賀集正三
日本の将棋棋士
賀集 正三(かしゅう しょうぞう、1932年2月12日 - 2017年9月6日)は、将棋棋士。1970年、引退。角田三男八段門下。棋士番号は70。
賀集正三 七段 | |
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名前 | 賀集正三 |
生年月日 | 1932年2月12日 |
没年月日 | 2017年9月6日(85歳没) |
プロ入り年月日 | 1956年1月22日(23歳) |
引退年月日 | 1970年3月31日(38歳) |
棋士番号 | 70 |
出身地 | 兵庫県三原郡(現・南あわじ市) |
所属 | 日本将棋連盟(関西) |
師匠 | 角田三男八段 |
弟子 | 前田祐司、西川慶二、平藤眞吾 |
段位 | 七段 |
棋士DB | 賀集正三 |
戦績 | |
一般棋戦優勝回数 | 2回 |
順位戦最高クラス | C級2組 |
2017年9月19日現在 |
棋歴
編集1956年、四段昇段(プロ入り)。
第9回(1965年)古豪新鋭戦で優勝。
プロ入りから14年後の1970年に四段のまま引退する。
日本将棋連盟関西本部の普及部を長く担当。また、自宅教室、出張先のクラブ、団体等での指導、町の文化委員を務めるなど、将棋の普及活動に広く尽力[1]。
棋風
編集中盤から終盤まで押しつ押されつの攻防が特徴的な棋風である。
弟子
編集棋士となった弟子
編集名前 | 四段昇段日 | 段位、主な活躍 |
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前田祐司 | 1975年7月29日 | 九段 |
西川慶二 | 1981年11月3日 | 八段 |
平藤真吾 | 1991年4月1日 | 七段 |
(2018年4月1日現在)
昇段履歴
編集主な成績
編集棋戦優勝
編集- 古豪新鋭戦 1回(1965年 = 第9回)
- 東西対抗勝継戦 1回(1966年)
- 優勝合計2回
在籍クラス
編集→竜王戦と順位戦のクラスについては「将棋棋士の在籍クラス」を参照
開始 年度 |
順位戦 出典[3]
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竜王戦 出典[4]
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期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 決勝 T |
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1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||||
1956 | 11 | C218 | ||||||||||||||||
1957 | 12 | C203 | ||||||||||||||||
1958 | 13 | C210 | ||||||||||||||||
1959 | 14 | C211 | ||||||||||||||||
1960 | 15 | C203 | ||||||||||||||||
1961 | 16 | C207 | ||||||||||||||||
1962 | 17 | C208 | ||||||||||||||||
1963 | 18 | C209 | ||||||||||||||||
1964 | 19 | C215 | ||||||||||||||||
1965 | 20 | C208 | ||||||||||||||||
1966 | 21 | C205 | ||||||||||||||||
1967 | 22 | C211 | ||||||||||||||||
1968 | 23 | C211 | ||||||||||||||||
1969 | 24 | C217 | ||||||||||||||||
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 |