義助

駿河国嶋田で活動した刀工の一派

義助(ぎすけ / よしすけ、生没年不詳)は、駿河国嶋田で活動した刀工の一派。五条義助とも称した。嶋田派と呼ばれる刀工流派の一つで、室町時代中期から江戸時代中期まで代を重ねている。なお、名の読みに定説はなく、どちらでも間違いにはならない。

概要

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島田市での伝承によれば、後鳥羽上皇番鍛冶を務め京都五条に居を構えた、備前一文字助宗(五条助宗)を祖とするという。助宗が駿州嶋田に移住して、その子孫が正安年間に五郎入道正宗の教えを受け初代義助となり、四代義助が駿河守護今川義忠に召し抱えられた。ただし、義助の名は義忠の一字を拝領したものと考えられ、実際はこれが初代と推測されている。

義助を襲名した者は三代か四代か諸説あるが、初代が康正、二代は永正、三代が天文年間頃の時期で、四代とされる者は天正年間頃となる。の名工としても知られ、天下三槍の一つ御手杵の槍は四代義助の作とされる。

室町時代後期の連歌師宗長法師は義助の子である。

島田派一門には助宗、広助、義綱、元助などがいる。初代義助の弟は助宗を名乗り、明応年間頃から三代があり、島田助宗として知られる。

参考文献

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  • 『日本刀講座』、雄山閣、1934年
  • 『新版日本刀講座』、雄山閣出版、1997年

関連項目

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