笠王(かさおう、生没年不詳)は、奈良時代皇族。一時臣籍降下三長笠次いで山辺笠を称した。一品舎人親王の孫。従四位上守部王の子。官位正五位上大膳大夫

経歴

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天平宝字3年(759年淳仁天皇の父である舎人親王に崇道盡敬皇帝の尊号が贈られた際、その孫として二世王待遇となり、無位から従四位下に直叙される。翌天平宝字4年(760年大舎人頭に任ぜられる。

天平宝字8年(764年藤原仲麻呂の乱終結後の淳仁天皇の廃位に伴って、王籍を除かれて三長真人姓となり、丹後国配流となる。

光仁朝に入ると罪を赦されて、宝亀2年(771年)7月に王族に復すが、同年9月には早くも山辺真人姓を与えられて再び臣籍降下する。翌宝亀3年(772年従五位下叙爵。宝亀5年(774年)12月にはみたび王族に復す。光仁朝では玄蕃頭内蔵頭武蔵守を歴任し、宝亀11年(780年)従五位上に叙せられている。

桓武朝では、左右大舎人頭・大膳大夫を歴任した後、延暦8年(789年正五位下、延暦10年(791年)には正五位上に至る。またこの間、延暦4年(785年早良親王皇太子を廃された際、中納言藤原小黒麻呂とともに山科山陵に廃太子の旨を報告する遣使を勤めている[1]

官歴

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続日本紀』による。

脚注

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  1. ^ 続日本紀』延暦4年10月8日条

参考文献

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