豊受大神宮

三重県伊勢市豊川町にある神社

豊受大神宮(とようけだいじんぐう、とゆうけだいじんぐう)は、三重県伊勢市豊川町にある神社伊勢神宮の2つの正宮のうちの1つである。一般には外宮(げくう)と呼ばれる。式内社(大社)。

豊受大神宮
外宮正宮
所在地 三重県伊勢市豊川町279番地
位置 北緯34度29分14.05秒 東経136度42分10.53秒 / 北緯34.4872361度 東経136.7029250度 / 34.4872361; 136.7029250 (豊受大神宮)座標: 北緯34度29分14.05秒 東経136度42分10.53秒 / 北緯34.4872361度 東経136.7029250度 / 34.4872361; 136.7029250 (豊受大神宮)
主祭神 豊受大御神
社格 式内社(大)
正宮
創建 雄略天皇22年
本殿の様式 唯一神明造
別名 外宮
札所等 神仏霊場巡拝の道特別参拝
主な神事 伊勢神宮の祭事を参照
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概要

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伊勢市街地、JR近鉄伊勢市駅から外宮参道を通って5 - 6分ほど歩いた所に鎮座する[1]皇大神宮(内宮)とともに正宮を構成し、両宮を参拝する際は外宮を参拝した後に内宮へ参るのがしきたりとされる[2]

伊勢の中心にありながら、境内は平清盛勅使として参った時ににそのが触れたとされる古木「清盛楠」[2]や、初夏には三重県花ハナショウブが咲き乱れる「勾玉池」[3]などの自然が豊富に残され、非日常空間を形成する[2]

境外には伊勢の中心業務地区(CBD)かつ鳥居門前町の本町があり、伊勢市観光協会がここに本部を構える。外宮参道や駅前通り界隈には土産物店・旅館銀行や大手企業の支社・支店が混在している。

建物は皇大神宮と同様に外側から板垣・外玉垣・内玉垣・瑞垣の四重垣に囲まれ、南北の門に宿衛屋が置かれている。建物は神宮衛士が交代勤務で24時間、警備・管理を行っている[4]

神徳は「豊受大御神はお米をはじめ衣食住の恵みをお与えくださる産業の守護神です」[5]とされている。

祭神

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主祭神
倭姫命世記』によると、御神体は真経津鏡である。
相殿神
御伴神(みとものかみ)三座。東に一座、西に二座を祀る[6]天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほににぎのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、太玉命(ふとだま)の三座とする見解もある[6]

歴史

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外宮の鎮座の由来について、『古事記』・『日本書紀』の両書には記載がない[7]。804年(延暦23年)に編纂された社伝『止由気宮儀式帳』によれば、雄略天皇の夢に天照大御神内宮祭神)が現れ[7]、「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の等由気大神(とようけのおおかみ)を近くに呼び寄せるように」と神託した。『止由気宮儀式帳』にはそれが何年のことであるという記述はないが、『大神宮諸雑事記』の第一「雄略天皇」の条に「即位廿一年丁巳」、すなわち雄略天皇21年とある[8]。この神託を受け雄略天皇22年7月7日 (旧暦)、内宮に近い「伊勢国度会の郡、沼木の郷、山田の原」の地に豊受大御神を迎えて祀った[8]。外宮の鎮座は内宮の鎮座から484年後のことであるという記述があるが、天皇の在位期間を機械的に西暦に当てはめて計算すると[9]、その年数が一致しない[8]延喜式神名帳には「度会宮 四座」と記載され、大社に列している。

代々度会氏神職として奉職したが、中世には度会家行が、豊受大神は天之御中主神国常立神と同神であり、外宮は内宮よりも立場が上であるとする伊勢神道(度会神道)を唱えた。また、門前町として山田が形成された。

明治以降

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1876年の伊勢暴動の際には、中島・浦口・常盤・大世古といった町が炎上し、外宮でも防御態勢を取ったが、破壊や放火といった被害は受けずに済んだ[10]。1945年1月14日午後2時53分[11]、外宮の神域に5か所6発の爆弾が投下され、五丈殿・九丈殿・神楽殿・斎館で被害が発生した[12]。その被害は軒先と戸障子の破損や板塀の倒壊、屋根に数か所の穴が開いた程度で軽微であった[13]。7月28日から7月29日の宇治山田空襲では、御垣内にも焼夷弾が降り注いだが、御垣内が火に包まれることはなかった[14]。後に外宮宮域から搬出された焼夷弾の残骸はトラック3台分にも及んだという[14]

境内

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正宮は、正殿・西宝殿・東宝殿の3つからなる[3]が、幾重に板垣が巡らされており、拝所からは直接見ることはできない。正殿の背後には御饌殿(みけでん)と外幣殿(げへいでん)が並ぶ[3]。正宮の隣には次の神宮式年遷宮の際に正宮が建てられる御敷地(みしきち)がある[3]。この御敷地は、前回の式年遷宮の時に正宮が置かれていた土地であることから「古殿地」とも称する。

社地の面積は内宮の10分の1ほどで、内宮と異なり左側通行である[15]。境内には多賀宮(たかのみや)、風宮(かぜのみや)、土宮(つちのみや)の3つの別宮(べつぐう、正宮に次ぐ高位の宮)を始め、斎館、神楽殿、神々の食事を調製する忌火屋殿(いみびやでん)、神酒を納めた御酒殿(みさかどの)などの建物があり、外宮の境界を守る四至神(みやのめぐりのかみ)[2]が大庭(おおば)の前に祀られている[16]。北御門口鳥居から北西に伸びる道を進むと、伊勢市を含む度会郡の守護神を祀る摂社の度会国御神社、更にその奥に五十鈴川河口を守る末社の大津神社が鎮座する[3]。同じ境内にありながら、直接的に境内の参道ではつながっておらず、一度御木本道路(三重県道32号伊勢磯部線)に出る必要のある神社として、度会大国玉比賣神社伊我理神社、井中神社がある[17]

摂末社

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外宮別宮

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別宮(べつぐう)は「正宮のわけみや」の意味で、神宮の社宮のうち正宮に次いで尊いとされる[18]。計4宮[18]

外宮摂社

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摂社(せっしゃ)は、正宮、別宮を除いた『延喜式神名帳』に記載されている神社。定義では摂社は全て式内社となるが、戦国時代にほぼすべてが廃絶となり、江戸時代寛永年間(1630年代)から明治初頭(1870年代)にかけて復興されたため、式内社の比定地とされる場合がある[19]。計16社。

外宮末社

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末社(まっしゃ)は、正宮、別宮、摂社を除いた『延暦儀式帳』に記載されている神社。計8社。

外宮所管社

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所管社(しょかんしゃ)は、正宮・別宮・摂社・末社以外の神社。計4社。

祭事

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伊勢神宮における祭儀は、「外宮先祭」として皇大神宮(内宮)より先に外宮で行うが、神宮式年遷宮に関しては内宮を先とする習わしがある[20]

日別朝夕大御饌祭

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日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)。毎日午前8時から午前9時までにかけての朝大御饌、午後3時から午後4時までにかけての夕大御饌の毎日2回、外宮御饌殿において御饌を供えて行う神事常典御饌とも呼ばれる。豊受大神宮の斎館にて前日から潔斎していた権禰宜が、外宮の「忌火屋殿」において火錐具を用いて錐り出す「忌火」とよび、神聖とされる火を使用して、同じく前日から潔斎していた神職が調理した御飯(おんいい)(蒸飯)3盛、上御井神社の神水、御塩(みしお)、干鯛(季節により、スルメカマスムツ)、乾鰹、海藻、野菜、果物、清酒3献を、禰宜、権禰宜、宮掌各1名、出仕2名が「御饌殿」において、天照皇大神と豊受大御神と、天手力男神万幡豊秋津姫命、相御伴神三座に奉る祭典。

神饌としての御塩を御塩殿神社から、外宮に運ぶ際に使う御塩道が定められており、また、御塩の豊受大神宮斎館への輸送のためだけに用いられる橋として「御塩橋」が外宮の宮域にある。

米は伊勢市内の「神宮神田」、野菜は伊勢市内の「神宮御園」で造られるなど、神宮の神饌は自給自足を旨としているだけでなく、祭具としての土器も多気郡明和町にある土器調製所で造られている。

神馬

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神馬の見参[21]

外宮では皇室から奉納された2頭の神馬を飼育しているが、[22]神馬が退落(死亡)してしまった場合は神馬が新たに奉納されるまでは2頭でない時期が生じる。退落した神馬は専用の墓所に葬られ、新たに奉納された神馬は牽進式が執り行われる。お祓いを受けた後に神馬を正宮の垣内に参入させ神職が祝詞を奏上、新しい神馬の奉納を神前に報告する[23]

神馬は御厩(みうまや)にいることもあるが、天候や神馬の体調によりいない場合もある[24]。地元では「お馬さま」と敬称で呼ばれ、写真を撮影されても動じることはない[25]が、ストロボ撮影は禁止されている。

毎月1日・11日・21日には正宮へ参拝する「神馬牽参」(しんめけんざん)が行われる[22]。午前8時前後、神職に伴われ神馬が正宮前へ進み、正宮にお辞儀をする[26]のが通例であるが、雨天の場合や神馬が進もうとしない場合などは見送られることがある。神馬牽参の際、神馬は菊の御紋が入った馬衣(うまぎぬ)を身に付ける[22]

内宮でも外宮同様に2頭の神馬が飼育され、同日に神馬牽参を行う[22]

現地情報

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外宮付近の空中写真。1983年撮影。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

所在地

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交通

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鉄道

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バス

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  • 三重交通で「外宮前」バス停下車 (下車後徒歩すぐ)
  • 三重交通「伊勢市駅前」バス停下車 (下車後徒歩5分)

自家用車

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補足事項

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  • 外宮から内宮へは、徒歩で約50分(バス運行あり)

付属施設

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  • せんぐう館
 
せんぐう館
2012年4月7日に開館した式年遷宮に関する資料館[28]。外宮境内、勾玉池のほとりに建ち、外宮正殿や外宮宮域の模型などの展示やシアターや映像資料も備える[28]。地上1階地下1階鉄筋コンクリート造一部鉄骨造、延床面積は2,440m2、総工費は25億円である[28][29]。館内には休憩舎や奉納舞台も備える[29]
開館以来、1日平均2,000人の入館者がおり、予想を上回る早さで5月に5万人を達成[30]、8月6日には10万人に達し、外宮参拝者増加にも寄与している[31]
2017年10月22日に、台風21号によって隣接する勾玉池が氾濫して水が流れ込み、地下の展示室が水没したほか、1階の展示室や事務室が浸水し電気系統・空調設備などにも被害が出た[32]。そのため、2年に渡る休館を余儀なくされた(休館中も、無料の休憩所部分は利用可能だった)。その後、改修(外壁や床材の入れ替え、水害対策として外周を囲む高さ1.2メートルの止水壁・出入口ほか6個所への止水扉等の設置)や勾玉池の展望デッキ(フリーWi-Fi)の新設を経て[33]、2019年11月7日にリニューアル開館した[34][35]

周辺

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  • 高倉山 - 外宮宮域の山域の総称。古くは式年遷宮の用材を供給する御杣山であった

脚注

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  1. ^ 伊勢文化舎 編(2008):32ページ
  2. ^ a b c d 伊勢文化舎 編(2009):98ページ
  3. ^ a b c d e 伊勢文化舎 編(2009):99ページ
  4. ^ 『一般人は入れない立入禁止地帯』, 歴史ミステリー研究会, 彩図社, 2011年
  5. ^ 火除橋の手前の看板による
  6. ^ a b 三橋(2013):128ページ
  7. ^ a b 三橋(2013):93ページ
  8. ^ a b c 三橋(2013):94ページ
  9. ^
  10. ^ 金子(1983):214 - 215ページ
  11. ^ 日本の空襲編集委員会 編(1980):239ページ
  12. ^ 西垣・松島(1974):247ページ
  13. ^ 中村尚徳 (2012年8月18日). “【5】戦意高揚へ誇大発表”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞. 2015年1月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月25日閲覧。
  14. ^ a b 矢野(2006):184ページ
  15. ^ 矢野(2006):46 - 47ページ
  16. ^ 矢野(2006):47ページ
  17. ^ 伊勢文化舎(2008):37ページ
  18. ^ a b 伊勢市観光協会/別宮”. 伊勢市観光協会. 2015年2月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月10日閲覧。
  19. ^ 櫻井勝之進 『伊勢神宮』
  20. ^ 式内社研究会 編(1990):150ページ
  21. ^ 『月の初めはお伊勢さんで 朔日参りのご案内』神宮会館』2015年4月22日閲覧。
  22. ^ a b c d JTBパブリッシング(2011):140ページ
  23. ^ 『10月 1日  御馬牽進式(みうまけんしんしき)が斎行される』伊勢神宮2015年4月22日閲覧。
  24. ^ 出版事業本部 国内情報部 第三編集部 編(2014):17ページ
  25. ^ 主婦の友社 編(2011):24, 81, 87ページ
  26. ^ 主婦の友社 編(2011):87ページ
  27. ^ 三重県観光連盟『三重バリアフリーレジャーガイド【伊勢志摩】おかげ横丁
  28. ^ a b c "式年遷宮の意義を未来へ 4月7日オープン 勾玉池のほとりに「せんぐう館」"伊勢志摩ホームニュース2012年3月17日付、2ページ
  29. ^ a b 伊勢志摩経済新聞"外宮「せんぐう館」オープン-伊勢神宮の「形」ではない「目に見えないもの」を展示"2012年4月8日(2012年6月22日閲覧。)
  30. ^ 伊勢商工会議所女性部"伊勢商工会議所女性部 - せんぐう館視察研修"2012年5月31日(2012年6月22日閲覧。)
  31. ^ 中平雄大"「せんぐう館」来館者10万人突破"<ウェブ魚拓>中日新聞2012年8月7日(2012年8月30日閲覧。)
  32. ^ 台風21号 伊勢神宮の「せんぐう館」で浸水被害”. 毎日新聞 (2017年10月24日). 2018年6月30日閲覧。
  33. ^ 伊勢 せんぐう館きょう再開 2年前の台風で浸水 三重”. 伊勢新聞 (2019年11月7日). 2019年11月10日閲覧。
  34. ^ 「せんぐう館」の復旧完了 伊勢・外宮、関係者ら再開祝う 三重”. 伊勢新聞 (2019年11月8日). 2019年11月10日閲覧。
  35. ^ 高橋信 (2019年11月8日). “せんぐう館が復活オープン 開館前に列、一時入場制限”. 中日新聞. 2019年11月10日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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