蔭山 氏広(かげやま うじひろ)は、安土桃山時代の武士。
蔭山氏6代当主[1]。伊豆国河津城主。
松田憲秀の同心衆(寄子)。
永禄9年(1567年)4月12日には新四郎の名前で北条氏政に感状を送られている[2]。
『寛政重修諸家譜』によれば、天正18年(1590年)の小田原城落城の際に伊豆国賀殿に蟄居したという。