藤田雄山
藤田 雄山(ふじた ゆうざん、1949年(昭和24年)4月19日 - 2015年(平成27年)12月18日[1])は、日本の政治家。参議院議員、広島県知事(第59、60、61、62代)[2]。
藤田 雄山 ふじた ゆうざん | |
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生年月日 | 1949年4月19日 |
出生地 | 広島県広島市 |
没年月日 | 2015年12月18日(66歳没) |
死没地 | 広島県広島市 |
出身校 | 慶應義塾大学商学部 |
所属政党 |
(自由民主党→) 無所属 |
称号 |
正四位 旭日重光章 |
親族 |
父・藤田正明(参議院議員) 祖父・大原博夫(広島県知事、衆議院議員) |
選挙区 | 広島県選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1989年7月24日 - 1993年11月10日 |
公選第6代 広島県知事 | |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1993年11月29日 - 2009年11月28日 |
1989年、参院選に自民党から立候補し当選[3]。任期途中の1993年に広島県知事選に44歳で初当選、当時全国最年少の知事に就任[3]。4期16年務めた[3]。参議院議長を務めた藤田正明の長男[4]。
経歴
編集広島県広島市翠町(現:南区翠)出身。父親の藤田正明は藤田組(現:フジタ)に勤務(後に同社副社長)[4]。 1949年4月19日、三男一女を持つ4人兄弟姉妹の長男として誕生。
修道高等学校から成蹊高等学校に転入。1972年3月、慶應義塾大学商学部卒業[5]。1972年4月、三井物産に入社[5]。
参議院議員の父・正明の秘書を務め、1989年の父の後継者として参議院選挙に立候補し初当選、参議院議員になる。
1993年の広島県知事選挙に出馬し初当選し公選第6代広島県知事に就任。戦後生まれ4人目で当時全国最年少の44歳での知事就任だった[3]。知事として、地方分権改革に取り組み、県内市町村の合併を積極的に推進した[1]。
2006年に政治資金パーティーの収入を過小申告したとして後援会元事務局長が政治資金規正法違反で有罪判決を受ける。また2007年には1997年の広島県知事選挙時に広島県議員に裏金が渡った容疑が浮上し自民党の一部会派との対立を深め、2006年12月と2007年3月に広島県議会から知事辞職勧告決議を受けた。
2009年4月に自らの健康問題も発覚し、健康診断で直腸がんと診断され腫瘍の摘出手術を受けた[6]。同年6月8日に公務へ復帰したが5期目の知事選は目指さず引退した。引退後、日本赤十字社広島県支部の支部長を務めた[7]。2015年(平成27年)12月18日、広島市南区の県立広島病院で誤嚥性肺炎のため死去した[1]。66歳没[1]。
政策
編集不祥事
編集知事交際費問題
編集2001年6月、藤田知事が自民党議員会の役員14人と料亭で会食した際、その費用48万円の支払に知事交際費を充てたことについて、広島地方裁判所は「会合は合理的な必要性が認められない」として全額返還を命じる判決を下した。
後援会事件
編集2005年、自身の後援会が政治資金パーティーの収入額を実際よりも過少申告したとして、後援会幹部が政治資金規正法違反(虚偽申告)の疑いで逮捕された(後に有罪が確定)[8]。県議会では、藤田に対し辞職勧告決議案が2度(2006年12月と2007年3月)可決されたが、勧告に法的拘束力はなく、藤田は知事辞職を拒否した[8]。2007年7月、法的拘束力を有する不信任案が県議会に提出されたが、26対39で否決された[8]。 2007年4月に行われた広島県議会選挙で藤田陣営から金銭を送られたと中国新聞に実名で報道された[9]県議会議員が多数落選したため、広島県政史上自民党系の県議の数が最も少なくなった。
発言
編集評価
編集家族・親族
編集- 藤田家
建設会社のフジタは広島県賀茂郡中黒瀬村字大多田(現・東広島市黒瀬町)の農家に生まれた藤田一郎と定市(正明の父、雄山の祖父)の兄弟が広島市で行っていた土木建築請負業に始まる[10][11]。
- 祖父・定市[12][13](1889年 - 1973年、実業家、フジタ工業会長、広島商工会議所会頭)[11] - 住所は広島市翠町[13]、東京都渋谷区元代々木町。
- 祖母・マサノ(1900年 - ?、広島、湯川又一の長女)[12][13]
- 父・正明[12][13](1922年 - 1996年、実業家、政治家・参議院議員[11]) - 住所は広島市南区翠町、東京都渋谷区元代々木町[14]。
- 母(広島、大原博夫の三女)[11]
- 弟
- 妻(佐藤進の長女)[11]
- 子
- 親戚
略歴
編集- 1972年4月 - 三井物産入社[5]( - 1982年)。
- 1982年9月 - 参議院議員(父・正明)秘書に。
- 1989年7月 - 参議院選挙に立候補。初当選。
- 1993年11月 - 広島県知事選挙に立候補。初当選(当時、44歳、最年少の知事)[3]。
- 1995年 - ベストドレッサー賞(政治・経済部門)受賞。
- 1997年11月9日 - 知事選で再選。
- 2001年11月4日 - 知事選で3選(無所属、自・民・公・由・保推薦)。
- 2005年11月6日 - 知事選で4選(無所属、自・公・国民新党推薦)。
- 2006年12月18日 - 県議会、知事辞職勧告決議を可決。
- 2007年3月18日 - 県議会から2度目の辞職勧告決議。
- 2009年
- 2015年12月18日 - 死去。同日付で叙正四位、旭日重光章[15]。
兼職役職一覧
編集- (社)日本住宅協会理事
- (財)広島県水泳連盟会長
脚注
編集- ^ a b c d “前広島県知事・藤田雄山さん死去”. 朝日新聞デジタル (2015年12月18日). 2015年12月18日閲覧。
- ^ 広島県歴代知事広島県ホームページ、2015年12月23日閲覧。
- ^ a b c d e “藤田雄山氏が死去 元参院議員、元広島県知事”. 日本経済新聞電子版 (日本経済新聞社). (2015年12月18日) 2015年12月23日閲覧。
- ^ a b 藤田 正明とは - コトバンク
- ^ a b c 第5回 内分泌攪乱化学物質問題に関する国際シンポジウム報告2015年12月23日閲覧。
- ^ “広島県の藤田知事が今期引退へ/健康不安、多選批判で” (2009年6月24日). 2019年12月6日閲覧。
- ^ a b c 藤田雄山前知事が死去NHK 広島 NEWS WEB - NHKオンライン(2015年12月18日)。2015年12月23日閲覧。
- ^ a b c “藤田県政 16年の光と影 知事と会派の距離変遷 <下>”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2009年6月27日) 2012年12月22日閲覧。
- ^ “裏金疑惑元県議の申し立て認めず 中国放送報道で放送人権委”. 共同通信社. 47NEWS. (2008年12月3日) 2012年12月22日閲覧。
- ^ 『建設界の新しい波 藤田組(企業の現代史26)』32 - 33頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年9月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『豪閥 地方豪族のネットワーク』89-90頁。
- ^ a b c d 『人事興信録 第13版 下』フ65頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年6月29日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第15版 下』フ17頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月16日閲覧。
- ^ 『政治家人名事典』456頁。
- ^ 平成28年1月26日官報
参考文献
編集関連項目
編集公職 | ||
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先代 竹下虎之助 |
広島県知事 公選第13 - 16代:1993年 - 2009年 |
次代 湯崎英彦 |