熱海孫十郎
熱海 孫十郎(あずみ[1] / あたみ[2] まごじゅうろう、1848年2月13日(嘉永元年1月12日[3])- 1924年(大正13年)3月19日[2])は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(1期)。貴族院多額納税者議員。
熱海孫十郎 あずみ まごじゅうろう あたみ まごじゅうろう | |
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生年月日 | 1848年2月13日 |
出生地 |
日本 陸奥国栗原郡文字村 (現宮城県栗原市) |
没年月日 | 1924年3月19日(76歳没) |
所属政党 |
(大成会→) 無所属 |
親族 | 兄・千葉胤昌(衆議院議員) |
在任期間 | 1897年9月29日 - 1900年8月29日 |
選挙区 | 宮城県第4選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1890年7月1日 - 1891年12月25日 |
玉造郡長 | |
志田郡長 | |
栗原郡長 | |
その他の職歴 | |
宮城県会議員 ( - ) |
経歴
編集陸奥国栗原郡文字村(現:栗原市)に千葉忠蔵の子として生まれる[1]。のち、一迫の熱海多藏の養子になる[1]。1879年宮城県会が発足するとその議員になる[1][2]。その後、栗原、志田、玉造の各郡長となり[1][2]、1890年の第1回衆議院議員総選挙に宮城県第4区(当時)から立候補して当選した[4]。1892年の第2回衆議院議員総選挙で落選[5]。1897年9月29日に貴族院議員に就任し[2][6]、1900年8月29日まで在職した[2][7]。