藤原 長山(ふじわらの ながやま)は、奈良時代貴族藤原南家丹後守藤原武良自の子。官位従五位下三河守

 
藤原長山
時代 奈良時代
生誕 不詳
死没 不詳
官位 従五位下三河守
主君 光仁天皇
氏族 藤原南家豊成流
父母 父:藤原武良自、母:不詳
兄弟 長道長山
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経歴

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光仁朝宝亀7年(776年従五位下叙爵し、宝亀9年(778年図書頭任官する。翌宝亀10年(779年三河守として地方官に転じる。天応2年(782年)5月に多治比豊浜が三河守に任ぜられていることから[1]、それまでに長山は三河守の官職を離れたとみられる。

官歴

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続日本紀』による。

脚注

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  1. ^ 『続日本紀』延暦元年5月17日条

参考文献

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