諏訪博
諏訪 博(すわ ひろし、1915年(大正4年)6月11日 - 1989年(平成元年)12月9日)は、日本の実業家。北海道小樽市出身。TBS[2]社長などを歴任した。
すわ ひろし 諏訪 博 | |
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生誕 |
1915年6月11日 北海道小樽市 |
死没 | 1989年12月9日(74歳没) |
死因 | 前立腺ガン |
出身校 | 慶應義塾大学経済学部 |
職業 | 実業家 |
栄誉 | 勲二等旭日重光章(1985年)、マスコミ功労者顕彰(1991年)[1] |
来歴・人物
編集小樽中学校(現・北海道小樽潮陵高等学校)、慶應義塾大学経済学部卒業後、国際電気通信に入社。
1951年(昭和26年)、TBSの前身であるラジオ東京の設立に参加。ラジオ編成部長、テレビ演出部長、テレビ営業局長、1964年(昭和39年)11月常務を歴任。1969年(昭和44年)11月28日社長に昇格、1977年(昭和52年)6月29日会長に退き、山西由之に社長を譲る。
1983年(昭和58年)相談役、1986年(昭和61年)山西が死去したため3月25日会長に復帰し、1989年(平成元年)6月29日特別顧問。
不朽の名作ドラマ『私は貝になりたい』の演出を手掛け、「ドラマのTBS」の基礎を築いた。また広告契約の「個別セールス」方式を開発したほか、大阪ネットワーク局の朝日放送[3]から毎日放送[4]へのネットチェンジなどテレビ局の経営近代化にも尽力した[1]。晩年は放送番組センター会長として、番組保存に力を注いだ[1]。
1989年(平成元年)12月9日、前立腺ガンのため74歳で死去。
著書
編集- 『一葦の記―私の民放営業三十年』TBSブリタニカ、1981年1月。ISBN 978-4484000749