藤永田造船所
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藤永田造船所(ふじながたぞうせんじょ)は、かつて大阪府大阪市にあった民間造船所。日本最古の造船所と言われ、日本海軍の艦艇や鉄道車両を製造していた。
沿革
編集元禄2年(1689年)3月、大坂堂島船大工町(現・大阪市北区堂島1丁目)に船小屋「兵庫屋」として創業。安政元年(1854年)、紀州藩の御座船を受注したことを受け、江之子島敷屋町(現・西区江之子島1丁目)に移転する。
開国以後、西洋式船舶である君沢型スクーナー船、木造外輪汽船の建造に取り組み、近代的造船所に脱皮した。1874年(明治7年)、西成郡岩崎新田(現・西区千代崎3丁目)に移転して藤永田造船所に社名を変更する。1884年(明治17年)、大正区新炭屋町(現・大正区千島1丁目)に移転する。
1917年(大正6年)には東成郡敷津村(現・住之江区柴谷1丁目)に敷津工場(後の本社工場)を開設して設備の大規模化、近代化を進め、1919年(大正8年)11月に海軍指定工場となり、初の海軍艦艇建造となる駆逐艦「藤」を受注した。
造船業の他、1921年(大正10年)からは鉄道車両製造、鋳鉄管製造、化学工業機器製造など多角化を進めた。1926年(大正15年)5月、敷津工場を本社工場とし、元の本社工場を新炭屋町工場に改め、敷津工場の対岸にあった大正区船町の船町造船所を吸収合併して船町工場(現・大正区船町1丁目)を設立する。
太平洋戦争が始まると駆逐艦の増産が行われ、1944年(昭和19年)1月に軍需会社に指定される。同年12月の時点で従業員は16,508名にものぼり、大阪では大阪陸軍造兵廠、住友金属工業に次ぐ人数となった。
戦前においては、日本海軍との関係が強く、そのことで昭和金融恐慌などの経営危機を乗り越えたが、1945年(昭和20年)6月1日の第2回大阪大空襲により被災し、戦後は漁船建造から再出発した。明治海運を中心とした同型貨物船建造、LPG船建造などを行った。1962年(昭和37年)10月、化工機部門を分離して藤永田エンジニアリングを設立する。
造船業の他、製油精製装置、産業機械などの製造部門にも力を注いできたが、1967年(昭和42年)10月に企業競争力の強化のため同じ銀行融資系列の三井造船に吸収合併される。
1977年(昭和52年)3月には藤永田エンンジニアリングも三井造船エンジニアリングに吸収合併され、兵庫屋時代を含む藤永田278年の歴史に幕を閉じた。現在は、工場敷地の大半が再開発されている。なお、敷津工場の東隣には名村造船所があった。
社名
編集「兵庫屋」から「藤永田造船所」に社名を変更した理由として、以下の二つの説がある。
年譜
編集- 1689年(元禄2年)- 大坂、堂島船大工町(現・大阪市北区堂島1丁目)に船大屋「兵庫屋」創業。
- 1854年(安政元年)- 江之子島敷屋町(現・西区江之子島1丁目)へ移転し、紀州藩の御座船を建造する。
- 1869年(明治2年)- ドイツ人技師から西洋型船舶建造の技術指導を受ける。
- 1870年(明治3年)- 民間造船所初の洋式木造外輪汽船を建造。
- 1874年(明治7年)- 工場を西成郡岩崎新田(現・西区千代崎3丁目)に移転。社名を「藤永田造船所」に変更。
- 1884年(明治17年)- 大正区新炭屋町(現・大正区千島1丁目)に移転。
- 1900年(明治33年)- 造船所初の鋼製貨物船「第二永田丸」が進水。
- 1917年(大正6年)- 東成郡敷津村(現・住之江区柴谷1丁目)に敷津工場(後の本社工場)を開設。
- 1919年(大正8年)11月 - 海軍の指定工場となる。
- 1920年(大正9年)‐ 鉄道車両、鋳鉄管製造を開始。
- 1921年(大正10年)
- 1923年(大正12年)4月10日 - 株式会社藤永田造船所設立。
- 1926年(大正15年)5月 - 本社を敷津工場に移転、同工場を本社工場とし、今までの本社工場を新炭屋町工場とする。大正区船町の船町造船所を継承し船町工場(現・大正区船町1丁目)とする。
- 1928年(昭和3年)12月 - 金融難により軍艦製造部門のみ海軍艦政本部臨時艦船建造部の管理下に入る
- 1929年(昭和4年)
- 4月 - 創業家の10代当主・永田三十郎が社長を辞任。
- 11月 - 池田岩三郎海軍中将が社長に就任。
- 1931年(昭和6年)- 化学工業機器製造を開始。
- 1932年(昭和7年)11月 - 岸本信太海軍中将が社長に就任。
- 1933年(昭和8年)- 累積赤字のため車両工場を廃止し、兵器工場とする(受注車両総数、967両)。
- 1937年(昭和12年)12月 - 製缶工場新設。
- 1940年(昭和15年)3月 - 海軍管理工場指定。
- 1944年(昭和19年)1月 - 軍需会社指定。
- 1945年(昭和20年)6月 - 空襲により本社工場が被災。
- 1962年(昭和37年)- LPG船の建造を開始。
- 1967年(昭和42年)10月 - 三井造船株式会社に吸収合併。
製品
編集艦船
編集浦賀船渠とともに駆逐艦建造で有名で「西の藤永田、東の浦賀」と呼ばれていた。
艦艇
編集- 二等駆逐艦
- 一等駆逐艦
- 砲艦:二見 - 伏見 [II] - 隅田 [II]
- 千鳥型水雷艇:真鶴 [II] - 初雁
- 第二号型(丁型)海防艦 : 36 - 40 - 48 - 58(未成)
- 掃海艇
- 海上自衛隊 駆潜艇
民間船等
編集- 第二永田丸(造船所初の鋼製貨物船)
- 下関丸 (2代)(鉄道連絡船)
- イースタンリーダー号(輸出船第一号、アメリカ)
- オエステ号(加圧式LPG船、ブラジル「ペトロブラス社」)
- 「S・Aユグノー号」(超高速ライナー、南アフリカ共和国)
- 「りしり」「のと」れぶん型巡視船
- 北斗丸(初代)(運輸省航海訓練所・練習船)
- 海鷹丸 [II] (東京水産大学・漁業練習船)
- おしょろ丸 [III] (北海道大学水産学部附属練習船)
- チャートラカン・コソール タイ王国警察練習船
- RSA 南アフリカ共和国南極探検船
鉄道車両
編集- 大阪電気軌道デボ61形電車
- 東京横浜電鉄デハ100形
- 小田原急行鉄道121形・131形・151形
- 京浜41号形電車
- 阪神112形電車
- 阪神301形電車
- 阪神601形電車
- 阪神701形電車
- 阪神国道電軌1形電車
- 阪急40形電車
- 京阪1500型電車 (初代)
- 京阪1550型電車
- 京福電気鉄道モボ101形電車
- 大阪市交通局1601形電車
- 大阪市交通局1081形電車
- 広島電気101形、広浜鉄道6形電車
- 広島瓦斯電軌H形電車(広島電鉄1030形)
- 熊本電気鉄道200系電車(2代目)
など多数。
脚注
編集参考文献
編集- 藤永田造船所編『藤永田二七八年』藤永田造船所、1967年。
- 永田常次郎『藤永田二七八年補遺』永田常次郎、2001年。
関連項目
編集- 三井E&S
- アレクサンドル・モジャイスキー(君沢型スクーナー指導者)
- 住の江ドライビングスクール(かつては「藤永田自動車教習所」と名乗っていた、三井造船グループの自動車教習所)
- 永田浩三 実家が藤永田造船所であった(“対談 永田浩三さん”. 株式会社エス・エー・エス (2015年10月). 2024年3月31日閲覧。)。
- 谷崎松子(『細雪』の幸子のモデル、10代当主・永田三十郎のはとこに当たる同社専務の森田安松(1864-1928)の四人姉妹の次女)