福井浩太郎
福井 浩太郎(ふくい こうたろう、1887年(明治20年)10月8日[1] - 1969年(昭和44年)2月23日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
福井 浩太郎 | |
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生誕 |
1887年10月8日 日本 東京府 |
死没 | 1969年2月23日(81歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1908年 - 1940年 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集1887年(明治20年)に東京府で生まれた[1]。陸軍士官学校第20期卒業[1]。1936年(昭和11年)3月7日、陸軍歩兵大佐進級と同時に歩兵第57連隊附となり[2]、5月6日に歩兵第57連隊留守隊長に就任した[2]。1937年(昭和12年)9月に歩兵第157連隊長(上海派遣軍・第101師団・歩兵第102旅団)に就任し[2]、日中戦争に出動[1]。クリークでの大激戦を戦い[1]、武漢攻略戦では九江、廬山で激戦を繰り広げた[1]。さらに第11軍主力として南昌攻略戦に参加し[1]、修水渡河作戦で大なる戦果を挙げた[1]。
1939年(昭和14年)8月1日に陸軍少将進級と同時に第8国境守備隊長に着任した[1][2]。1940年(昭和15年)8月1日に第9独立守備隊長に転じ[1]、12月2日に待命[2]、12月28日に予備役に編入された[1]。1945年(昭和20年)3月31日に召集され、歩兵第90旅団長(支那派遣軍・第13軍・第118師団)に就任した[1][3]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。