石郷岡文吉
日本の政治家 (1863-1938)。弘前市長、青森県議会議員、衆議院議員
石郷岡 文吉(いしごうおか ぶんきち、文久3年8月1日[1](1863年9月13日) – 昭和13年(1938年)9月12日[2])は、日本の衆議院議員(憲政本党)、弘前市長。
経歴
編集弘前に生まれ、東奥義塾を卒業した。1889年(明治22年)、弘前市会議員となり、1891年(明治24年)には中津軽郡会議員となった。1896年(明治29年)、青森県会議員に選出され、1903年(明治36年)には議長に就任した。1907年(明治40年)、県会議長に再選され、弘前市会議長も兼ねた[3]。
1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。1期務めた。1913年(大正2年)、再び市会議員となり[4]、さらに1918年(大正7年)・1922年(大正11年)・1934年(昭和9年)の3度、弘前市長に選出された[5]。
その他、北辰日報社を創設し、社長を務めた。
脚注
編集参考文献
編集- 鷹居匡『第二十八議会衆議院議員写真列伝』経済時報社、1912年。
- 高谷繁太郎・江馬英三郎編『大正四年特別大演習記念 青森県名鑑』青森県行幸記念協会、1917年。
- 『弘前市誌』東北通信社、1941年。