創 | 1892年(明治25年)12月12日 | 海軍軍令部長に改称。 | ||
6 | 樺山資紀 | 海軍中将 | 鹿児島 | 草創 | 1894年(明治27年)7月17日 | |||
7 | 伊東祐亨 | 海軍中将 | 鹿児島 | 草創 | 1895年(明治28年)5月11日 | 諸岡頼之 伊集院五郎 上村彦之丞 出羽重遠 伊集院五郎 | ||
8 | 東郷平八郎 | 海軍大将 | 鹿児島 | 草創 | 1905年(明治38年)12月20日 | 伊集院五郎 三須宗太郎 | ||
9 | 伊集院五郎 | 海軍中将 | 鹿児島 | 海兵5期 | 1909年(明治42年)12月1日 | 藤井較一 | ||
10 | 島村速雄 | 海軍中将 | 高知 | 海兵7期 | 1914年(大正3年)4月22日 | 山下源太郎 佐藤鉄太郎 山屋他人 竹下勇 | ||
11 | 山下源太郎 | 海軍大将 | 山形 | 海兵10期 | 1920年(大正9年)10月1日 | 安保清種 加藤寛治 堀内三郎 斎藤七五郎 | ||
12 | 鈴木貫太郎 | 海軍大将 | 千葉 | 海兵14期
海大1期 |
1925年(大正14年)4月15日 | 斎藤七五郎 | ||
13 | 加藤寛治 | 海軍大将 | 福井 | 海兵18期 | 1929年(昭和4年)1月22日 | 末次信正 | ||
14 | 谷口尚真 | 海軍大将 | 広島 | 海兵19期
海大3期 |
1930年(昭和5年)6月11日 | 永野修身 百武源吾 | ||
15 | 伏見宮博恭王 | 海軍大将 | 皇族 | 独海大
(18期相当[1]) |
1932年(昭和7年)2月2日 | 軍令部総長に改称。 | 高橋三吉 加藤隆義 嶋田繁太郎 古賀峯一 近藤信竹 | |
16 | 永野修身 | 海軍大将 | 高知 | 海兵28期
海大8期 |
1941年(昭和16年)4月9日 | 近藤信竹 伊藤整一 | ||
17 | 嶋田繁太郎 | 海軍大将 | 東京 | 海兵32期
海大13期 |
1944年(昭和19年)2月21日 | 塚原二四三 | ||
18 | 及川古志郎 | 海軍大将 | 岩手 | 海兵31期
海大13期 |
1944年(昭和19年)8月2日 | 塚原二四三 小沢治三郎 | ||
19 | 豊田副武 | 海軍大将 | 大分 | 海兵33期
海大15期 |
1945年(昭和20年)5月29日 | 1945年(昭和20年)10月15日、
軍令海第8号により廃止。 |
大西瀧治郎 高柳儀八 |