第二五三海軍航空隊(だい253こうくうたい)は、第二次世界大戦期の大日本帝国海軍の航空部隊の1つ。

第二五三海軍航空隊
創設 1942年昭和17年)11月1日
廃止 1944年(昭和19年)7月10日
所属政体 大日本帝国の旗 大日本帝国
所属組織  大日本帝国海軍
兵科 飛行
兵種/任務 艦上戦闘機
編成地 カビエン
上級単位 第十一航空艦隊第25航空戦隊
最終上級単位 第1航空艦隊第22航空戦隊
最終位置 トラック
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沿革

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1942年(昭和17年)11月1日に、七五一空(鹿屋空)の戦闘機隊を母体としてカビエンで開隊した。ラバウルに進出し、東部ニューギニアソロモン戦線での航空戦に当たった。1943年(昭和18年)5月、部隊の消耗のためサイパン島に後退し、補充・練成を行い、9月には再びラバウルに進出した。特に1943年11月から連合軍のラバウル空襲が激しくなり、各航空隊は消耗して行った。253空は先に撤退して行った航空隊の人員・器材を受け入れながら任務を続行していたが、1944年(昭和19年)2月17日-18日トラック島空襲により、2月20日に搭乗員、司令部要員はトラック島に撤退した[1]。253空の撤退により、事実上ラバウル航空隊の活動は終了した。

トラック島移動後は、補充が受けられない中、度重なる空襲の迎撃によって戦力は消耗していった。6月米機動部隊のマリアナ諸島接近により稼働全機が出動、グアムへ着陸寸前に米艦載機の攻撃を受けて全機壊滅した。7月10日解隊。

歴代司令

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脚注

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  1. ^ 大部分の地上要員はラバウルに残留となった。

関連項目

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参考文献

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  • 秦郁彦・伊沢保穂著『日本海軍戦闘機隊 戦歴と航空隊史話』大日本絵画、2010年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。