芳烈酒造
芳烈酒造株式会社(ほうれつしゅぞう)は、岡山県高梁市有漢町有漢に本社を置く酒造メーカー。
店舗外観 | |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒716-1321 岡山県高梁市有漢町有漢2535-1 北緯34度54分4.3秒 東経133度39分30.4秒 / 北緯34.901194度 東経133.658444度座標: 北緯34度54分4.3秒 東経133度39分30.4秒 / 北緯34.901194度 東経133.658444度 |
設立 | 1918年(大正7年) |
業種 | 食料品 |
法人番号 | 5260001018960 |
事業内容 | 日本酒の製造販売 |
代表者 | 代表取締役社長 難波国夫 |
従業員数 | 5名 |
外部リンク | https://www.houretu.jp/ |
概要
編集創業は1918年(大正7年)、代表銘柄の「櫻芳烈」は岡山藩三代藩主、池田光政候が逝去した時のおくり名「芳烈公」に縁起物の「櫻」を冠して命名した[1]。
高梁川の支流・有漢川の上流に位置し、ミネラルを豊富に含んだ有漢川の伏流水を仕込み水に用いている。
仕込みを終えた4月下旬、酒蔵を開放しジャズコンサート「JAZZ IN UKAN」が開催されている。
建物は1882年(明治15年)に建築されたもので、明治末期に倒産した前身の酒造業の施設を引き継いだものである[2]。
有漢の酒造史
編集有漢では伝統的に酒・醤油の醸造が盛んな産業で、有漢町の中心部、市場地区には明治時代に3軒の大きな酒造業者が存在していた[4]。
大地主の佐藤本家、佐藤分家、江戸時代に庄屋を営んだ荘家の3軒があり、明治末期に相次いで倒産した[5]。
大正時代に入り、新しい経営者の元で再興されることになる。
1919年(大正8年)、佐藤本家の残した施設を利用し、有漢村が半額出資して大正醸造株式会社が設立され、1944年に廃業した。跡地は現在の晴れの国岡山農業協同組合有漢支店[6]。
荘家は尾嶋酒造が引き継ぎ昭和中期まで続いた。昭和末期まで建物があったが解体され、跡地は廣峰神社下の町営住宅[7]。
1918年(大正7年)、佐藤分家を現在の芳烈酒造が引き継ぎ今に至る。
2004年合併前の高梁市旧市域と川上町では2018年現在酒造業は無くなり[8]、有漢町・成羽町・備中町にそれぞれ1軒ずつ残るのみである。
銘柄
編集- 櫻芳烈(おうほうれつ)
- 純米大吟醸、大吟醸、金印、上撰
- Lily 大吟醸、純米吟醸生
- 風 純米吟醸
- 松山城 純米吟醸、本醸造
- コトコト馬 本醸造
- 有漢 生原酒、初しぼりにごり酒
- 涼 冷酒生
参考文献
編集- 『岡山の酒』山陽新聞社、1997年。ISBN 4-88197-619-2。
- 有漢町教育委員会『有漢町史 地区誌編』有漢町、2004年。