白斗鎮
白 斗鎮(ペク・トゥジン、はく とちん[1]、1908年10月31日 - 1993年9月5日)は、大韓民国の政治家。黄海道信川郡出身。本貫は水原白氏[2]。第4・10代国務総理、第8・10国会議長などを歴任した。日本名白川 實[3]。
白斗鎮 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 백두진 |
漢字: | 白斗鎭 |
発音: | ペク・トゥジン |
ローマ字: | Baek Du-jin |
生涯
編集1934年旧制東京商科大学(現:一橋大学)を卒業して朝鮮銀行に入行。理事にまでなった。大学の先輩にあたる具鎔書に引き上げられ[3]、独立後も韓国銀行理事を務め、1948年に外資庁長官・1951年財務部長官に就任。この時重石ドル事件への関与で野党から追及を受けるが、これを切り抜けて1952年に財務部長官兼務のまま国務総理代理となり、同時に米韓合同経済委員会の代表を務める。翌1953年に正式に国務総理となった、
4月革命後の国会議員補欠選挙に出馬・当選して政界入りするが、直後に5・16軍事クーデターが勃発。その後民主共和党結成に加わり、1968年には日韓協力委員会の韓国側の会長を務めた(日本側会長は岸信介、顧問に石井光次郎)[4]。1970年に再度国務総理に就任し、1971年に国会議長に選出。維新体制成立の後、1973年に維新政友会委員長に就任しその確立に協力、1979年に野党の反対を押し切って再度国会議長となる。しかし全斗煥政権下では公職に就くことなく、新民主共和党が結成されると同党常任顧問となった。
賞勲
編集1970年に韓国修交勲章光化章、1971年に勲一等旭日大綬章、1972年にフィリピン外交勲章、同年に中華民国特種大綬景星勲章を受章した[2]。
脚注
編集関連項目
編集公職 | ||
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先代 丁一権 |
大韓民国国務総理 第10代:1970 - 1971 |
次代 金鍾泌 |
先代 張沢相 |
大韓民国国務総理 1952年10月9日~1953年4月23日は代理 第4代:1952 - 1954 |
次代 卞栄泰 |
先代 崔淳周 |
大韓民国財務部長官 第3代:1951 - 1953 |
次代 朴熙賢 |
議会 | ||
先代 李孝祥 丁一権 |
大韓民国国会議長 第8代:1971 - 1972 第10代:1979 |
次代 丁一権 丁来赫 |